2010年12月15日

ドロップでエースを狙わないようにしよう

過去の記事を読み返してみましたら、マサやんの生涯シリーズが
高校卒業手前で止まっていることに気づきました。

受験勉強をしていて、給費生試験を受けて、手ごたえあり!と
そこで受験勉強をストップして、落ちたことが判明して、そこ
から慌てて勉強を再開した、ことまでは書いたでしょうか?

もう多分忘れている方が殆どかと思われますが、僕の中では一応
「続く」to be continuedになっておりましたので、ここで再度
書き記してみたいと思います。

楽天的な僕は、絶対受かると思っていた神奈川大学の給費生試験
に痛恨の不合格となり(給費生での合格ではなく一般の合格を
目指していた)そこから怒涛の巻き返しが始まります。

とはいえ、残り2ヶ月弱しかありませんでしたが、僕の勉強は
ただひたすら日本史の暗記のみ。
英語と国語には磐石の自信を持っていたので、幸いにも記憶力
だけが頼りの日本史の暗記作業を、不合格前同様、毎晩毎晩深夜
〜明け方まで続けておりました。
愚直極まりない勉強方法でしたが、当時高校3年生の僕の頭では
それくらいの作戦しか考えられなかったのです。

前にも書きましたが、僕はその当時、日本史の教科書として
定評のあった山川出版社の朱色の分厚い教科書を、一冊丸ごと
脚注の文章まで克明に暗記し切りました。

特に得意だったのは、年号の暗記です。
語呂合わせが得意な僕は、日本史の年号暗記に無類の力を発揮
するのでした。
今でも覚えている年号を、以下記します。

 538年 = 仏教が日本にご参拝(538)(仏教伝来)
 604年 = 論丸し(604)憲法17条
 645年 = 大化の改新、虫五(645)匹。(意味なし)
 701年 = なれい(701)天下の大宝に
       (大宝律令制定)
 710年 = 何と(710)大きな平城京(平城京遷都)
 752年 = 優しいおなごに(752)に似た大仏様
       (東大寺の大仏建立)
 794年 = 鳴くようぐいす平安京(あまりにも有名)
 894年 = 遣唐使を白紙(894)に戻す(遣唐使廃止)
1192年 = いい国(1192)作ろう鎌倉幕府
       (これまた有名)
1232年 = ひとふみに(1232)さらりと書いた御成敗
        式目
1274年 = 元になし(1274)(元寇襲来 文永の役)
1281年 = 元に配置(1281)(元寇襲来 弘安の役)
1333年 = 富散々(1333)使い果たした鎌倉幕府
       (鎌倉幕府滅亡)
1467年 = 遺志もむなしく(1467)応仁の乱
1543年 = 鉄砲伝来、以後予算(1543)増える
1549年 = キリスト教伝来、以後よく(1549)増える
1573年 = 以後涙(1573)の室町幕府
       (室町幕府滅亡)
1603年 = 人群れ騒ぐ(1603)江戸幕府
       (江戸幕府成立)
1867年 = 一夜虚しく(1867)徳川倒れる
       (大政奉還)

こうして見てみると、江戸時代がかなり飛んでいますね(^^;

しかし、それでもかなり覚えている方ですので、甥が歴史の
勉強をしている時に、この得意な知識をひけらかして、甥の尊敬
を浴びただけでも価値ある知識でした!?
甥に教えている過程で、僕はあらたな語呂合わせを開発したの
です。

1428年 = 石にやつ(1428)当たり、土一揆
       (正長の土一揆)

農民達に尋常でないストレスが溜まり、道端の石ころにも八つ
当たりしてしまうという、究極までに苛立った感情が年号に
うまくはまった、僕にしては傑作だと勝手に思っています。

脱線しました。

文字通り、気合と根性で、ただひたすらに記憶しまくった受験
勉強でしたが、努力は必ず報われるということになっていて
給費生試験で落ちた神奈川大学 外国語学部に、本試験では
しっかり合格したのです。

「ああ、これで浪人はなくなった」と僕はそれで満足しきって
いたのですが、一応他にも受けていた中央大学文学部英文科に
予想外!?の合格を果たし、偏差値52くらいのしがない公立
高校からとしては、快挙とも言える現役合格、しかも2大学も
受かるという結果に、当時の僕は結構舞い上がっていました。
進学校出身の人から見ると、ちっぽけな喜びかもしれませんが。

普通、合格発表というと、その大学に行き、掲示板に自分の
受験番号を見つけて、歓喜の胴上げや、一人涙にむせぶという
場面が定番なのですが、僕は冷めていたのか、見に行くのが
面倒だったのか、郵送での結果通知でいいやと思っていました。

忘れもしません。当時、郵便局で郵便配達をしていた兄が
惰眠をむさぼっていた僕の四畳半の部屋に、郵便配達の格好の
まま上がりこんできて

「受かってたぞ!」

と中央大学の合格通知を手渡してくれたのでした。
その時、頭はもうろうとしていましたが、予想外の朗報に
僕は満面の笑みを浮かべて、その時点で既に気分は大学生へと
トリップしておりました。

基本的に、当時はホントに何も考えない人間だった僕なので
神奈川大学以外は近場の大学ばかり受験しておりました。
持ちネタとして

「僕は学区内の大学しか受けなかった」

とか当時ほざいていました(^^;

しかし、神大と中大に受かれば他はもういいや、ということで
部活の先輩である清水先輩が通う和光大学は、受験も割愛させて
頂いたのでした。
(ちなみにこの和光大学、大学時代は清水先輩を慕って、よく
練習に参加させて頂きました。殆ど部員のような顔をして
部室に居座っていました!?)

前に書いた通り、僕の希望は神奈川大外国語学部だったのですが
若干悩みつつも親とも相談し、歴史と伝統があり、また知名度も
高い中央大学を選択することにしました。

さあ、これで4月からは胸いっぱいの希望に満ち溢れた大学生
です!
僕は、バドミントンをすることしか考えていなかったので
入学時の書類には

「バドミントン部入部希望」

と筆圧高く書いたのですが、僕はおろかな世間知らずでした。

中央大学というと、知る人ぞ知るバドミントンの名門大学で
過去には小島一平、銭谷欽治、長谷川博幸、西山博司、辻田泰昌
(敬称略)など、全日本トップクラスの名選手をあまた輩出して
きた強豪大学で、基本的にセレクション(スポーツ推薦)でしか
入部できない仕組みなのでした。
僕のようなバド弱小高校出身の底辺レベルの選手など、はしにも
棒にもかかりません

かろうじて入学時にはその事実に気づいた僕は、それならば
その次のレベルのクラブに、ということで、チョイスしたのは
「バドミントン同好会」でした。

ここは前回の記事でも書いた、高校時代の他校の先生である
青柳先生が所属されていたクラブで、青柳先生というのは、当時の
僕から見てトンデモなく強かったので、その方が所属したクラブ
ならば、それなりに高いレベルでやれるのではないか、という
ことで初めから入部(入クラブか)を決めておりました。

このクラブは、セレクションで体育会には入れないまでも
それに準ずるレベルのクラブであり、先輩には前出の青柳先輩
始め、IH団体優勝のメンバーが居たり、後輩にもIH選手、関東
大会BEST4など、それはそれなりに強い人も居る同好会としては
なかなか実力の高いクラブでした。

大学には数え切れないほどのサークルがあり、入学式直後は
新入生勧誘にキャンパスが異様な盛り上がりを見せるのですが
僕はお目当ての「バドミントン同好会」の出店に一心不乱に
まっすぐ向かいました。

その出店ではA野先輩が居られたのですが、熱心な勧誘はなく
入りたけりゃ入りなよ、的な、放っておいても入る奴は入る
だろうという余裕みたいなものを感じました。
悪く言えば全く積極的ではありませんでした。

すかさず入会を決め、いざ最初の練習へ。

僕は全然強くない、どころかむしろ弱いほどの実力でしたが
それでも一応経験者なので、練習ではゲームくらいはさせて
もらえるものだと思っていました。

ところが、初回の練習では全然打たせてもらえず、いきなり
トレーニングばかりやらされるのです。

僕は体力には自信がありましたので、その程度のトレーニングは
お茶の子さいさいでしたが、新入生の中には運動未経験者もいて
そういう人は厳しい!?トレーニングに汗だくになり息は
絶え絶えになり、苦悶の表情を浮かべておりました。

そのココロはどうやら、最初にトレーニングをやらせて、やる気
の度合いを計り、人数を絞ろうという作戦だったようです。

最初は練習時間の8割はトレーニングでした。残りの時間で
基礎打ちを少しさせてもらう程度でした。
それでも新入生だし、郷に入らば郷に従え、ということで
僕は不平不満などおくびにも出さず、淡々と練習をこなして
いきました。

正規の練習では、そんな感じで全然シャトルを打たせてもらえ
ませんでしたが、練習とは別に「一般開放」と呼ばれる練習が
あり、これは普通に体育館の一般開放に、同好会のメンバーが
集まってゲームをするというありがたい企画!?なのでした。

この一般開放で、僕は何故か当時3年生のエース(古谷さん)と
シングルス対戦することになってしまったのです。

古谷さんは、青柳さんの高校の後輩で、当時の僕から見たら
僕より遥かに実力は上で、ダブルスなど非常にスマッシュも速く
迫力のある試合をされていました。

ところが、この試合で僕はいきなり古谷さんに勝ってしまった
のです!
思えば完全にたまたまだったのですが、背の高い僕のカット
スマッシュがよくノータッチで決まって、勢いだけで押し切った
のでした。
その練習に来ていた他の先輩方も「おお!古谷に勝つ一年生が
いるとは!」と僕は少し一目を置かれる存在になってしまい
ました・・・

と、まだまだ続きますが、長すぎるので一旦休憩です!?
この後も一応「to be continued」にしておきます。
だいぶ忘れてきているのですが・・・

ではバドの話。

<ドロップでエースを狙わないようにしよう>

バドのようなラリー競技は、決められた大きさの四角いコートが
あります。
そこでの狙いどころは、基本的には四隅、ということが言えます

しかし、本当の意味の四隅を狙うと、ミスしやすくなってしまう
ので、以前にも、コートの本当の四隅のピンポイントは狙わない
ようにと書きました。

それに通じる同じ意味合いでもあるのですが、シングルスでも
ダブルスでも、ドロップをネット中段に掛けるようなミスは
あわよくば!とドロップでエースを狙っているからだと思います

その気持ちは分からないではないですが、ネットは言わずと
知れた障害物であり、これを越えなければ全く意味がありません

意味がないどころか、ラリーポイント制では即失点ということで
強く留意すべきは、まずはネットを越えさせること、にあります

ネット際すれすれに落ちて、ノータッチエースを奪う気持ちは
確かに気持ちは爽快です!

ですが、例えば1本のエースを奪いたいがゆえに、5本ミスって
しまうのでは、ラリーの構築として全く得策ではありません。

ですので、ここで僕が強調したいことは

相手に取られても構わないので、まずはネットを越させよう

ということです。
ノータッチエースが奪えなくても、ミスらないで相手の体勢を
崩させて、ラリーを継続できるのであれば、そちらの方が遥かに
優れた戦術と言えます。

そのためには・・・

ネットすれすれは狙わないことです。
そして、ドロップでエースを取ろうと考えないことです。

その場合は、何よりもまずはネットを越して、相手コートに返す
というのが得策だと思います。

具体的にどうしたら良いのか?

それは、球足を長くするのです。

相手の両サイドハーフに着弾させるくらいのつもりで打つのです
力加減によってミスが出る可能性のある打ち方はしない方が良い
と思います。

そういう僕自身も、ラウンドの奥からストレートに落とす
ドロップは、よくネットに掛けてしまう傾向があります・・・

分かっていたら直せよ、って話ですが、分かっていてもなかなか
対応できないのが人間ってもんです!?

甘い球であっても、ネットに掛かる球よりは遥かに良いです。
その点を意識して、あまりネットすれすれのドロップは選択を
避けた方が良いと思います。

***************************

全日本総合が終わりました。
TVで放映したのは、イケシオの出場した混合ダブルス決勝でした

僕はしっかりHDDレコーダー(まだブルーレイではない・・・)
にて録画予約して、日曜の夜に「どれどれ、どんな試合だったの
かな?」と再生してみました。

あれ?何かおかしいぞ?

そうです!皆さんも同じような思いをされたかもしれませんが
全日本総合の前の番組である、ホッケーの試合が延長戦に突入
してしまっており、バド放映時間が延長時間分後ろにずれて
しまったのです!

「これは途中で切れてしまうかな」と思いましたが、幸いにして
録画予約していた時間きっちりに、バド放映時間も終了しました
なぜなんだろう???

肝心の試合内容ですが、見ごたえのあるいい試合でした。
混合ダブルス一本に絞って練習を重ねてきたイケシオに対し
ディフェンディングチャンピオン平田前田の意地の戦い。

序盤、平田前田ペアがグンとリードして、ああこのまま行くのか
なあと思いましたが、そこから追い上げ逆転したイケシオペアが
第一ゲームを先取。

第二ゲームは、デュースの激戦を制した平田前田ペアが取り返し
勝負のファイナルゲームにもつれこみました。

ここで文句があります。それは二ゲーム目終盤のミスジャッジ
2本です!
前田選手がフォア側のネット前から、ストレートにプッシュして
見事に決まったショットを、線審は「アウト」の判定。

スローで見ても(って、通常の映像で見ても)あれは100%
インでした!

どんな試合でもミスジャッジはいけませんが、他ならぬ全日本
総合の決勝戦で明らかな見落としをするようでは、失礼ながら
線審失格だと思います。

微妙ならば同情もしますが、あれは明らか過ぎるインでした。
全英シングルス決勝での、マッチポイントで田児の見送った
アウトの球をインにされたのを思い出しました。

選手達は、この試合に勝つ為に、どれほどの努力・精進・思いを
積み重ねてきたと思っているのでしょう。
20−3とかの状況ならばともかく、そのゲームを落とすと
平田前田ペアは負けになってしまう大事な大事な終盤です。

しかもその直後、平田選手がプッシュした球(だったかな?)が
池田選手のラケットに当たりながらコート外に出ましたが
これを審判は「アウト」の判定。
これについては、解説をしていた舛田圭太氏も

「これは当たっていますねえ」

と、解説の方すら穏便に済ませられないくらい、明確に当たって
いたのでした。

僕はビデオを見ながら、一人で憤慨していました。
「何を見とんねん!」と。

しかし、そんなトラブルにもめげず、平田前田ペアは第二ゲーム
を取り返し、そして一進一退のまま終盤に進んだファイナルも
平田前田が底力を見せ付けて、昨年に続いて連覇しました。
おめでとうございます!

池田選手が少し力み気味でミスが多かったかな・・・
前田選手の上手いサーブを、池田選手は「待った」の形を多用
して、前田選手のペースで打たせないよう工夫をしていましたが
平田選手の粘り強いレシーブ、冷静な配球、強烈なスマッシュが
少し秀でていたように感じました。

イケシオはイケメンと美女ペアで、マスコミからも注目されて
いたので、僕としては判官びいきじゃないですが、ミスジャッジ
の不運もあった、平田前田ペアを応援していました。

ゲームセットの瞬間は、自分のことのようにガッツポーズをして
しまいました!?
ここだけの話!?その目の前には、美味しい焼酎グラスがあった
ことをご報告させて頂きます(^^;

今月は師走。忙しい月です。
26日には社会人リーグ戦初日を迎えます。
前回、昇格を賭けた試合で負けて、8部現状維持となってしまい
ましたが、今回こそは何とか優勝して、7部に上がりたいです。
45歳の僕には、もう足踏みなどしているヒマはありませんので

そして来年1月22日23日は近畿シニアです。
全日本と同じ、35歳ダブルス、40歳シングルスに出場します
正直、全日本の後あまり練習もトレーニングもできていませんが
まだ1.5ヶ月ありますので、今週末から本格的に、体鍛え
モードに入りたいと思います。

明日は5時39分の電車に乗って、東京出張です。
ここ4日間連続で、リビングで寝た僕は確実に睡眠不足です。
明日の新幹線で、デカイ男が口を開けて爆睡していたら、それは
僕の可能性、巨大です(^^;
僕に気づいても、そっとしといて下さいね。
ほっといても、ヨダレが垂れた瞬間にビクッと起きますので!?

ではまた。
posted by まさやん at 00:00| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック