2019年07月10日

一本を欲しがらずにプレーしよう

みなさん、こんにちは!超ご無沙汰しておりました。

更新しないまま、あれよあれよと言う間に月日が流れ去り
7月になりました。早くも今年の折り返しが過ぎました。
前回の更新が4月17日でしたので、三ヶ月弱も更新しないで
ワースト記録作ってしまってすみませんでした・・・!?

大阪では、もう毎日真夏のような蒸し暑い日が続き、バドを
するにはなかなか厳しい季節となってきております。
まあ、それでも嬉々としてプレーしているんですけどね♪
ひじは相変わらず痛みますが(^^;

さて、新元号「令和」となり、過去最長の10連休も過ぎ
去って、未だ放心状態の5(6?)月病の方も居られるかと思い
ますが、毎日が連休のような僕にとっても今年のGWは特別な
夢のようなイベントがありました!

そう

「第一回ミズノおもてなしカップジャパン」

に参加してきたのです!
結論から書きますと「超、楽しかった!」大会でした。


開催地は既報の通り、秋田県由利本荘市のナイスアリーナ
です。
ミズノ堀田、辻野さん(今回ミックスを組んで頂いた)と
共に、伊丹からJALで移動して、秋田空港で藤本ホセマリ
さん(以下ホセ)と合流して、レンタカーで会場まで移動
という旅程でした。

秋田県は、何年か前のマスターズで初めて訪れましたが
今回、この大会が開催されることで、初めて由利本荘市と
いう市の名前を知りました・・・(^^;

会場であるナイスアリーナは、昨年末頃完成したばかりの
新築で、施設の全てが新品の香り漂う、できたてホヤホヤの
キレイで、そして非常にデッカイ体育館でした。

今回、僕の立ち位置は「ミズノスタッフ」でしたので、一応
試合には参加させて頂けるものの、現地ではしっかりお仕事
をする必要があるのでした。
と言いつつも、たいした貢献もできませんでしたが・・・

初日、つまり大会前日の僕の初仕事は、スタッフのお弁当
購入でした(^^;
辻野さんと一緒に、空港で借りたレンタカーに乗って
近くのコンビニに、お弁当を買出しに出かけました。

15人分(だったかな?)ものお弁当をローソンで買占め!?
全てをレンジでチンしてもらって、ダンボール箱に詰めて
もらいましたが、コンビニの店員さんも慌てふためいて
おりました。
僕らが大量に一気購入したことで、お店のお弁当の棚が
すっからかんになってしまいました・・・地元の方
スミマセンm(_ _)m

その後会場を設営して、小さな仕事をこなして、19時頃には
僕らはお役ご免。
他のスタッフは、翌日のリハーサルもこなすため、引き続き
仕事をしていました。お疲れ様です。

ちなみに今回の我々の宿は、ナイスアリーナ内の宿泊施設
でした。
体育館にそんな設備があるのは珍しいと思いますが、災害時
の避難所になることも想定してのことだそうで、100名も
宿泊できる畳の大広間があり、今回はそこを3つに区切った
一室に泊まらせて頂くことになったのでした。
そこから見える鳥海山は、まだ真っ白な雪に覆われていて
5月の晴れ渡る青い空に、くっきり、雄大な姿で堂々と
聳えておりました。

DSCN8161.JPG

ちなみに、しっかり大浴場を始め、洗濯機、乾燥機も完備
されており、しかもその全てが新しいので、そこが体育館
であることを忘れるくらい、快適な合宿生活を送ることが
できました。

ミズノスタッフ数名らと僕の6名で雑魚寝と言いながら
人数に対して十二分に広い部屋で、倍の12名で泊まっても
全く問題ないくらいの広さでした。

DSCN8163.JPG

肝心!?の飲み会は・・・体育館の周りにはあまり選択肢は
なく、初日は歩いて5分くらいのところにあるラーメン屋
さん(夜は居酒屋メニューがある)で軽く済ませました。
できることなら、秋田の地元料理・お酒を堪能したかった
ですが仕方ありません。


明けて翌日。いよいよおもてなしカップの開催です!

