気が付くと、9〜10月は1回しかブログを更新できませんでした。
(11月も、か・・・)
というのも、一見ヒマそうに見える!?僕ですが、9月は非常に
ビッグなイベントがあったので、なかなか更新に割ける時間が
なかったのでした。
さて、早くも11月。
こないだ海に潜っていたと思ったら、もう「風は秋色」を通り
越して、寒風が骨身に沁みる寒〜い冬になっていました。
10月には、引っ越しという大きなイベントがありました。
自然こそ素晴らしいものの、夏暑く、冬は凍えて、お店も駅も
遠い、不便極まりない高槻市大和から、ついに離れることになった
のです!
引っ越した先は四條畷市です。バドミントンの盛んな土地柄として
有名な市ですが、まさやん的に言うと、パートナーの住んでいる
ところ、ということになりますね。
詳しい事情・状況をお聞きしたい方には、直接お話しすることに
致します・・・
ところで10月1日から僕のステータスが変わっております。
かねてから取得に力を注いできた、公認バドミントンコーチの
資格が、10月1日から正式に効力を発揮するようになったのです!
つまり、先月から僕は「公認コーチまさやん」なのです。
この資格を取得しようと動き出したのは、思えば昨年の2〜3月頃
でした。
その頃に申請をして、受講が認可されて、共通科目の講義(5日間
連続)を昨年8月末に受けて、11月に4日連続の講義(京都)
そして、1月に4日連続の講義(筑波)で受講と、足掛け1年以上も
要して、やっと本日から正式に「公認バドミントンコーチ」を
名乗れるようになったわけです。あ〜、長かった・・・
公認バドミントンコーチの登録証は、もらってみると思ったより
シンプルなものでした。
顔写真くらいついていたら、ちょっとカッコよかったのにと思い
ました。
そして肝心の認定証は、こんな感じでした。こちらも意外と
あっさりです(^^;
A4サイズくらいはあるかと予想していて、そのサイズならば
届いたら額にでも入れようと思っていたのですが、こんな小さな
サイズなら「パウチっこ」が関の山です。
(と写真に撮ろうと思ったのですが、引っ越しでどこかに紛失
してしまっており、結構焦っているまさやんです・・・)
この登録証と認定証は、もらってみると小さななカードと薄い紙
に過ぎませんが、取得するまでに注いだエネルギーのことや
講義での様々な思い出を振り返ってみると、何かキラキラ輝く
お宝のようにすら感じられます。
しかし、全てはこれから!です。
取得するのが目的ではなく、取得してからが大事です。
このバドミントンという非常に楽しいスポーツを世の中にもっと
もっと広げていくために、これからの僕の活動は、ほぼ全て
バドミントン界のためになるように、ベクトルの指向性を高めて
いきたいと思います。
さて、あまりに長期更新しなかったので、書きたいことは本当は
かなりあるのですが、今後、更新頻度を正常化!?していくため
いきなりですが、先般の全日本シニアについて、からにしたい
と思います。
日本中のシニアバド選手が目標にしている最大の大会、第30回
全日本シニアバドミントン選手権大会が、愛媛県松山市にて開催
されました。
愛媛県は僕の両親の出身地であり、幼少時から何度も訪れただけ
でなく、以前の会社でも出張で頻繁に訪問しており、僕には非常
になじみの深い場所でした。
真野くんの車に便乗させてもらい、寺尾さん、見市武史と共に
松山までの道中を4人で楽しく移動しました。
大阪から松山までは、淡路島経由の方が距離は短いのですが
寺尾さんが「通ったことがないしまなみ街道経由でいきたい」との
ことで、ゆったり若干の遠回りをすることになりました。
道中の会話は、40代の男達にふさわしい・・・超低レベルだった
ことをお話ししておきます(^^;
その低レベルの中心は、主に僕でしたが・・・
11時に大阪を出発して、松山到着は17時過ぎ。のんびり楽しく
移動したので、ほぼ疲れはありませんでした。
宿泊したのは「ターミナルホテル松山」JR松山駅の真ん前です。
チェックインしてすぐに、道路を挟んで向かいの「キスケの湯」
というスーパー銭湯に浸かり、炭酸の湯で気持ちよく汗を流し
その流れで、ホテルすぐそばの「薩摩」という居酒屋でまずは
乾杯ということになりました。
試合前日ではありましたが、僕の試合は午後からでしたし、飲む
のはいつものことなので、特にセーブすることなく、僕は普通に
ギン飲みしていました(^^;
移動疲れもあり、その晩はバタンキューとなりました。
明けて翌日。見市から早朝に内線がありました。彼は携帯電話を
職場に忘れてきたので、前日の飲み会には合流することができ
なかったのです。
僕らの会場は、松山市コミュニティセンターでした。
ホテル、つまりJR松山駅から徒歩5分でしたので、今までに最も
ホテルから近い会場だったと思います。
会場は座席数が少なかったので、僕らはしばし通路に立ち見の
状態でした。
最初の試合は、武史・畑下でした。
武史は、体調が今一つすぐれず、思うようには動けない状況
状況でしたが、それなりに練習は重ねていた為、体回りの球には
強く、畑下は「着やせ」と言えるほど、脱いだらスゴいメタボ
体型と化してはいたものの、やはり練習はよくやっているので
動き回ることは可能なのでした。
と言いながら、僕は密かに彼らの初戦負けを予想していましたが
それを覆して、見事初戦を白星スタートしたのでした!
彼らも喜んでいましたが、僕も嬉しかったなぁ。
しかし次の試合では相手の球回しが上手く、うまいことパターン
にはめられた感じで押されて、大差の0-2で負けてしまいました。
そのペアは、次の三好兄弟(岡山の有名な強豪)も撃破していた
ので、やはり強いペアだったので仕方ないところでした。
続いては、一緒に来た寺尾・真野ペアです。
一回戦の相手は、神奈川の強豪、土田・若松ペアでした。僕の
同級生かつ友達です。
土田・若松は、神奈川県の45歳のトップで、マスターズでも2年
連続して代表メンバーとなっていました。
ですので、次の対戦も、僕の予想は土田・若松の完勝だと思って
おりました。これは「密かに」ではなく、寺尾・真野ペアにも
伝えておりました(^^;
ところが、試合が始まってみると、土田・若松ペアに勢いと気合い
がなく、果敢に攻める寺尾・真野ペアにどんどん点が加算されて
いくのです!
当初、土田・若松は様子見をしているのかなぁと思っていましたが
その流れのまま1ゲーム目を落とし、少し気合いが入りかけた第
2ゲームも、乗り切らないまま接戦で落とし、寺尾・真野ペアが
金星をあげることとなったのです!
