室温0℃の厳しい冬が長く続きましたが、最近ではようやく室内で
防寒着を着ることも少なくなりました!?
しかし春になったらなったで、庭の雑草やタケノコが日に日に
勢いを増して、眼には優しい緑色も、精神的には厳しい邪悪な色
に見えてくるのがどうにも困りものです・・・
さて、更新の遅いこのブログは、またまた過去のネタを綴ります。
3月30〜31日は、既報の通り、見市の「卒業旅行」でした。
彼が、3年間勤務していた「大学コンソーシアム京都」の出向が
3月31日を持って解かれることになったので、そのお祝い!?と
いう意味合いでした。
メンバーは、見市兄弟(昌弘・武史)と僕の3人。このメンバーで
これまでもう何回遊んだか数えきれません(^^;
場所は昌弘の希望で、淡路島ということになりました。
当初、南淡を目論んでおりましたが、予約するのが遅かったことと
宿泊が土曜だったので、これはという宿がなく、予定変更して
洲本温泉となったのでした。
洲本というのは、淡路島のちょうど真ん中くらいの東側です。
僕が車を出して、武史を拾い、昌弘を拾って、一路洲本へ!
最初の休憩ポイントは、定番の淡路SAでした。
ここは、明石海峡大橋が一望できる、とても景色の良い、そして
広いSAなのです。
ここにハイウェイオアシスがありましたので、そこで昼食をと
いうことになりました。
僕らがチョイスしたのはお寿司。これはお寿司を食べたかったから
というのではなくて、入りたかったお店が満員ですぐには入れそう
になかったからです・・・
お店の名前は「すし富」 入口に小さな水槽がある、清潔感溢れる
お店でした。
そこで食べた海鮮丼が大正解!
シャリの量は若干控えめながら、ネタの新鮮さと味、そして量は
1,500円という代金を遥かに超える満足度で、僕ら3人は旅の最初
の食事が当たりだったことに、自然とテンションと気持ちが高揚
してくるのでした。写真を撮らなかったのは失敗でした・・・
食後に明石海峡大橋をバックに写真をパチリ。
近くに居たおじさんに撮影をお願いしたのですが、そのおじさんは
「おっ、いいカメラ使ってますね。僕はちょっと写真にはうるさい
んですよ」
と写真撮影が趣味的なことをおっしゃられていましたので、僕は
いい人に頼めたな、と思いました。
「僕はアングルにこだわるので・・・」
と、おじさんは構図を決めるのに結構時間を要していました。
しばしの微調整のあと、おじさんは撮影のベテランらしく、脇を
締め、微動だにしない姿勢で、しっかりとシャッターを2回押して
くれました。
おじさんは撮影後
「ちゃんと時計も入れときましたから」
とおっしゃられたので、後ろを振り返ったら、僕らの後方には
大きな時計があったのでした。
「さすがやなあ」と僕らは感心し、そのおじさんにお礼を言って
別れてから、映してもらったばかりの写真を確認しました。
すると、おじさんの自信満々のコメントとは裏腹に、時計は僕ら
に隠れてしまっていて、時間は全然分りませんでした。
今回はおじさんの気持ちだけ頂いておくことにしました!?
そして、その後は武史の要望で、見市兄弟のご先祖様のお墓参りを
しに、伯父さん(この字の場合はお父さんのお兄さんということ)
の家にお邪魔しました。
伯父さんの家は、淡路島の北側、つまり北淡地方にあるのです。
僕らが到着した時には、伯父さんは畑仕事の途中で休憩中でした。
僕は初対面かと思っていましたが、今までに数回お会いしていた
みたいでした・・・
伯父さんは、見市家の親父さんと声と話し方が酷似していました!
やはり兄弟なんですねぇ(^^)
伯父さんの家の周辺は、日本の原風景とも言えるような、非常に
のどかな、う〜ん、はっきり言うとものすごい・・・田舎で
見渡す限り、畑や野山くらいしか目に入ってこなくて、人家も
ぽつりぽつりと数えられるほど点在するに過ぎない、それはそれは
たいそうな秘境!?に住まわれているのでした。
昔はお風呂も五右衛門風呂だったそうですが、現在は何とオール
電化のお風呂なんだそうです。
しかし、なぜか納屋の軒下にはうず高く積まれた大量の薪(まき)
が並んでいました。
「この薪は何に使うんですか?」
と聞いたら
「お風呂の追い焚きに使うんや」
!?
伯父さんいわく、オール電化でありながら、薪をくべて追い焚き
することもできるそうで、先進のエコ機能!?を持った優秀な
お風呂なのでした。
追い焚きには、薪を二本くべるだけで温かくなるそうです。
伯父さんの家では、1年間程は追い焚きに事欠かないくらいの薪が
ありました(^^)
伯父さんの先導で、僕らは徒歩10分くらい先のお墓に向かって
一緒に歩いていきました。
天気はおりしも快晴で、暖かな春風が心地よく頬をなで、自然
たっぷり一面緑、そちこちに菜の花の黄色い彩りが爽やかな田舎道
をのんびりてくてく歩くのは、ルーツが愛媛県の農家である僕には
なんとも懐かしく穏やかな気持ちにさせてくれるのでした。
途中に小川が流れており、その橋の傍らに水車小屋がありました。
この水車はなんと現役で活躍しており、実際に精米したりしている
そうです。
そして歩くこと約10分。見市兄弟のご先祖様が眠る墓所へと到着
したのでした。
そこは小さな墓所でしたが、小山の上にある見晴しの良い場所で
お墓も綺麗に整備されていたので、お墓参りは頻繁にされているん
だなと思いました。
そこには墓石が5つ並んでいました。その全てが見市兄弟のご先祖
様でしたので、武史と僕らはお線香をあげ、その地方のお参りの
しきたりである「お米」をお供えをして、墓前にて心落ち着けて
静かに両手を合わせました。
僕とは直接関係のないご先祖様ですが、その子孫と、現在最も濃い
付き合いをしていることを思うと、それはそれでご縁があったの
ではないかと思うので、僕も真摯にお参りをさせて頂きました。
伯父さん宅への帰路、先ほどの水車小屋を見学させて頂きました。
その日は、雨の天気予報だったので、水車は稼働しておりません
でしたが、伯父さんの厚意で、水車を回してくれたのです!
伯父さんは用水路から小川に放流されている水流をせき止めて
水車の方に水が行くようにしてくれました。
待つこと5分。水車は勢いよく回り出しました!
もっとゆっくり回るのかと思っていましたが、想定外の速い回転
速度に僕は童心に帰って「回った回った!速い速い!」と少し
はしゃいでしまいました。
その後伯父さんの家でコーヒーを頂いてから、目的地である洲本
へ車を走らせました。
僕は洲本は初めてだったのですが、淡路島の街なので、大きいと
いってもたかが知れている(洲本市住民の皆さんすみません)と
思っていました。
ところが予想に反して、洲本市は大きな街でした。
その証拠!?に、洲本ICからホテルへの道は、当日全然動かない
くらいの大渋滞だったのです。
この渋滞は裏道を抜けて何とか回避しましたが、ホテルに近づく
につれて街並みは大きく栄えてきて、イオンがあるその繁栄ぶり
には、僕の洲本感を大きく塗り替えられてしまったのでした。
って、そんなに洲本を意識したことはありませんでしたが・・・
泊まったホテルは「海月舘」。僕は最初「クラゲかん」って読む
のかと思いましたが、「かいげつかん」が正解でした。
http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/1675/1675.html
楽天での評価も高かったので、そこにしました。
案内された部屋は、洋室と和室がくっついた広いところで、海に
面していて、窓を開けると心地よい潮風が流れ込んできて、眼下
には美しい淡路の海が広がる、最高のロケーションの素晴らしい
ホテルでした。
ただ、建物自体は少し古びていて、館内の設備も年季が入って
いる感じでしたが、従業員さんたちのサービス精神が秀逸で
みな優しい笑顔をたたえ、誰もが細やかな気遣いを見せてくれて
滞在中、ずっと快適な気分でいることができました。
従業員さんいわく「このホテルは、ハード(建物・設備)は古い
ですが、それをソフト(サービス)でカバーしています」との
ことでした。まさにその通りでした。サービス業として見上げた
心がけだと思いました。
チェックインして、最初にやったのは「コーヒーじゃんけん」
でした。
じゃんけんで負けた人が、缶コーヒーを3人分買ってくる、という
我々にありがちなプチ勝負でした。
結果、昌弘が負け、僕と武史は、美しいオーシャンビューを堪能
しながら、タダのコーヒーを満足げにすするのでした。
その後散策でもしよう、ということになり、僕と武史はホテルの
周辺を散歩することにしましたが、運動に燃えている昌弘は
「ランニングしてくる」
と、Tシャツ短パンのやる気満々の姿で、スタスタと走り去って
いったのでした。
僕と武史は、ホテルの目の前の海岸をブラブラ歩きました。
水質は、海底が透き通るほど綺麗でしたが、あまり魚の姿は見えず
その代りにやたらとウミウシばかりが目につくのでした・・・
海も良かったですが、僕としては歩きながら地ビールでも飲みた
かったので、ホテル近くのスーパー「マルナカ」にて、淡路の
地ビールを購入。飲みながら、ホテルまで戻っていきました。
そして、1階の売店でさらに缶ビールを購入。部屋に戻って海を
見ながら、武史と他愛ない会話を楽しみながら、昌弘の帰りを待ち
ました。
昌弘は、汗だくで帰ってきて、着ていたTシャツはびっしょりと
濡れていました。
彼は何と洲本城まで走ってきたとのことでした!
洲本城というのは、ホテルから見える小山の頂上にあり、後で
測ったのですが、ホテルからは約4kmの距離があるところでした。
単純に計算すると4kmの往復は8kmで、それだけでもそこそこの
距離になりますが、洲本城があるのはかなり険しい小山の上なの
です!
翌日に車で登ってみましたが、車で登るのでさえ結構な急こう配
でした。
これを走って登るのは、さぞかし厳しかったものと思われました。
そのあくなき運動意欲に若干の敬意を払いつつ、地ビールと缶
ビールでできあがりかかっていた僕らも、一緒に大浴場で汗を
流しにいきました。僕と武史は1mgの汗もかいていませんでしたが
・・・
お風呂はそこそこの大浴場で、露天風呂もサウナもありました。
サウナの温度はちょうどよくて良かったのですが、サウナには
必須の水風呂がサウナ部屋の脇になく、露天風呂スペースにあった
のが玉にきずでした。
しかも、その水風呂は尋常でなく冷たいのです!
サウナで限界まで我慢してからの、水風呂ドッポーンの、血管
収縮キューンの、またサウナで血管拡張ジュワジュワーが、僕の
大好きなサウナ極上サイクルなのですが、ここの冷水はその極上
サイクルのバランスを乱すほど、体が芯まで冷え切って凍えて
しまうほどの冷たさで、30秒と浸かっていられないくらいだった
のが非常に残念でした。
ということで、いつもはサウナ極上サイクル5セットはノルマと
してこなしている僕でしたが、その冷水には耐えがたく、4セット
で終了してしまったのでした(あまり変わらないか・・・)
入浴後は待望の夕食です!
僕がチョイスしたのは
「伊勢海老・あわび・旬魚に淡路牛!海鮮食べつくし!海の幸」
プランなのでした。
豪勢な食事に僕らも簡単に盛り上がってしまい、そうなると簡単に
お酒の量が増える仕組みとなっております!?
食事は豪勢ながら、飲み方はいつもの宴会同様となって、我々は
しこたま酔っぱらってしまったのでした。
そして、武史の発案で卓球をやろう!ということになりました。
バドミントンではそれなりに自信のある僕たちも、卓球となると
完全にドのつく素人。しかし、素人っぷりのレベルが近かったので
結構楽しいゲームになりました。
11点の1ゲームマッチで、負けたらその場で腕立て10回。
負け頭は武史でした。多分40回腕立てしてたと思います(^^)
僕と昌弘も20回ずつやりましたが・・・
そして部屋に戻って二次会でしたが、そこからもかなり飲んだと
思いますが、僕は得意の睡魔に襲われ、夢うつつの中に居るような
感じで、でもあまり休まずには飲み続けていたと思います。
部屋はシングルベッド2つの洋室と、10畳の和室という大きな部屋
でした。お布団は和室に3セット敷いてもらっていましたが、僕が
ふと夜中に目を覚ますと、武史は何故かベッドに半分落ちかかる
形で爆睡していました。その姿には少しニヤッと笑いました。
明けて翌日。当然の朝風呂です。
少し肌寒い気候でしたが、それくらいの方が温泉にはおあつらえ
向きってものです。
朝から露天風呂に浸かるという贅沢を味わいながら、僕と昌弘は
他愛もない会話を楽しんでおりました。
そして朝食。昨夜のコース料理に続いて、品数豊富で大量の朝食
です!
こんな感じでした。
満足度の高い朝食に、朝から元気一杯、腹一杯。
今日も一日頑張るぞ〜、って遊びなんですけど、力が漲ってくる
感じで満たされたのでした。
二日目の予定は、何とバドミントンの練習!
旅行であるにも関わらず、昌弘は洲本の体育館を見つけて1面を
予約していたのでした。
そこで3人で打ったのですが、メニューは2対1の全面のドライブ。
1を代わりばんこで入れ替わってプレーしましたが、ミスったり
すると間髪入れずに「ヘイへ〜イ!」の罵声を浴びせかけられる
ため、ミスしないように真剣にやらざるを得なかったのでした。
続いて2対1全面でのドロップです。1がドロップ(またはカット)
を打って、2が左右に振るのですが、見市兄弟は情け容赦のない
厳しい攻撃的ロブで、エラい高い位置から低くて速くて、おまけに
フェイントも利かせて振り回すので、それだけで汗だくになって
息が上がってしまいました・・・(^^;
その後、3人で半面シングルスの総当たりをやりました。
武史は脊柱管狭窄症の手術復帰後間もなかったため、そこでバドは
終了して、その後は昌弘とシングルス5ゲーム!をやりました。
楽しいけれど、体には至極厳しい旅行になっていました。
その後、ホテルからも見えていた小高い山の頂上に立つ洲本城に
車で登りました。
そこは洲本八景の1番の場所と称されるだけあって、眼下に広がる
洲本の街と海との美しい景色をパノラマビューで見渡せるのは
スッキリ気分爽快でした。
ここは車で簡単に登れるので、淡路島に行かれた時には立ち寄る
ことを超お勧め致します。
その後、昼食を食べようということで、ホテルの方に伺った
お勧めのお店「新島水産」に足を延ばしました。
http://www.awajisima.jp/
新島水産は、洲本城から10km以上南の海沿いにありました。
距離はありましたが、海沿いで空いた道だったので、ドライブは
快適でした。
新島水産は、港に隣接している魚市場のように、生け簀のある
お食事処なのです。
着いてみると、建屋の前には大量のわかめが干してあり、春風に
ゆらめく深緑の帯が、海辺の街の趣きを醸し出しておりました。
さて、到着したら何を食べようかなぁ、と運動後で健全な食欲に
お腹がグーグー鳴っていたような空腹状態だったので、店員さんの
「あいにく、今日は食事はやっていないんです」
との発言には、胃酸で胃壁が溶けそうなほどのショックを受け
ましたが、ぐうの音も出ないはずが、僕のお腹はグーグー鳴りっ
ぱなしでした!?
仕方がないしせっかく来たので、お土産でも買おうということに
なりました。
味付け海苔を試食させてもらったところ、これが抜群に旨い!
一口かじっただけで、海苔本来の旨味成分が口中に拡がり、誰かが
止めなければ、際限なく食べ続けてしまいそうなほど、くせになる
美味しさだったので、僕は2つ購入してしまいました。
お店のご主人によると、前日に島田紳介さんが来られていたそう
です。
紳介さんは、洲本にマンションを持たれているそうで、この新島
水産をひいきにされているようでした。
店内には「行列」のメンバーが来店した写真も貼られていました。
お店には満足しましたが、空腹状況からは一向に抜け出せていな
かったので、ホテルの近くまで戻って、地元のお寿司屋さんで
なぜかカツ丼を食べました(^^;
これが結構イケました!
ちなみに、僕は「かつや」のカツ丼がだ〜い好きです!
吉野家の牛丼に迫る勢いがありますね、ってどうでもいいけど。
そんな感じで、楽しい「卒業旅行」は幕を閉じました。
飲んでバドして、なので、いつもと変わらないっちゃあ変わら
ないんですけどね!
では、バドの話。
<前衛にプッシュを打たせて、カウンターでクロスに流そう>
またまた、ミズノスクールでの練習内容です。
今週の内容は
スマッシュをネット前にショートリターンして、それを前衛が
プッシュ。
そのプッシュされた球を、クロスのネット前に切り返す。
でした。
このシチュエーション、ダブルスの試合で結構頻繁に登場すると
思いませんか?
こちらが攻撃していて、自分が前衛に居て、パートナーが後ろ
からスマッシュを打ってくれて、その返球を自分が突っ込んで
プッシュした球を、あざ笑うかのように、相手がそのプッシュを
クロスにスーっとカウンターで切り返して、ノータッチエースを
奪われてしまうという悲しい場面です・・・
僕もよくヤラれます(^^;
前衛がプッシュする時は、飛びついて打っている場合が多いので
そのプッシュをクロスに流して切り返されたら、体勢の崩れている
前衛は拾いに行けず、かといって、前から遠くに居る後衛も届か
ないので、見事なエースになってしまうことがよくあります。
それの、レシーブ側の練習です。
大体、プッシュされる時というのは、相手に攻められていて
こちらのレシーブが甘くなった時だと思いますが、そのプッシュを
待っていて、それをクロスに切り返すことができたら、守勢から
一気に攻勢へと転じることができます!
こういうプレー、やりたいですよね。
ただ、普通はそもそも押されている状況なので、クロスどころか
ストレートに返すのもアップアップの状態だと思いますので
その時の思い付きやひらめきで瞬時にクロスへ切り返すことは
天才かたまたまのまぐれでもない限り不可能です。
そのためには、ストレートのプッシュをクロスに逃げる、という
選択肢を、脳の神経回路に沁みこませておく必要があります。
それを実戦の場で使うには、やはり何回もの反復練習と、そういう
球を打とう!という意識があって初めて、ある日突然打てるよう
になるのだと思います。
この「プッシュをクロスにかわして切り返す」というショットは
打てれば実戦で相当な武器になると思いますので、ぜひ次回の
練習から意識して打つようにしてみて下さい。
それと「そんなこと無理〜」「難しくてできないよぅ」とお嘆き
される方も居られると思いますが、僕がよくスクールで言う
セリフがあります。
「誰も最初からなんてできません。できないからこそ練習するん
です!」
これを言うと、みなさん「その通りですね」と、ご納得で練習に
打ちこんで下さいます(^^)
できなかったことができるようになった瞬間が、とっても嬉しい
瞬間であり、それこそが上達の醍醐味でありモチベーションに
なるのだと思います。
下手くそなことは、良いことです!たくさん上手くなれる余地が
あるんですから。
ただ、上手くなりたい!という意識がなければ、上手くなる行動
に結びつきません。
「強くなり〜たい〜♪」って歌がありましたが、これに加えて
「上手くなり〜たい〜♪」の気持ちを持って、楽しく練習して
いきたいものですね!
***************************
僕は公認3級審判員の資格を持っていますが、この資格を持って
いると、頻繁に審判協力依頼を受けることになります。
公認審判員手帳には、公認審判員 心得 として
「(財)日本バドミントン協会の公認審判員として、常に、バド
ミントン界のリーダーであることを自覚し、正しいルールに
精通すること」
と書いてあります。
この方針に従って!?僕は、協力できる審判活動は全て協力する
つもりです。
ということで、4月4〜5日と、大阪インターナショナルチャレンジ
という国際大会の審判協力をやってきました。
場所は守口市総合体育館です。
これは毎年ある大会で、スーパーシリーズではないものの、国際
大会と銘打ってある通り、インドネシアやマレーシア、タイなど
から、若手選手が送り込まれ腕を磨くといった趣向の、いわば
登竜門と言える試合なのです。(と僕は思っています)
過去の結果をひもとくと、優勝は日本人選手ということが多いの
ですが、海外の若手のプレーも見られるので、バド界に貢献も
できて試合も見られる、魅力的な一石二鳥の審判協力でした。
事前の注意事項は、タイ人と目されるYoon Kok Thean氏による
英語でのミーティングでしたが、使われる英語はシンプルかつ
バドミントン用語でしたので、一応英文科の僕には容易に理解
できました。
僕が協力したのは平日でしたので、学生さんやレディースの方々
が多かったですね。
協力には、楠本さんも来られておりました(自営業の社長さん)
が、若い学生に交じると、自らの加齢を実感しないわけには
いきませんでした・・・
3級審判員が対応できるのは線審と得点表示板操作に限られますが
初めてやるときは、それだけでも超緊張しました。
緊張した理由は、もちろん、ミスジャッジするわけにはいかない
からです。
社会人の大会や市民大会でもミスジャッジできないのは同じでは
ありますが、なんせ試合の重みと真剣度が違います。
賞金が出て、わざわざ海外からお金と時間を掛けてはるばる日本は
守口市までやって来るのですから。
シングルスのジャッジはあまり困難とも思いませんが、男子複の
超高速ラリーでの微妙なラインジャッジは、ハッキリ言って相当
難しいと思いました。
よくTVの試合で、線審がジャッジをして、スローで再生したら
思い切りミスジャッジだった、それを見て「ナニ見とんねん!」と
思うケースは多いと思いますが、自分で線審をやってみたら
微妙なラインのミスジャッジは有りうるなぁと思ってしまいました
しかし、それは男子ダブルスか混合の場合であって、やはり男女
シングルスは慣れれば難しくはなくなりました。
また難しいダブルスについても、何度かやってみると、ライン際に
来るようなショットを打ちそうな場面の時に集中する、という芸当
もできるようになってきた感じがしました。
それでも手に汗はベッショリで、審判のために履いてきたグレーの
スラックスは、手を置いている膝の部分が汗で濡れて色が変わる
くらいでした(^^;
平日だけあって、審判の数は少なく、特に二日目などはほぼ休む
間もなく、終わったら次、終わったら次、と入りっぱなし状態が
続き、たいそう疲れ切ってしまいました。
しかしそれ以上に疲れておられたのは、主審対応された方々です。
主審には2級審判員資格以上が必要となり、その資格を持っていて
かつ当日協力できる方は限られるので、主審の方こそフル稼働の
状況でした。本当にお疲れさまでしたm(_ _)m
僕も将来的には2級も取得して協力しなくちゃなぁ、と思いました。
大過なく2日間の仕事を終え、帰ろうと思ったところ、審判員に
招集が掛かりました。
明日の連絡(僕が対応したのは4決めまで)と、ねぎらいの言葉
くらいかなと思っていたら、な、な、なんと、明日のための会場
設営についての説明なのでした!
僕はそれについては全く聞いていなかったので、疲労困憊の状況
からということもあり、腰が抜けそうになりましたが、まさか
そこで「お先で〜っす!」とドロンするわけにもいきませんし
その後特に予定もありませんでしたし、また誰かがやらねば
ならないことでしたので、僕は気を取り直して「喜んで」協力
させて頂くことにしました。
会場設営は、6面あるコートを3面にすることでした。
普通のバドミントンコートを6面から3面にするのは、ただ単に
ネットとポールを3セット片づけるだけですが、あのラバー製の
専用コートを3つ撤収して、さらに3つを、場所を変えて再度設営
するということは、ものすご〜〜〜く大変な作業なのです!
あの専用コートは、縦方向に4分割して、それをロール状に巻き
取るのですが、専用の木箱に収容するためには、巻いた時のずれ
を最大で5cm以内に収める必要があり、ただ巻くというだけには
いかないのです。
また、巻いたら巻いたで相当な重量となるので、それを運んで
別の場所に保管するという作業だけでも、多くの人工(にんく)が
必要となります。
そして、もっと大変なのが、コートの設営なのです!
コートは敷いて終わりかと思っていましたが、コートはシート状
ですので、どうしても体育館の床との間にスキマができてしまい
その部分に空気が入ってしまいます。
そういったたるみや緩みは許されないので、敷いてから、大きな
紙の筒(コートシートを巻く芯の筒)で、端から均(なら)して
空気を押し出して平らにする作業が、大変な労働量なのでした。
と、言いながら、その作業は若い学生さんが頑張ってくれましたが
・・・(^^;
またコートとコートの隙間は、ビニールシートで覆う必要があり
これの作業もかなり大変でした。これは僕もやりました。
作業が終わったのは、優に21時を回っていました。
朝8時半から長い長い一日の終わりに、想定外の重労働ではあり
ましたが、毎年そういう活動をしてくれているバドミントン関係者
のご尽力によって、大阪インターナショナルチャレンジのような
大きな大会が開催できているということを、身を持って体験できた
だけでも、収穫の多い審判協力となりました。
また、そういう実作業のみならず、本部控室においては、塩野義の
佐藤彰彦さん(マスターズのコーチ)が、忙しい事務作業に忙殺
されておられたり、目に見えない部分で、本当に色々な方々の力
によって、選手達は気持ちよくプレーできているんだなと思い
そういう人たちを増やす活動をしていくこともまた、3級審判員で
あり、2級コーチ(正式にはまだですが)の責務であると認識させ
られた大会となりました。
大会関係者の方々、本当にお疲れ様でした。
来年以降も、できる範囲で、になりますが、前向きに協力させて
頂きたいと思います。
もちろん会場設営も!
話は変わって試合結果報告です。
4月6日と21日に、第41回大阪府社会人クラブバドミントン選手権
大会が、舞洲アリーナで開催されました。
6日がダブルス、21日がシングルスとミックスです。
僕は45歳の単複に出場しました。
ダブルスは、危なげない優勝!と書きたかったのですが、決勝の
寺尾・真野戦で、僕のプレーに異変が生じ・・・いや、ただ単に
ミスをしまくってしまって、第一ゲームを落とし、第二ゲームも
ゲーム後半までリードされるという、大変危険な、危なげのあり
まくる!?紙一重の優勝だったのでした(^^;
あまりに僕が頻繁にミスを重ねるので、パートナーの見市も
「全国社会人団体戦の切符が、遠のいていく感じがした」
との感想を僕に漏らしていました。
しかし、そこは試合巧者である見市が「安全策のショット(見市
談)」を駆使して、何とか第二ゲームを取り返してからは、僕の
調子も少し戻って、ファイナルは余裕の点差での勝利となったの
でした。
僕の調子はバド人生でワースト3のホントにヒドい出来でした。
僕の不調は、対戦相手の寺尾さんも十二分に気づいていて、それで
うまいこと加点していたようですが、その好機を活かせずの敗戦に
「今日勝てなかったら一生勝てませんわ・・・」
と言わしめるほどでした。何とか勝てて良かったです。
バドミントンプロを標榜していながら、実はあまり練習していな
かったので、その影響がモロに出た形でした。
もっと頑張らないと、全日本シニアで結果を出すのは厳しいので
心を入れ替えて頑張ろう!と思った、ダブルスの辛勝でした。
試合後は、見市のマンションのはすむかいにある焼き鳥屋さん
「薩州路」にて祝勝会でした。
金沢で覚えて味をしめた「芋焼酎サワー」をしこたまおかわりして
僕的には反省会だったのですが、気が付けばいつも通り、いや
いつも以上に泥酔してしまい、会計前後あたりから記憶も定かで
なく、フラフラになって帰路へついたのでした。
シングルスは、昨年まで二連覇しておりましたが、今年は強力な
刺客が参戦していました。
他でもないパートナーの見市です!
彼は過去、この大会に出場する時には、35歳という10歳下の部に
参戦していたので、僕はあまり苦戦することなく、連覇させて
頂いておりました。
しかし、彼が参戦するとなると、大きく状況が異なります。
黄信号どころか、ハッキリ言って「赤信号」でした・・・
それは、元々彼の方が強くて上手いことに加え、昨年のシニアの
成績に手ごたえを感じた見市は、さらなる上位を目指して、陸上
トレーニングを開始して、ここ最近は動きの質も体力も以前とは
段違いだったからです。
事実、何週間か前の東北コミセンでの練習時にやったシングルス
では、僕は半分くらいの点数でペンペンにイワされました。
試合後の僕の感想は
「(僕が見てきた中の)今までの見市で一番強いんちゃう?
これは練習やって、トレーニングやって、どうこうなるレベルじゃ
ない差やなぁ・・・歯が立たへんわ」
「そうかもわからんなぁ」
とそれには見市も同意していました。
そのような絶望的な差を見せつけられいては、ここだけの話
今回の優勝は戦前から半ば諦めていたのでした。
無論、本番では優勝目指して実力は出し切るつもりでしたが、あの
敗戦時のプレーでこられたら、万に一つも勝ち目はないと思って
いたのが偽りない本音です。
なので、僕の目標は
「決勝に進出し、見市と善戦すること」
にしました。
初戦は、先述の大阪インターナショナルチャレンジにて、奮迅の
主審対応を頑張っておられた木村好徳さん(Spining Rackets)
です。
木村さんは、社会人からバドミントンを始められたそうですが
今では堂々、上級者の仲間入りをされていると思います。
ただ、キャリアとリーチだけは長い僕が、コート後ろで応援して
くれていたマメちゃんも笑うようないかがわしい配球を駆使して
序盤は競り合いながらも、後半はセーフティーリードを保って
まずは初戦を突破しました。
木村さんは、僕に負けはしましたが、僕が絶対優勝か準優勝して
くれる!と信じており、そうなると木村さんはベスト6となる
(優勝者と準優勝者に負けたベスト8)ので、6月の全国社会人
個人戦出場権を獲得できる!と喜んでおられました!?
僕は、その喜びをぬか喜びにさせないためにも、最低でも決勝には
進出する必要がありました。
準決勝の相手は、チームメイトの真野くんです。HIWAKAI会長です。
真野くんには、僕は公式戦では負けた事がなかったので、ここは
問題ないかと高をくくっていましたが、最近練習に精を出して
以前よりは簡単にミスってくれなくなった真野くんは、少し強く
なっていました・・・
僕が安全に行こうとし過ぎて、積極性を欠いたことに加えて
真野くんはガンガン攻めてきたこともあり、1ゲーム目は点数は
拮抗しながらも、最後に抜け出されて落としてしまいました。
これではイカン!と気を引き締め直し、2ゲーム目からはガンガン
スマッシュを打つようにして、それが風上だったこともあり
かなりのエースを奪いました。
すると、その勢いに気圧されたのか、真野くんの、本人いわく
「悪い病気」である、サーブミスを連発し始め、それが僕の加点
に拍車をかけて、第二ゲーム、ファイナルは半分くらいの完勝と
なったのでした。これで決勝進出です。
決勝の相手は予想通り、反対側の山を苦も無く上がってきた見市
でした。
強い相手、というだけでなく、パートナーと戦うのも、イヤな
気持ちでした。
つないでいったら善戦にもならない、舞洲アリーナの風を利用
して、とにかくスマッシュを打つしかない、と思って、その通り
やりましたが、見市の涼しい顔をした四隅への配球で、僕の体力は
1ラリーごとに無残かつ確実に削り取られていきました・・・
ラリー中、何度も息が上がるので、全然問題ないシャトルの交換を
何度も要求したり、インターバルの際には、床に座り込んで懸命に
深呼吸してゆっくり休んだりしていましたが、それでも何度かは
完全に足が止まる場面がありました。
一方見市は、終始涼しい顔をして、インターバルの間も休む素振り
を見せず、コートに入って余裕しゃくしゃくだったので、その姿
にも精神的に大きな圧力をかけられました。
ただ、見市にしても、パートナーであり友人である僕に対して
眼の色変えてまで勝ちにくる気持ちでもなかったようで、彼の
プレースタイルは、つなぎに徹して、強いスマッシュはただの
1本も打ってきませんでした。1本も、です。
第一ゲームを勢いだけで取って、第二ゲームは振り回されて完敗。
その時点で体力は枯渇しかかっていたので、ファイナルは厳しい
なぁ、と思いながら臨みましたが、意外に点数が競り合って
というかわずかに僕がリードしていたので、終盤になってから
僕に俄然色気が出てきました!?
少ない体力を絞り出してスマッシュを連打して、取ったラリーでは
「ヨ〜シ!」と大きな声を出すまでに変貌したのです!?
なんか僕だけ熱くなってしまった感じで、僕側のコートで二人の
対戦を見ていてくれた幡野さんが、見市のアウトの球の出幅を
指で見市に教えていたので、それにすら
「幡野さん、教えんといて下さいよ!」
と食って掛かってしまった程でした・・・幡野さん、すみません。
でも、僕も同じチームなんですよぉ(^^;
そんな感じで、見市は最後まで本気を出さないまま、僕が逃げ
きった形で優勝しました。
ただ、今回の優勝は、全っ然素直には喜べません。
実力は遥かに見市の方が上だし、彼は本気になっていなかったし
(まさか負けようとは思っていなかったでしょうが・・・)
実力が下のパートナーに決勝の場で負かされた気持ちは、嬉しい
はずもないだろうし、とにかくもう、実力的にも精神的にも二度と
対戦したくない相手です。
幸い!?大阪総合では、見市は35歳の部に出場するそうなので
そこで実力を発揮して、10歳下の部で上位に進むことを期待して
おきたいと思います。
次なる試合は、4月28日の高槻市民大会です。
これは竹下裕二(北清水クラブ)から、電話で出場の打診を受けた
ものです。
しかし、今日現在で、まだ試合会場を知りません・・・
竹下ぁ、はよ教えて〜。
ということで、ようやく更新できて今日はグッスリ眠れそうです。
あっ、いや、毎日グッスリ寝ていましたね(^^;
次回の更新は、大阪総合(5/25、26)までにはしたいですねぇ。
すっかり月刊誌のこのブログでした。
ではまた。