今回、宿が体育館でしたので、移動時間がほぼなしなのは
非常に楽でした。

ミズノにとっても初めての大きな大会。いったいどんな
感じになるのかとワクワクしていましたが、MC堀田がマイク
で日本語と英語でアナウンスを始め、みなそれに聞き入って
おりましたが、突然会場が暗くなり、ナイスアリーナの
天井中央部分に設置されているマルチビジョンに、ミズノ
と用具契約しているトップ選手達(松友美佐紀、奥原希望、
アッサン・セティアワン)がおもてなしカップへの応援
エールを話す映像がいかした音楽と共に流れて、会場の
雰囲気は俄然盛り上がりました。

試合の種目は年代別男子ダブルス、女子ダブルス、そして
ミックスダブルス。僕は50歳男子ダブルスとミックスに
出場させて頂きました。

初日はダブルス。僕のパートナーはミズノの中嶋さん。
同い年です。シングルスでは大阪総合で何回か対戦した
ことはありましたが、組ませて頂くのは初めてでした。

試合は4〜5チームに分かれたリーグ戦で争い、リーグ1位か
2位になれば、決勝トーナメントに進めるという形式でした。

僕らのリーグは、千葉の強豪後藤さんペア、そしてタイと
中国という、国際大会にふさわしいバラエティに富んだ
対戦相手でした。

初戦は中国の方でしたが、う〜ん・・・ここは相当な実力差
があって、何か普通にプレーするだけで申し訳ないような
気さえしましたが、普通に楽しくプレーして、しっかり
きっちり勝たせて頂きました。

続く二戦目は千葉の後藤さん伊藤さんペアでした。
後藤さんが強いのは分かっていましたが、伊藤さんも長身で
しかもスマッシュの威力がものすごく、また前への突っ込み
も相当速く、僕らも頑張りましたが押し切られる形で完敗と
なってしまいました・・・

リーグ最後はタイ人ペアとの勝負です。
タイ人とダブルスするなんて初めてでしたが、タイ人には
タイ人特有の球回し、ラケットワークがあって、普段あまり
体感できないようなショットが飛んでくるのが、なかなか
楽しかったです。
後で聞いた話によると、相手の選手はタイでレッスンプロを
しているとのこと。同業者として負けられない思いでしたが
相手は二人ともレベルが高く、第二ゲームこそこちらの勢い
が勝って取りましたが、ファイナルは相手の速いドライブを
打ち損じる場面が目立ち、半分くらいの点で負けてしまい
ました・・・

1勝2敗では、リーグ2位にはなれず、残念ながら箱抜けする
ことはできませんでした。

初日のカードで興味深かったのは、ホセ・中村VS小川・谷藤
の戦いでした。
僕の予想ではホセペアの圧勝と思っていましたが、小川谷藤
ペアは猛攻につぐ猛攻で遜色ないラリーを展開。あわや第一
ゲームを奪うかという健闘を見せ、大いに会場を盛り上げて
くれました。
惜しくも接戦の0-2で破れましたが、小川谷藤ペアの強さに
感心しきりのまさやんでした。

初日を終え、ミズノスタッフと、中嶋さんがおススメする
美味しい焼き鳥屋さんで宴会ということになりました。

おススメのお店だけあって、雰囲気も味もお値段も良くて
お箸もグラスも全くブレーキが掛からず、気がつけば恒例の
泥酔状態へと転落しておりました・・・(^^;

書き忘れておりましたが、ミズノスタッフには、僕が高校
時代から友人の長澤がおり、昔と一切変わらない軽妙な
トークに、爆笑させられることしきりでした。僕も長澤や
堀田、中嶋さん始め、その他のミズノスタッフや、NSS
ワークスの田中さん、元JR北海道の竹村さん他、気の良い
リラックスできるメンバーに恵まれて、僕の軽薄なトークも
炸裂しておりました。

お開きとなっても、帰りにスーパーに寄ってお酒やおつまみ
を買い、当然の部屋飲みへとなだれ込みました。

その時、僕がテニス肘で困ってるという話をしたら、プロ
トレーナーのホセが、今流行!?の筋膜リリース療法を僕に
施してくれました。
どんな療法かと言うと、バナナサイズのでっかい箸置きの
ような金属を使って、患部周辺をグリグリと擦って、筋膜を
剥がす!?という、それはそれは過激な荒療治です。

ホセは僕の右手を持ち、床屋さんが剃刀の刃を細い布で研ぐ
ような動きで、僕の前腕上部の筋肉を、これでもか!という
くらい強く激しくグリグリやってくれるのです。

最初はちょっといてぇなぁくらいでしたが、そのうちホセが
全力を発揮して、橈骨(前腕2本ある内の親指側の骨)の
手首寄り付近を、ゴリゴリゴリゴリ、皮膚が、骨と金属で
すり潰されそうなくらいに擦るので、泣きそうな声を出して
「いたたたたぁ〜!」と体をくねらせて、必死で我慢して
おりましたが、ホセは冷徹に

「こんな状態になるまでほっとくのが悪いんです」

と厳しい一言を投げかけつつ、淡々とゴリゴリを続けて
くれました。

5分近くはやってくれたでしょうか。施術後は、何か少し
肘の痛みが軽くましになったような感じがしましたが
あまりにもグリグリが痛かったので、それが終わった解放感
から来ているのかどうか、実際のところは不明でした!?

施術してもらった前腕の、翌日の写真です。こんなにまで
なってるとは、僕もビックリしました。

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飲み会は深夜まで続いていたようですが、疲れと激しい飲酒
から、僕は知らない間に、座布団を二つ折りの枕にして
畳の上で熟睡してしまっておりました。

明け方近くになり、僕は自分の布団に戻ろうとしましたが
寝ぼけていた僕は、僕の布団の反対側のホセが寝ている
布団にもぐりこもうとして、彼を起してしまいました。
スミマセンでした・・・


二日目はミックスの日です。
僕は、辻野さんと合計100歳ミックスにエントリーしており
ました。

辻野さんはレディース連盟のわかばクラブに所属されており
レディースだとあまり知らない場合が多いのですが、辻野
さんは、審判活動にも頻繁に協力されており、そこで何度か
会話を交わしたことがあったのでした。

辻野さんは僕と同じく、ミズノバドミントンスクールで
講師をされており、今回のおもてなしカップも、僕と同じ
立ち位置での参加だそうで、辻野さんの希望で僕と組んで
出ましょうということになったのでした。

ミックスもダブルス同様、いくつかのブロックに分かれての
対戦となりますが、100歳ミックスは人気なのか、大会最大
5ブロックに分かれておりました。

僕のブロックは4ペア。中国、香港と、タイ国在住ながら
日本として参加されていた、友人の田中晃二さんとその友人
ペアが居られました。

朝一の試合がその田中さんとの試合だったのですが、いやぁ
この試合は本当にエンジョイさせてもらいました!
友人だからということもあり、笑いあり、奇声!?あり
ラリーの合間には冗談が飛び交ったり、おそらくその時間帯
でフロア内で一番盛り上がった試合だと思いましたが
これには地元審判の方も

「ここは本当に楽しそうにやってますねぇ♪」

と笑顔で語りかけるほどでした。これぞおもてなしカップ!
全日本シニアとは、一味も二味も違って、和気あいあいの
雰囲気が、全日本シニアよりも数倍楽しい感じがしました。

そんなはしゃいだ雰囲気ながら、試合自体はガチでプレー
して、全然練習できてない田中さんのパートナーさんの
笑顔のミス!?が目立ち、何とか勝つことができました。

続く中国、香港ペアとの対戦も何とか勝てて、望外の決勝
トーナメント進出が決定したのでした!スゴい!

他のブロックでは、シニアの強豪、櫟と竹田さんがブロック
2位で箱抜けできないところもあったので、これは組合せに
助けられたというほかありません。

参加人数の関係で、決勝トーナメント進出、即、メダル確定
でしたので、これにはもちろん僕もでしたが、パートナーの
辻野さんがたいそう喜んでおられたのが印象的でした。

勝ち残れて満足な一日を終え、その日の夜はおもてなし
カップ中のビッグイベントと言って差し支えない、ミズノ
主催の「おもてなしカップ親睦会」、つまりパーティーが
開催されることになっておりました。

地元のホテルの宴会場を貸切で、総勢100名弱の参加選手達
が一堂に介し、ミズノ堀田の英語を交えた巧みなMCによって
和気あいあい、そして次第に大盛り上がりのナイスな
パーリーへと変貌し、そこここで会話が弾み、笑い声が
聞こえる楽しい楽しい夢のようなひとときを過ごすことが
できました!