大方の予想を覆す勝利だったので、これは金星だと思ったのですが
見市に言わせると
「銀星」
とのことでした(^^)土田・若松がイマイチだったから、だそう
です。
イマイチでも何でも勝てば官軍です。
続く二回戦では、同じ近畿の井口・武中ペア(兵庫)と対戦
しました。
井口さんと武中さんとは、僕は知り合いで、近畿の試合では
いつもにこやかに話しかけてきて頂ける、優しい方々です。
過去、寺尾真野ペアは、井口武中ペアに勝っているとのこと
でしたので、シード権確保のベスト16入りが見えて、俄然力が
入る対戦となりました。
第一ゲームを先取し優位に立ちましたが、勝ちを意識したのか
そこから痛恨の逆転負けを食らい、来年のシード権は井口武中組
に持っていかれてしまいました・・・(ToT)
それでも、土田・若松ペアに勝ったということで、試合後の寺尾
さんは、饒舌に拍車が掛かっていたようでした。
さて、肝心!?の見市・正岡ですが、初戦(シードなので二回戦)
は難なく突破して、三回戦の相手は一昨年準決勝で対戦し、僕ら
の決勝行きを阻止された、福岡の浜田さんペアでした。
パートナーは一昨年とは違いますが、僕らにとっての気持ちは
もちろん「リベンジ」でした。
浜田さんは、一昨年同様、ショートサービスは全く打ってこない
ので、それを十二分に理解している僕らは、かなり下がって構えて
おりました。
それでもロングを打ってくる浜田さんも男!?やと思いますが
やはり、打つサーブが分っているということは、尋常でなく有利
には間違いなく、浜田さんの打つサーブはほぼ一発でつぶすこと
ができました。
それでも浜田さんのレシーブはかなり粘り強かったですが、終始
リードを保った僕らが2-0で勝利!ベスト16に駒を進めました。
次が勝負の第二シード、過去何度も優勝しており、昨年惜しくも
僅差で準優勝だった、東京の宮本・宗形ペアです。
強いのは重々承知していたので、胸を借りるつもりで、最初から
ガンガン飛ばしていこうと思っていました。
その作戦が効いたのか、序盤は僕らの攻撃で圧倒して、数点の
リードを保ちながら、18-16と第一ゲームは先取か!と思いました。
ところが、そこから一気にまくられてしまい、何と1点も取れずに
18-21で落としてしまったのでした・・・
これには少し落胆しましたが、でも日本トップクラスのペアにも
問題なく勝負できている、と実感できたので、第二ゲームも同じ
方針で、上がったら打つのみでした。
しかし、第二ゲームも一進一退で進み、僕らがリードした場面も
ありましたが、レシーブの堅さ・安定度とドライブの対応の差で
相手に一日の長があり、第二ゲームも18-21で落とし、結局0-2で
敗北となってしまったのでした。
ひとつグチを言えば、第二ゲームに、見市がジャッジした
ものすごく明らかなアウトの球を、線審の方に頑なにインとされた
のは、接戦の状況では結構痛かったです・・・
目の前に居たコーチ席の二人も「あれはあんまりだ」とのこと
だったので。
しっかりと見て頂けたら、あれをインとは決してジャッジしない
と思います!!!
宮本宗形ペアの印象としては、レシーブが堅い、なのでプレーに
余裕がある、ドライブ系の球をしっかりラケットを上げて待って
いる、という感じでした。
今回は負けてしまいましたが、頑張れば何とかなるかな、という
感触もしっかり得られましたので、改善するポイントをしっかり
治して(試合後、ありがたくも宗形さんにアドバイス頂きました)
次回対戦した時には、今回より良い内容にしたいと思いました。
宗形さん(宮本さんも、ですが)、ありがとうございました!
またよろしくお願い致します。
ということで、今年のダブルスはベスト16という結果に終わって
しまいました。
16にベストを付けたら、チャンプの山口さんに怒られそうですが
それでもトーナメントでは、半数の選手が一回戦で敗退すること
を思うと、2回勝ったことは「よし」としておきたいと思います。
バドミントン人生は続くので、また来年は、さらに上を目指すのみ
です。
当日の夜は、武史と畑下が最後の夜なので、当然のごとく宴会
です。
前日同様、キスケの湯でひとっ風呂浴びてから、近くの居酒屋
「えびすや」でカンパーイとなりました。
翌日は石井先輩と僕と見市と真野くんはシングルスがありましたが
石井先輩以外は試合開始時間が遅かったので、これまた普通に
セーブすることなくギン飲みした次第です。
書くのを忘れていましたが、今回も高崎市から同級生の青ちゃんが
応援に駆け付けてくれていました!
交通費もバカにならない高額なのに、それを押してでもわざわざ
応援のために毎年駆けつけてくれるのは、本当に嬉しい限りです。
青ちゃんの応援に応えるためにも、明日は頑張るぞ!と気合いを
入れて、グッとチューハイライムのジョッキを空けるまさやん
なのでした!?
明けて翌日。シングルスの日です。
会場は、愛媛県武道館というところでした。
行ってみると、外観はお城の城壁のように、土台は石で組まれて
おり、また建物は格子に組んだ木材で覆われていて、扉も大きな
門扉のような、黒塗りの木材でできている、武道館と呼ぶに
ふさわしい手の込んだ造りの会場なのでした。
僕の試合はプログラムの7段目でしたので、本当は朝ゆっくり
できるのですが、石井先輩が3段目と早かったので、ほぼ朝一で
真野くん・寺尾さんと共に会場入りしました。
そして石井先輩の初戦の相手は、他ならぬ大阪の木村好徳さん
でした!
木村さんは、大阪社会人の役員をされており、明るく豪快な人柄で
僕も何度か対戦させて頂いたことがある知り合いの方です。
木村さんは金髪!?で有名ですが、今回はなぜか髪を黒く染め
直しておりました。
両者と対戦経験のある僕の戦前の予想では、いい勝負にはなると
思いましたが、石井先輩が勝つと思っていました。
石井先輩の方が、少し安定度が高いと思ったのです。
しかし、第一ゲームは石井先輩は自滅気味にミスを連発・・・
殆どラリーにもならない感じで、大差で落とすまずい展開でした。
第二ゲームに入り、体も温まってきてからは、石井先輩のミスも
減り、数点のリードを保ってラリーでも優位に立つ場面が目立ち
ましたが、終盤の大事なところでやはりミスしてしまい、無念の
初戦敗退となってしまったのでした。
続く見市は、初戦は軽々とクリヤー。その流れで僕の初戦もコール
されました。
僕の相手は、東京の清水保則さんです。
清水さんは、今年の関東シニア45歳シングルスのチャンピオン
です。つまり関東一位と近畿一位が、いきなり初戦で対戦すると
いうことになります。もったいないですね!?
清水さんが強いのは十分知っておりましたので、僕は最初から
飛ばしていこうと決めていました。
試合前、神奈川の若松が近くに居たので、彼に
「清水さんは、ショートサービスを打ってくるから、一発目の
サーブは、僕はヘアピンを打って前に詰めて、相手に上げさせて
その球を何が何でもスマッシュ打つわ!」
と宣言しておいたのですが、清水さんの打った最初のサーブは
意表を突くショートサービスの構えからのピンサーでした・・・
当てが外れて体勢を乱されて、一発目のラリーは取られてしまった
かもしれません・・・
しかしその後は、僕の果敢な攻撃が効いて、またそれに押された
のか、はたまた調子が出ないのか、清水さんも凡ミスを繰り返し
第一ゲームは僕が21-12で余裕で先取しました。
第二ゲームに入っても、そのペースで推移していましたが、徐々に
清水さんの調子も上がりミスも減ってきて、一方、僕はと言うと
第一ゲームで飛ばしたことがたたって、情けなくも途中で息が
上がって、パッタリと足が止まってしまうていたらく・・・
それでも終盤、点数は僅差でしたので、枯渇しかかった体力でも
攻撃を仕掛けましたが、疲れた状態では安定度も低く、逆にミス
をしてしまって、第二ゲームは18-21で取り返されてしまいました。
ファイナルへのインターバルで、僕が疲れていることを分って
いたコーチ席の見市は
「年に一回なんやから頑張れ!」
と励ましてくれました。
疲れた僕には短い「120秒を越えないインターバル」で、必死に
深呼吸を繰り返し、体力の回復を図って臨んだ勝負のファイナル
ゲーム。
僕は、序盤にマズいプレーを連発して、2-12と一気に突き放されて
しまったのです・・・
これには応援してくれている人も、そして他ならぬ僕自身も
ちょっとアカンなぁ、という感じだったと思いますが、そこから
開き直って、もう一度気持ちを奮い立たせて、少ない体力で攻撃
を仕掛けていったところ、14-16の2点差まで盛り返したのです!
これには清水さんも焦ったようでしたが、疲れた状態でのラリー
では、やはり安定度は低く、一方、決めても決められても、終始
飄々とした無理のないプレーをしていた清水さんの方が、少し
体力を余していたようで、最後は突き放される形で15-21で無念の
初戦敗退となってしまったのでした・・・
試合後、清水さんはガッチリと強く握手をしてくれて、その後
「いやあ(良かったのは)ファイナルの最初だけでしたね。
しんどかったです」
とのコメントでした。
僕からは
「第二ゲームで息上がってしまいました・・・情けないです。
またお願いします」
と、素直に敗北を認めました。
初戦敗退は残念でしたが、僕が弱いだけですので仕方ありません。
ただ、清水さんは、決して僕のシード下に居るような選手では
ないですね・・・
負けてしまったので、後は真野くんと見市の応援です。
真野くんは、以前は勝った静岡の浅原くんに、ファイナルで負け。
相当悔しそうにしていました。
浅原くんはリベンジできたのは良かったですが、次の試合で
兵庫の遠藤さんにファイナルで逆転負けを喫していました。
そして見市の二試合目は、東京2位の谷地舘(やちだて)さんです。
谷地舘さんは、僕が対戦した清水さんのパートナーですので
奇しくも、パートナー同士がそれぞれ対戦するということに
なったのでした。
第一ゲームは、見市いわく「力が入ってしまった」とのことで
15-21で谷地舘さんが先取。
しかし第二ゲームに入り、体も温まり気持ちも落ち着き、谷地舘
さんの攻撃パターンも完全に把握した見市が、9-21で完勝。
ファイナルも、その流れのまま、見市が常に数点リードを保ち
17-12くらいとなって、見市の勝利は誰もが確信していたところに
またまた痛恨の肉離れが見市のふくらはぎを襲いました・・・
そこからガクンと動きが止まってしまったのでした。
それでもあと4点でしたので、見市はほぼ片足ケンケンの状況から
エース狙いのラリーにして、追い上げる谷地舘さんを振り切らん
と頑張りましたが、やはり肉離れで勝てるほど谷地舘さんは甘く
なく、19-21で悲痛な逆転負けとなったのでした・・・
勝利の瞬間、谷地舘さんは大きな雄叫びを上げていましたが
それほど苦しい試合だったのだと思います。
谷地舘さんは、次の景山さん(鳥取)の試合でもファイナルの
激戦となり、15-20くらい(だったかな?)から、怒涛の大逆転を
演じて、堂々ベスト8になられたのでした。
勝った谷地舘さんが強かったのでしょうが、あと1ラリーが取れ
なかった景山さんの無念は、いかばかりだったでしょうか・・・
あと1本ならば、がむしゃらにスマッシュ打っても良かったかなぁ
と思いますが、その時にその考えではなかったので、これもまた
仕方のないことでしょう。
以上が今年の全日本シニアでした。
ダブルスがベスト16、シングルスは初戦敗退という結果でした。
試合については、決して満足いく結果ではありませんでしたが
当日の実力は出し切ったと思いますので、昨年のような無念さの
残ることはありませんでした。
まあ、また頑張るのみです。
そして、今回、ブログの読者さん2名と嬉しい対面がありました!
一人は、僕を昔からずっと一番応援してくれていた千葉のKANさん
こと、前村完さんです。
前村さんは、全日本シニア出場が目標とずっとおっしゃっており
ましたが、僕がシニア前、何の気なしにトーナメント表を見て
いたら、な、な、何と!前村さんが出場されているではないですか
!!!
僕は早速メールをして、現地での初対面を楽しみにしている旨
連絡しました。
前村さんは、40歳シングルスのみの出場でしたが、会場視察も
兼ねて、僕を応援しに16日に松山コミュニティーセンターに来て
下さったのでした。
感動の初対面で僕は浮ついてしまいましたが、しっかり記念撮影
することができて、とっても嬉しい一日となりました。
KANさん、いつも、そして先日もありがとうございました!
これからも、共に上達目指して頑張っていきましょうね。
KANさんの対戦相手は、他ならぬ大阪の大井さん(大阪ガス)で
残念ながら0-2での敗退となってしまったのですが、まずは参加
して、シニアの雰囲気を味わえただけでも良かったのではない
でしょうか?
また来年以降を期待しています。お疲れ様でした。
そして、シングルスの会場には、今治市の岸本さんもわざわざ
仕事の合間をぬって、駆けつけてくれました!
悲しかったのは、岸本さんが会場に到着された時には、僕は既に
線審の席に座っていた、つまり負けちゃっていたことです(^^;
しかし、岸本さんは僕の線審が終わるのを待って、体育館の通路で
数分お話しをして、僕にお土産を手渡してくれて、すぐまた仕事
へと戻られてしまったのでした。
岸本さん、お忙しい中にも関わらず、わざわざ会場までお越し
頂きまして、本当にありがとうございました。
現在は、お子さんの学費で大変とのことですが、また余裕ができ
ましたら、バドミントンもぜひ復活されて、夢の!?大阪遠征にも
ぜひともお越し下さることを楽しみにしています。
岸本さんからは、とても素敵なエールを頂きました。
嬉しかったので、ここに全文を紹介させて頂きます。
「お疲れ様でした。また今度はゆっくり飲みたいものですね・・・
また次の試合目指して頑張って下さい。それがまたブログ見ている
皆さんの励みになるんです!!もちろん僕もです」
ブログ・バドミントンをやっている以上、良い結果を求めて
頑張るのは当然のことです。
しかし、いつも良い結果ばかり与えられるわけではありません。
勝つこともあれば、負けることもある。
頑張った度合が大きいほど、負けた時の無念さ、悔しさ、喪失感も
大きいものです。
しかし大事なことは、勝つことだけではなく、負けても腐らず
へこたれず、また前を向いて頑張っていくことなんだよ!と
岸本さんに教えられたような気がしました。
大げさに言うと、人生良いことばかりではありませんが、自分に
とって失意の状況も、受け入れてなお気持ちを奮い立たせて前に
進んでいくことこそが、大事なことなのでしょう。
ブログの読者さんも、僕の良い結果ばかり見るより、負けても
なお頑張って進んでいく姿を見たいのではないかと思います。
バドミントン人生は続くので、また頑張っていくのみです。
岸本さん、含蓄に満ちた貴重なお言葉、ありがとうございました。
再会を楽しみにしています。
一緒に写真が撮れなかったのが残念です・・・(ToT)
そして嬉しい報告です!
今回、僕のブログ読者さんが、シニアチャンピオンとなりました!
45歳女子シングルスで、岩手の横手智江美さんが、完勝で日本一
に輝いたのです。おめでとうございます!!!
横手さんは、かつて40歳シングルスでも優勝されていた実力者で
実業団(YAMAHA)出身の元々強い方ではあるのですが、体の故障
や、様々な困難な状況を乗り越えて、まさやん推奨のなわとびも
昼休みに実践する!という努力の結果、見事日本一を勝ち取られ
たのです。
今回、ギリギリまで参戦するかどうか悩んでおられたのですが
やはり「人生一度!」と、行ける時に行っておこう、いつ死ぬか
分らないから!?ということで、参戦を決めて、僕の下馬評通り
優勝されたのは、見事という他ありません。
僕が横手さんにバドミントンを教えてもらいたいくらいですが
(^^)僕の浮き沈みが横手さんの何かしらの参考になるならば
今後も応援していってもらえたらと思います。
もちろん僕も、これからも応援します。
横手さん、おめでとうございました!
ということで、危うく11月も更新しないまま師走を迎えるところ
でした・・・(^^;
今後は、もう少し文章量を少なくして、その分更新頻度を高めて
いくことにしようと思います。
って、これ言うの、もう何回目やろう?
しかし短文のまさやんって、あり得ないかもしれませんね。
今後も、きっと長文にはなりますが、も少し頑張って更新して
いけたらなぁ、と思いますと、日記には書いておこう!?
ではまた!