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全員同級生の同い年!(昭和40年生まれ)

会場の一角では、秋田の特産品「きりたんぽ鍋」と「いぶり
がっこ」(たくわんの燻製。チーズを乗せて食べるとこれが
なかなか旨い!)が用意されていて、戦後の配給のように
長い行列ができるほど大人気でした。
僕はきりたんぽは初めてでしたが、旨みのあるだしがくせに
なりそうでした。またぜひ食べたいです。
いぶりがっこも気に入りました。お酒のあてには最高かも。

親睦会は盛り上がりの中、あっと言う間にお開きの時間と
なり、参加者たちはみなご満悦の表情で帰っていかれました。

僕はミズノスタッフと、これまた楽しい二次会へと突入した
ことは言うまでもありません(なら言うな!?)

DSCN8185.JPG

明けて翌日。各種目準決勝以上が行われる最終日です。
ラッキー!?で、ミックスの準決勝に残った僕と辻野さんの
対戦相手は、なんとダブルスパートナーの中嶋さんと佐藤
さん(北海道の櫛山さんのパートナー)でした。
佐藤さんは昨年の全日本シニアダブルスチャンピオンであり
元サントリーの実業団選手。上背もありパワーもスピードも
あって、僕の感覚としては男子ダブルスと対戦している
ようでした(^^;

これははっきり言って、我々には荷が重過ぎる相手でしたが
一応!?ベストを尽くして頑張りました。が、全く歯が
立たず0-2で完敗でした。まあ、これはしゃあないです。

となると、中嶋佐藤ペアに優勝目指して頑張ってもらって
コーチ席から激励兼ねて応援しておりましたが、決勝の相手
が強く、しかも男性が両利きで、普通は右で打っているの
ですが、ネット前でラケットを左手に持ち替えて、それで
強く打ってくるので、面食らうというかバック側に打った
つもりがフォアになってしまって、それでも随分点数を
取られていたように思いました。

しかし堂々の準優勝!中嶋さん、佐藤さん、おめでとう
ございます!

国際大会らしく、表彰式ではなく、メダルセレモニーという
形で、初代メダリスト達への授与式と写真撮影が行われ
ました。
写真は既に、おもてなしカップのサイトにアップされており
ました。僕は恒例の完全なる作り笑い、じゃなくて本当に
喜んでおりました。

大成功裏に終わったおもてなしカップ。
ミズノの皆さんは、準備・当日の運営、そして後片付け等
それはそれは大変なご苦労だったと思いますが、参加者の
方々がとっても満足して喜んで帰られた大会だったので
その苦労もきっと報われたのではと思いました。

帰りはミズノ森本さんの運転するレンタカーに、辻野さんと
同乗させて頂いて、秋田空港まで送って頂きました。
森本さん、鳴尾部長、どうもありがとうございました。


楽しさが十分に伝わったかどうか分かりませんが、僕は
来年以降もぜひぜひ出場したいと思いました。
来年の開催地は京都だとのことですので、観光兼ねて
皆さんもぜひ参加されることを、強くおススメ致します!

そしてそして、恐らくは一番大変だったと思われる堀田どの
本当にお疲れ様でした。そして大変お世話になりありがとう
ございました!

京都なら家から通えるけど、また泊まりで行こうっと!?



<大阪社会人個人戦シングルス>

時期は前後しますが、4月20日は大阪社会人個人戦の
シングルスでした。
ダブルスが不甲斐ない初戦負けでしたので、シングルスでは
頑張りたいと思ってはいたものの、何ら練習状況は変わって
おらず練習による自信は持てそうになかったので、何も
考えずフラットな気持ちで、当日のベストを尽くして
頑張るしかないなと開き直っておりました。まあ、それは
いつもの通りですが。

僕は第一シードでしたので、一回戦はパス。
二回戦は、辻さんという初顔合わせでしたが、ここは難なく
2-0で勝てました。

続く準決勝は、倉田さんが上がってこられると思っており
ましたが、倉田さんを下したTWBの多畑さんとの対戦となり
ました。
ここも練習不足のボロを何とか出さずに済んで2-0で完勝。
決勝は、もう何回やったか分からない同じクラブの真野くん
でした。

いつもの僕なら、真野くんに負けるイメージはなく、真野
くんにしても、僕に勝つイメージはないとは思っていたの
ですが、いやな予感通り、やはり苦しい戦いとなりました。

第一ゲームは終盤までずっと競り合って、最後の数点で
真野くんがミスってくれて、何とか先取。

しかし続く第二ゲームは、僕の息も上がり気味、体も動か
なくなってきて、一方の真野くんは、それを見てかどうか
動きもイキイキ、アグレッシブにドリブンクリヤーや
スマッシュ、プッシュで攻撃を重ね、あれよあれよと言う間
に、6-13の大量リードを許してしまいました・・・

取られた点数も点数ですが、内容がもう全然押されっ放し。
これはファイナルになってもしゃあない点数と思いつつも
ファイナルになって同じ展開だと、きっと負けてしまって
真野くんに単複二冠を献上させてしまうことになって
しまいますが、どうもそうなりそうに思われました・・・

そこまでの僕のプレーは、まずサーブが浅く、真野くんに
一発のスマッシュで決められることが多かったと思われ
ました。
なので、急にはプレーは変えられないけど、せめてサーブ
だけはしっかりきっちり打って、バックバウンダリーライン
まで飛ばして、一発で決められることは何とか回避しよう
そして、一本一本ラリーを丁寧に、真野くんのバック奥に
送って、頑張って続けよう、いや、続けるしかない!と
覚悟して、そこからサーブを集中して打って、ラリーを
一生懸命頑張りました。

するとどうでしょう!?次第に1点、また1点と僕の加点が
続き、それに焦ったのか真野くんのミスはさらに加速度を
増し!?気がつけば18オールと、7点差を追い付いたのです!

こうなると俄然、僕は息を吹き返し、しかし焦って一発狙い
で欲しがることなく、同じ方針でしっかりきっちりラリー
し続けた結果、そのまま押し切って大逆転の21-18で望外の
(本当にそうです)優勝を果たしたのでした!
ヤッター!

第二ゲーム、6-13となって、しかも押されっ放しだったので
今回ばかりはもうダメだと冷静に判断していました。
が、一応できることをやって最後まで頑張っていたら
相手の方から崩れてくれて、自分でもビックリの大逆転と
なりました。

真野くんも相当悔しそうでした。真野くんいわく

「チクショー! でも、どこ打っても取られるから自分から
出してしまいました・・・」

と言っていましたが、どこ打っても取られるなんてはずは
なく、それは真野くんの大いなる勘違いなんですけどね。
でもまあ、その勘違いのおかげで逆転できたようなもん
ですが(^^;

試合後は相当疲れ果てましたが、まさかの優勝でしたので
嬉しい一日となりました!これで4連覇なのも嬉しい!!

その他の結果は以下の通りです。

http://oscbr.minibird.jp/result019.html



<大阪総合>

今年の大阪総合は、シングルスだけのエントリーでした。
6月1日、場所は岸和田市総合体育館です。

前述の社会人個人戦は、運よく優勝できましたが、さすがに
試合数も多く、実力も上がる総合は無理だろうと、これまた
冷静に判断していました。

初戦の相手は園部さん(大阪ガス)。幡野さんの高校後輩
です。
ダブルスでは確か一度対戦したことがありましたが、多分
シングルスでは初対戦でした。

どんな感じか分からなかったので、と言うより僕のいつもの
ペース、つまりクリヤーでバック奥に押し込んでラリーを
長くする、甘い球が来たら打つ、ネット前はフェイントを
掛ける、を実行するしかなく、初戦から淡々とプレーして
いましたが、当日のシャトルの飛びに全然慣れず、ジャッジ
したらイン、が何本も続いて、そして園部さんの攻撃も
ちょいちょいこちらの逆を突く配球で対応が遅くなって
しまい、良い所なく14-21で第一ゲームを落としました。

「やっぱりアカンなぁ」と、実力の低下を強烈に実感しつつ
しかし、それならそれで、その状態でのベストを尽くすしか
ないので、開き直ってクリヤーを何本でもつないだろうと
思いました。

当日の体育館はかなり蒸し暑く、第一ゲームを終えて、僕の
ウェアからは汗が滴り落ちるほど、グッショリとなる程で
園部さんもきっと厳しいだろうなぁ、とは思いました。

第二ゲームになると、その予想は当たり、園部さんの疲労は
色濃く、僕のバック奥へのドリブンクリヤーを、苦しそうに
追いかけているのが分かりました。

そうと分かれば、執拗にそれを続けるのみ!
僕は浅くなって打てるような球でも、クイっと効かせて
しつこくバック奥にクリヤーを打ち続け、園部さんの体力を
徐々に枯渇させていきました。

僕もしんどかったですが、相手が疲れているのが分かると
元気と勇気が湧いてくるものです。

僕のドリブン攻撃に、園部さんは完全にバテてしまって
ラリーが切れたら、隣のコートのコーチ席におどけて座り
込むほどでした(^^)

結局、第二ゲームは21-4で完勝。ファイナルも同じ方針で
続けて21-10で逆転勝利。何とか一回戦負けは免れました。

続く二回戦は第三シードの長谷くん(パナソニック)です。
長谷くんとの対戦は初めてでしたが、彼は30代の頃には
大阪総合シングルス4連覇!している強豪ですので、厳しい
戦いになるだろうと思っていました。

しかし、長谷くんは昔に比べて、かなりお腹が大きくなって
おり、その分動きも遅くなってしまっており、一発一発の
ショットに威力はありましたが、それを何とか拾って返して
いくと、彼が拾いきれない場面が目立ちました。

実は当日、長谷くんのシューズの底が剥がれてしまっており
その状態でのプレーだったので、動きに多少の影響があった
かもしれません。

長谷くんには21-15、21-9で完勝して、準決勝へ。

準決勝は、大阪社会人でもやったばかりの真野くんでした。
前回は勝ちはしたものの、大苦戦の末の逆転勝利でしたので
今回も簡単にはいかないだろうと思っていました。

実際、序盤0-4とリードを許し、しんどい展開にしてしまい
ましたが、それが実力なので仕方ありません!?
しかし、前回と違ったのは、最初からサーブがしっかり奥
まで打てていたこと(これは意識していました)、そして
前回の時に比べたら、少〜しだけ練習できていたことが
効いて、第一ゲームこそ21-17と接戦でしたが、第二ゲーム
は21-9の完勝! 最後は気持ちにも余裕がありました。

これまた完全に望外の決勝へ!

決勝の相手は、予想通り大阪ガスの大井さんでした。
僕の本音を言うと、今回はまず優勝は無理だろう、運良く
決勝にたどり着けたとしても、大井さんには勝てないだろう
と思っていました。

と言うのは、今まで十分練習していた時の大井さんとの対戦
成績が2勝1敗。初戦こそ2-0での辛勝でしたが、2回目は
ファイナルの逆転負け。3回目はファイナルの逆転勝ちと
実力的にはほぼイーブンだったので、今の状況ではまあまず
歯が立たないだろうと思っていました。

が、あれこれ考えてもしゃあないので、今日できるプレーを
しようと開き直って臨みました。

大井さんも、過去の対戦成績はしっかり把握されていた
ようで、トスの握手の時

「対戦成績をイーブンに戻さんと」

と言われました。

つまり「今日は勝たないと」ということです。
僕はそれを聞いて、ただニヤニヤしていただけですが、心の
中では

「多分、そうなると思います」

と、一見、弱気のようで、実に客観的な診断を下しており
ました(^^;

大井さんとの過去の対戦では、お互い闘志満々で、一発
決まるごとに「ヨッシャー!」と大きな声を出して
いましたが、今回僕は淡々と無表情でプレーしていました。
何か考えがあったわけではなく、気合を入れてどうなるもの
ではないと思ったからです。

第一ゲームは、そんな感じで淡々とプレーしていましたが
大井さんの方がどうも少し気負っていたみたいで、いつもは
あまりしない凡ミスを多く出してくれて、あまり苦労する
ことなく、21-13で先取しました。
これには僕もびっくりしました!?

となると第二ゲームもひょっとして?と淡い期待を抱き
ましたが、やはりそう簡単にはいきません。
徐々に動きの良くなってきた大井さんのショットがきつく
なってきて、また僕のクリヤー主体の攻撃を読まれて、逆に
クリヤーで押し返されて、前に落とされて決められることが
多くなって、点数は拮抗、というより中盤で少しリード
される苦しい展開でした。

そこで僕も大井さんの考えに気付いて、クリヤーばかりで
なく、前にもドロップを落とすようにしてみたら、やはり
それが結構効いて、そうなるとまたクリヤーも効いてきて
しかし、大井さんもガンガンスマッシュを打ってきて・・・
と、第二ゲームは終盤まで一進一退の大接戦となりました。

18オールから、一本取っては取られ、一本取られては取り
返しでセッティングとなり、21点目は大井さんに握られ
ましたが、気合のストレートスマッシュで取り返し21オール
に追い付きました。

この時は本当に精神的にキツかったですが、その時は

「ファイナルになってもしゃあない。頑張って相手の球を
強く返してコートに入れよう」

とだけ考えて、淡々と、しかし気持ちは集中してラリーして
いました。

僕の22点目は、フォア奥へ浅い球が返ってきたので、それを
飛びついてクロススマッシュでエース!これで22-21の
マッチポイントです。

続くラリーは、僕のフォアサイド側に、やはり甘い球が
返ってきたので、それを思い切ってクロスにドライブ!
これがノータッチエースとなり、僕はそこでようやく大きな
雄叫びを上げて、完全な予想外の優勝の歓喜を爆発させて
渾身のガッツポーズでした!やったー!

コーチ席で応援してくれていた楠本さんと嫁さんに嬉しい
ハイタッチ!
楠本さんについていてもらっているだけで、非常に心強く
勇気と安心感を持ってプレーすることができました。
楠本さん、どうもありがとうございました。

この優勝で、大阪社会人クラブ個人戦以上の公式戦優勝回数
が47回となり、大台まであと3つとなりました。
2013年に楠本さんが50回を達成されて、そのお祝いで飲んだ
記事を書いたことがありましたが、僕ももう少しで節目に
到達しようとしています。

優勝50回達成時には、記念の盾でも自分で作ろうかな!?
でもまずは、ひじを何とかしなければ・・・



では、そろそろバドの話。


<一本を欲しがらずにプレーしよう>


バドミントンはラリー競技ですので、相手とのラリーに
勝たないとポイントが入りません。
となると、1点を取るためには、できるだけ強い球をできる
だけ厳しいコースに打っていって、エースを奪いたいのが
人情ですが、そうすると却って相手にポイントを献上して
しまうことが多々あります。

それはなぜかと言うと、ライン際々、ネットすれすれを
狙って強く打ったら、ノータッチエース以上にミスして
しまうからです。

トップレベルになれば話は別ですが、我々レベルではきっと
エースよりミスで点数が動くことの方が多いのではないで
しょうか?
しかも相手に打たれてのミスではなく、自ら打った球の
ミスで。いわゆる「Unforced error」というやつです。

特に顕著に現れるのはシングルスの時です。ラリーを続ける
のがしんどいので、一本でラリーを切ろうと思って、カット
やスマッシュをライン狙って打ってアウトにしてしまう。
これはジュニアの試合で、よおく見かけます。日常茶飯事
です(^^;

なので、僕がジュニアのシングルスのコーチ席に着いた時に
言うことはほとんどいつも一緒で

「ラリーやでラリー!何本でもつないでつないで、相手の
球を全部返したれ!クリヤーで押し込め!」

って言っています。それがなかなかできないから、いつも
同じことを言う羽目になってるのですが・・・

ダブルスでも同じで、よく見かけるのがサイドアウトのミス
です。
少しでも相手から遠いところを狙って、ノータッチエースを
あわよくば、なんて考えているので、コントロールが乱れて
サイドアウトしてしまうのです。

相手も二人居るので、ノータッチを狙ったって、どのみち
取られます。
どうせ取られるのだから、相手に取らせて(触らせて)かつ
それで相手のレシーブミスを誘うべきだと思うのです。

端っこ狙いじゃなくて、タッチの速さ、つまりスマッシュ
→レシーブ→プッシュで相手の取り損じを狙うのです。

僕が毎年審判協力しているインターナショナルチャレンジで
サイドラインの線審担当になることがありますが、そこで
男子ダブルスなどに当たると、ラリー速度がめっちゃ速い
ので、際々をミスジャッジしたらどうしよう、と心配した
こともありましたが、実際あのレベルの選手になると
ダブルスのサイドラインギリギリいっぱいになんて決して
打ってきません。

サイドへは、行ってもシングルスサイドラインの少し外側
くらいまでが限界で、サイドアウトなんて皆無と言える程
サイドラインのジャッジ機会は少なかったのです。

そうやってサイドアウトしてしまうのは、やはり一本が
欲しいあまりに、ギリギリを狙うのが原因だと思うのです。

そうではなく、相手が取るのは当たり前の大前提で、その中
でのタッチの速さ、ショットの威力、コースの打ち分け等で
相手のレシーブミスを誘う、というのが、健全な!?考え方
なのではないでしょうか?

早く点を取るよりラリーを存分に楽しんで、ラリーの内容で
勝って点数を少しずつ積み重ねていく。この方が結果的に
無駄な失点を減らして、つまりそれが勝利に近づいていける
んじゃないかと僕は思っています。

一本を欲しがらずに、淡々と、しかし虎視眈々とチャンスを
待って、集中してラリーを続ける。これが点数を取る近道
だと思います。

シングルスはもちろん、ダブルスでも、もしサイドアウトを
してしまったら

「あっ!一本欲しがりのミスが出た・・・」

と反省して、次からは「中、中」(コートの内側に入れて
いこうの意味)でいきましょう!


***************************


7月6日は、毎年恒例の親子大会でした。
僕は去年まで5連覇(かなみ、まち、きすけ、みゆ、かずや)
しており、出れば勝つ、と、きっと周りも本人も!?思って
いたことでしょう。

今年のパートナーはしほでした。
僕は毎年6年生と組むことになっており、あの小さかった
しほが6年生とは、と月日の流れの速さを強く感じます。

僕の出場するおとなと子どもチャンピオンシップの部への
参加者は5ペア、その内3ペアが田原スマッシュからでした。

初戦は芳郎コーチとたけるペア。ここはたけるの調子が
イマイチで、芳郎コーチもフォローしきれず、僕らの完勝
でした。

つづく決勝は、田原スマッシュの田原(たはら)コーチと
ゆうきペアでした。
田原コーチは、SSDS所属の好青年で、この4月くらいから
チームを指導してくれており、戦績では、何と若葉カップ
優勝!、そして、今年の大阪総合一般混合複でも三位に
入る強豪なのでした。

そのペアとは、田原スマッシュの練習でも対戦しましたが
1-1のイーブン。どちらが勝ってもおかしくない戦いです。

29点の1ゲームマッチで、15点のチェンジエンズは僕らが
先に取りましたが、終盤になり田原コーチのショットが
厳しく、数点リードを許して相手ゲームポイントとなって
しまいました。

絶対絶命のところを何とか追い付いて、僕も大きな声を
出して気合を入れて、29オールから何とか2点を!と思い
ましたが、ゆうきのプッシュをレシーブしたのを田原コーチ
に強く打たれて相手マッチポイント。

最後、田原コーチのショートサーブを、僕がバック奥に
押し込んだのが、痛恨のサイドアウトミスで万事休す。
最後の最後で一本欲しがってしまった正岡コーチの
大大チョンボでした・・・しほ、本当にゴメンm(_ _)m

優勝ペアにだけ盾がもらえるので、それをしほにあげること
ができなくて、本当に残念で申し訳ない気持ちでした。

親子チャンピオンシップの部も、田原スマッシュ同士の戦い
となり、文元・ひなペアが、ショット鋭く迫る古川・ひろき
ペアを僅差で振り切り連覇達成!おめでとうございます。

親子で組んで試合する大会なんて、そうそうないので
みんなとても楽しそうにプレーしていましたし、他の人の
プレーを見るのも楽しくて、和気あいあいとした楽しい
一日となりました。

親子大会の日の夜は、反省!?してHiwakaiの練習に参加
してきました。
終盤、勝山と2回連続で組みましたが、ショートサービスの
成功率、おそらく20%くらいでした・・・
彼とは20年以上の付き合いで、何でも言える関係(だと
思ってる)なので、彼がミスると僕は遠慮なく

「コラーっ!」

っと、体育館中に響き渡る怒号を発して、笑っていました。
当日の夜は、寝屋川市民体育館は、ずっと僕の怒声が鳴り
響いていたと言っても過言ではありません(^^;
かつぅ!これから毎日、ショートサービス100本打ってから
寝ること!
いや、せめて10本だけでも・・・マジで頼むわ。

ではまた!
posted by まさやん at 13:40| 大阪 ☁| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする