2011年04月24日

思ったことは実現してしまう

3月27日は四條畷オープンバドミントン大会でした。
相当過去の話なのですが、まだまだ現在に記事が追いつかないの
です(^^;

これは団体戦でT部(若者)とU部(6名の年齢合計280歳以上)
と分かれており、男子ダブルス、女子ダブルス、混合ダブルスの
3試合で戦います。
僕は45歳ということで、U部の四條畷Aチームで出場しました。

実はこの大会は昨年も出場しており、僕はやはりAチームで出場
しましたが、準決勝でセントポーリアというチームに惜敗し
涙を飲みました。(と言うほど大そうな試合ではありませんが)

セントポーリアももちろん大会規定通り、年齢合計280歳以上と
いうのをしっかり守っているのですが、何とこのチームには
御年80歳の女性がいらっしゃるのです!

普通!?のチームは、6名で280歳ということは、平均は46.6歳
ということになりますが、セントポーリアはこの御年80歳の方の
おかげ!?で、(280-80)÷5=40歳という計算が成立してしまう
ため、80歳の方を除けば平均で6.6歳も若いチームなのです。

昨年対戦した時にも、この80歳の女性は出場されておりました。
(昨年は79歳ですね!)
ミックスに出場されたのですが、組んだ若い男性がシングルスの
ように動き回り、規定通りの年齢ペアの我がチームは、その若い
男性一人にやられてしまった形だったのでした。

今回の我らが四條畷Aチームのメンバーは
O本さん(64)→今回の助っ人。大阪社会人60歳シングルスチャン
ピオン
とM市、僕が男性陣で、女性はW谷さん、N川さん、S口さんでした

予選リーグは4ブロックに分かれていて、僕らは難なく予選突破
して、決勝トーナメントに進出しました。4ブロックなので
つまりその時点でベスト4ということです。

準決勝は、北中・さくらというチームでした。
ここは、大学の大先輩Y田さんと、チョイわるオヤジで有名!?
なT尾さんのチームでした。
一試合目は、M市僕VS Y田さんT尾さんだったのですが、Y田さん
は御年60歳ですので、40代3人の中ではちょっときびしかったと
思います(^^;

しかしこのY田さん、普通の60歳とはちと違うのです。
マラソンを頑張られており、先日などフルマラソンをな、なんと
二週連続で走ったそうなのです!!!
マラソンの体力では到底かないそうにありません。さすがは
大先輩です。

しかし先輩ではありますが、対戦相手ですので、きっちり全力で
やらせて頂き、完勝させて頂きました。
Y田先輩も、後輩の活躍に目を細めたことでしょう!?
って、僕はサークルは途中で止めているのですが・・・

続く女子ダブルス、混合ダブルスも完勝で、僕らは決勝に進出
しました。

決勝の相手は因縁のセントポーリア。昨年の二の舞にはなりたく
ありません。
決勝の時点で、体育館に残っていたのは2チームだけ。
会場に残った人たちが見守る中での試合は、否が応でも気合が
入りました。

男子ダブルスはM市僕VS N島くんU野さんでした。N島くんU野さん
は、社会人の個人戦でも組んでおり、僕らより若くて活きの
いいペアでした。

N島くんだけくん呼ばわりなのは、彼は以前僕ら主催の合宿に
参加したり少し懇意だったからです。
その合宿で、N島くん、いやジマさんが、和食さとの駐車場で
車をぶつけてアチャー顔をしていたことを昨日のことのように
思い出します(^^)

M市の回復ぶりは日に日に顕著となり、以前のように前を拾う時
コケるということがなくなりました。
そればかりでなく、段々と少しずつ普通に打てていた頃のプレー
に戻りつつあるのです。

と言いながらも1ゲーム目は競りましたが、僕らが何とか先取。
2ゲーム目もリードして、マッチポイントを握りましたが、そこ
から相手ペアの粘りに遭い、大逆転で落としてしまったのです。

この試合は特別ルールで、デュースなし、ファイナルは11点と
いう変則ルールでしたので、ファイナルは出だしから緊張感が
ありました。
11点など、あっという間に到達してしまうからです。

しかし地力に勝る僕らが固いレシーブ(固いのはM市で、僕は
それほど余裕はありませんでしたが・・・)で相手の攻撃を
跳ね返して、セーフティリードを保ったまま押し切りまずは1勝
思わず競ってしまったことと、大事な団体戦だということだった
ので、勝てたことがとても嬉しい試合でした。

続く女子ダブルスは、相手がT田さん、Y田さんというかなり強い
ペアで、ちょっと実力的に厳しく我がチームが敗退して、勝負は
混合ダブルスへともつれこみました。

ここでの相手が、そう!80歳の女性を擁した(って言うのかな)
ミックスなのです。
ミックスでありながら、シングルスのように動くのはT田さん。
女子ダブルスのT田さんの旦那さんです。
T田さんは、全日本シニアの時に、僕の試合を応援してくれて
いました。その節はありがとうございましたm(_ _)m

80歳の方がバドコートに立っているだけでもすごいことなのに
試合に出てプレーしているのだから本当に驚きです。
しかしいかんせん80歳という年齢は厳しく、ほぼ棒立ちに近い
形でした。
しかし時折ネット前で、図っていたようなカットをするので
対戦相手はおろか、応援している僕らまで度肝を抜かれるので
ありました。

そしてT田さんが実によく動きよく拾い、そしてよく攻めてきて
それなりに強いと思う我がチームのペアに、対等いやそれ以上に
襲い掛かってきたのです!

普通は80歳の方を狙えばそこでラリーが途切れるはずなのですが
T田さんは上手い球回しで、実によくコートをカバーリングして
その「ハンデ」をものともせず頑張っておられました。

その試合で優勝が決まるので、プレーする選手はもちろんのこと
観戦する人たちも、息詰まるラリーに歓声やため息を繰り返して
おりました。もちろん僕もそうでした。

勝負は運命のファイナルへ・・・

ここまでよく頑張っておられたT田さんも、ほぼコート全面を
カバーしている影響で、疲れて動きが若干鈍くなったことと
我がチームは非情にも、80歳の方に全てロングサービスを浴びせ
・・・いや選手として試合に出場している以上、別に悪くも
何ともありませんね(^^; 最後はリードを保ったまま辛くも
逃げ切り、雌雄は決したのでした。
我が四條畷Aチームの優勝です!

勝利が決まった瞬間、僕らは思わず立ち上がり、両手を大きく
上げてガッツポーズしていました。
四條畷チームもその関係者も全員笑顔で、大事な試合をしっかり
勝ちきってくれたO本さんとN川さんに大きな拍手を贈り、そして
力強いハイタッチを交わしたのでした。

実を言うと、僕はすっごく嬉しかったのです!!!
個人戦の優勝ももちろん嬉しいのですが、団体戦での勝利は
確実にひと味もふた味も嬉しさの大きさが違います。

今回の優勝は、もちろん全員頑張ったからこその勝利ですが
非常に大きな原動力となったのは、助っ人で急遽お越し頂いた
O本さんのベテランらしい安定した試合運びがあればこそだった
と確信します。O本さん、どうもありがとうございました。
また来年以降もお願いします(^^)

僕はM市と「優勝したら祝勝会しよう。でも負けたら解散しよう」
と話しておりましたが、幸いにも前者が実現することになったの
でした。

会場は忍ヶ丘駅近くの「八剣伝」と決まり、僕は一足先に徒歩で
向かい、座席を確保しておくことになりました。
本当はいつも!?の「あぐ楽(ら)」が良いのですが、メンバー
の情報で、改装中だったとのことで諦めました。

四條畷サンアリーナから八剣伝までは直線で1kmくらい。
徒歩でも十分に行ける距離です。
僕はここで「秘密兵器」のスマートフォンを手にしました。
携帯のナビ機能を使って、場所を知らない八剣伝にたどり着こう
と思ったのです。
豊富な機能を持つこの先進の機器も、使わなければ宝の持ち腐れ
になります。

僕はのぞき込むM市を前に、得意気にナビ機能を呼び出し
これみよがしに音声検索にて

「忍ヶ丘 八剣伝」

と発声し一発で検索成功して軽く驚くM市に、わずかな快感を
覚えていたのでした(^^)ちっちゃい話です・・・
以前K村さんとゴルフに行った時に、レクサスで専用デスクに
音声でナビ検索を、あえて僕らの眼前で実演して得意満面の
K村さんのことを書きましたが、これではまるで同じです。
レクサスとスマートフォンではだいぶスケールが違いますけど。

そして僕はスマホのナビに導かれるまま、画面を見つめながら
八剣伝目指して歩いていきました。

ナビは確かに八剣伝を目指して経路を表示してくれてはいました
しかし、何かあまりに大雑把な指示なのです。

直線で1kmならば10分も歩けば到着します。多少の紆余曲折は
あっても、15分でおつりが来ると思うのですが、僕はゆうに20分
はテクテク歩き続けたのでした。

そうです。スマホに全然慣れていない僕は、経路の設定を「車」
にしていたのでした(^^;
ナビの指示は、真っ直ぐ行って直角に左折でした。
お店の場所を知る人ならば、左斜めに真っ直ぐ進んでいた筈です

途中で気づいた僕でしたが、お店の場所に自信がなかったので
急がば回れ、安全確実に遠回りながらも引き続きナビに従うこと
にして、試合で疲れた身体に重いバッグを背負って、歩き続け
ました。

ようやくたどり着いて、お店に入り、7名ですけどいけますか?
と聞いたら、無念の「すみませんが一杯です・・・」の宣告。
僕の疲労度は一気に上昇しました。
せっかく遠回りしてまでたどり着いたのに〜

その直後他のメンバー3名もたどり着き、お店NGを聞いて、さて
どうしようと途方にくれつつありましたが、僕はダメもとで
「あぐ楽に電話してみましょう」
と、携帯に番号が登録済み(^^)の馴染みの店に電話したら
改装などしておらず何の問題もなく営業していました・・・

祝勝会のメンバーは、勝利の立役者、優勝の原動力となったO本
さん以外の全員、つまり僕、M市、W谷さん、N川さん、S口さん
でした。男性2名に女性3名という珍しく!?華やかな飲み会
でした。
O本さんは、知らぬ間に帰宅されてしまっていたのでした。

毎度のことですが、その日は優勝したこともあり大量のお酒を
グビグビ飲ませて頂きました(^^)
後半の方は記憶もおぼろげで、何を話したかイマイチ覚えて
おりません。
しかし楽しいことには間違いなく、ずっと笑顔だったことだけは
確実でした。

お開きになって、M市とラーメンを食べてから帰りました。
その辺りの記憶はスッカスカです(^^;
確か「合宿やろう!」とかその程度だったと思われます。
まあ、嬉しい優勝でありました。
皆さん、お疲れ様でした。

日にちは一気に飛んで4月21〜22日は山陰地区に出張でした
仕事のことは書きませんが、宿泊したのは以前にも書いた所で
米子の有名な温泉街である皆生(かいけ)温泉の

「ホテルウエルネスほうき路」

http://www.hotel-wellness.jp/houkiji/

という宿でした。
ここは非常に素晴らしい宿で、宿泊費¥6,400でありながら
豪勢な夕食と朝食が付いており、部屋は10畳(和室)、そして
何といっても最高なのが、露天風呂もサウナもある値段から
したら極上と言っても差し支えない、出張で使うには最高レベル
のホテルなのでした。
山陰地区出張の方には、めっちゃお勧めですよ!

仕事を終え宿に着いたのは18時頃。普通なら温泉につかって
18時半には食事というパターンなのでしょうが、ちょっと僕
だけ事情が違いました。

そう、4月23日にシングルスの試合が控えていたのでした。
(大阪社会人クラブ選手権)

激務続きでなかなか満足に練習もできない僕でしたので、比較的
時間に余裕がある出張の時に、なわとびトレーニングするのが
恒例となっていたのでした。

ちなみに僕がその宿に泊まるのは4回目でしたが、そのうち3回
はなわとびしてました(^^)

僕のわがままで食事の時間を19時にしてもらい、30分間
しっかりなわとびして、フットワークして、軟式テニスラケット
素振りして、いい汗かいてのお風呂は極上そのものでした!

風呂上がりにビールを一気して、豪勢な夕食を頂いて、その後は
僕の部屋で二次会となりました。

僕のせいなのですが、お風呂の時間が30分しかなかったので
僕の大好きなサウナを満喫する時間が、全然足りませんでした。
飲み会の時に
「ああ、もっとサウナ入りたかったなあ・・・」
と漏らしたら、一緒に出張していた2人に
「じゃあ入ってきたら?」
と思わぬ許可を頂けたので、僕は飲み会の途中にもかかわらず
いそいそと再度浴場へと向かったのでありました。

しかしあまりお待たせするわけにもいきませんので、サウナは
10分くらいで終了し、浴場の脇にある休憩室のリクライニング
シートにちょっと横たわったのでした。

それがマズかったです・・・
トレーニングの疲れとアルコールの作用で、僕は知らぬ間に
そこで熟睡してしまったのでした(^^;

僕を待つ2人は、お風呂の割には長いなあ、全然帰ってこない
なあ、と不思議に思っていたそうなのですが、さすがに1時間半
も戻らないと

「風呂で倒れているんじゃないか?」
「サウナで力尽きてるんじゃないか?」

と心配をお掛けしてしまったのでした・・・
大変失礼致しましたm(_ _)m

そして昨日(ようやく追いつきました!)は、大阪社会人クラブ
バドミントン選手権大会 個人戦シングルスです。
僕は今年から45歳の部に出場することにしました。
いろんな考え方はあると思うのですが(年齢が若い部に挑戦する
とか)まあ、僕は45歳であることは間違いない事実ですので
素直に年齢通りで出場することにしました。

場所は舞洲アリーナ。非常に立派な体育館です。
昨年は、滋賀からI井先輩が応援に駆けつけて
下さって、非常に緊張しながらも何とか優勝できた思い出の場所
です。

M野くんに聞いて、僕はタイムテーブルの6段目とのことでした
ので、11時過ぎに会場に到着しました。

そして受付のために本部に行きましたら、そこで驚愕の事実が
判明しました。
僕は第二シードのパッキン(もう定番です)に入っていたの
ですが、一回戦と二回戦の相手が棄権だったのです!

つまり僕はサラサラっとサインを二回するだけで3位が確定
(45歳シングルス参加者数はわずか10名)したのでした。

まあそれは良かった!?のかもしれませんが、往生したのは
待ち時間の長さでした。
僕の最初の試合は、16時頃となってしまったのです。
これも一種の「戦い」でした。

一試合目かつ準決勝は、熊取町の方でした。
大阪以外の方は、熊取町と聞いてもピンとこないと思いますが
簡単に言うと大阪の南端、関空のそばです。

初めて対戦した方でしたので、どんなプレーをするんだろうと
思いましたが、試合始まって数ラリーして、僕のフェイントが
劇的に効きまくるので、途中から急速に気合が抜けてしまい
ました(^^;
一ゲーム目は終盤まで数点しか失点せず、最終的にも半分くらい
だったので、二ゲーム目もほぼ脱力してプレーしていたら
終始リードされながら試合が進み、15−19とちょっとマズい
点数になってしまいました。

ということでそこから気合を入れ直して、21−19としっかり
逆転勝利!準優勝が確定しました。

決勝の相手は、M国クラブのF田さん。2年前の大阪総合40歳
シングルスの決勝でも対戦していた相手です。
その時は半分くらいの点数で完勝していたので、今回も特に嫌な
イメージはありませんでしたが、やはり公式戦でしたので若干の
緊張は否めませんでした。

しかし一旦始まってみると、僕のショットも効いていましたし
F田さんのショットも何とか拾えていたので、途中からは
「いける!」
と確信していました。

1ゲーム目は21−15くらいで先取して、2ゲーム目も終始
リードを保ち、20−16くらいでマッチポイントを握ったの
ですが、勝ちを焦った僕がそこから3連続でミス(^^;
20−19と詰め寄られてしまいました・・・

「ファイナルに入るのはイヤやなあ」と思った僕は、最後の1
ラリーは、スマッシュでいこう!と決めて、F田さんの若干浅め
のサーブを思い切り叩き込んで、ゲームセット。
嬉しい45歳シングルス初優勝となったのでした!
やったー!

と言いながら、おそらく戦前の予想では、おこがましい言い方を
させて頂ければ、僕の優勝が順当だったのではないかと思います
しかし何度も言いますが「勝って当たり前」と思われても
やはり公式戦となると、非常に緊張するものです。
(昨年のプレッシャーほどではありませんでしたが・・・)
もちろん嬉しい優勝でしたが、実感としては「ホッとした」のが
事実です。

この試合では、元パートナーのK澤くんも35歳シングルスに
出場していました。
彼は一回戦を難なく突破して、二回戦は第一シードのA田K一
(A田兄弟の兄)との対戦でした。
僕はその試合をコートサイドで観戦していました。

K澤くんは戦前から自信のない発言をしていましたし、実力的に
A田くんの方が上なのは事実なのでしたが、僕としてはこのK澤
くんの試合は非常に残念な内容なのでした。

一言で言うと、勝利への執念が無かったのです!
非常に淡白な試合運びをしていましたし、粘りもなく、二ゲーム
目などは、A田くんのショートサービスを一発で簡単に5〜6本
アウトにしていました。

続いたラリーについては、はっきり言って互角以上でした。
しかし戦前から自信に欠けていたK澤くんは、勝利へのこだわり
が見えず、淡白そのものの試合展開でした。

試合後K澤くんにそのことを伝えて、感想を聞いてみたら
「ダブルスの優勝で気持ちが切れていました」
とのことでした。

う〜ん・・・僕の思いとしては、やはり競技者である以上、実力
が上の相手だったとしても、何とかあの手この手で少しでも勝つ
可能性を高めるような試合運びを進めてほしかったですね。

その試合後、勝利者のA田くんが僕のところに笑顔で近づいて
きました。

「マサやンのブログ、読んでますよ!」

これは予想外の発言でした。
バドミントンの日本No.1サイト(と僕は思います)BADMINTON
ACADEMYの管理者であり、有名なバド強豪であるA田K一くん
別の表記をすれば有T圭Iくん(予定通りのネタです!)が
僕のブログを読んでくれていたとは!

彼のホームページは本当に素晴らしいので、どうやって作ったの
と聞いたら

「独学です」

とのことでした。大したものですね!

彼は僕の文章の長さに感心していたようですが、文章の長さは
単に書き溜めている期間が長いだけですので、大したことでは
ありません(^^;

A田くんとは「バドミントン界を盛り上げていこう!」という
軽く発言した割には大きな目標を掲げ、お互いのHPにコメントを
書き合おうという軽い口約束を交わしたのでした。
コメント、なに書こう・・・

ではバドの話。

<思ったことは実現してしまう>

これは、先に述べたA田くんVS K澤くんの試合を観戦しての感想
です。

K澤くんは、戦前からはっきりと弱気な発言をしていました。
まあ、元々あまり強気な発言をするタイプではないのですが。
有名で強いA田くんにはまず勝てないだろう、という気持ちが
まずK澤くんの胸中にで〜んと構えていたのでした。(と思い
ます)

大前提として「勝ちたくない」という人は居ないと思います。
その度合いには多少の温度差はあれど、競技としてプレーする
からには、そしてせっかく試合に出場するからには、負けるより
勝ちたいのが当たり前の心理だと思います。

ですのでK澤くんの本音も「勝てないかもしれないけど勝ちたい」
はずなのですが、大きな問題が一つありました。

それは・・・「どうせ勝てないだろう」という想いです。

これは誰しも経験があると思いますが「勝てない」と思うと
大抵勝てません。
なぜなら、自ら勝てないようなプレーをしてしまうからなのです

これは心理学で言うところの「認知バイアス」です。
簡単に言うと「色めがね」であり、自分の思い込みなのです。

例えば、向こうから女性が歩いてきて、一瞬こちらと目が合って
その女性が目を逸らしたとします。
その時に、自分に自信がない人は
「ああ、あの女性は僕が嫌いだから目を逸らしたんだ」
と思うようなことです。

同じことでも、自分に自信がある人は
「ああ、あの女性は僕に気があるから、恥ずかしくて目を逸らし
たんだ」
と思ったりするかもしれないのです。

その実、女性は別に何の意味も意識もなく、たまたま目が合って
視線を他に移しただけかもしれないのです。

このように、人は遭遇する現象に対して、自分なりの意味づけを
無意識に加えて判断しようとするのです。
まあそれが感情のある人間の行動であり、当たり前なのですが

バドミントンの場合も、この思い込みが結果に大きく影響を
与えてしまいます。

つまり「この相手には勝てない。苦手だ」と思ってしまうと
プレーが「勝てないプレー」になってしまうのです。

普段の練習では素晴らしいプレーをしても、一旦苦手意識を
持ってしまうと、いつもならばしないミスを連発してしまうの
です。

それは結局

「人間は自分の行動を自分の思いに合わせようとする」

のが原因なのだと思われます。

その人にとっては、自分の考えこそが正しいので「自分はこの人
には敵わない」と思ってしまうと、自らそうなる結果につながる
ような行動をしてしまうのだと思います。
それで「ああ、やはり勝てなかった。僕の考えが正しかった」
と、負けていながら本音で妙に納得している自分が居るのです。

これは競技者としては、何とか排除しなければなりません!
基本的に、バドでも何でも競技は実力通りにはなるものですが
気持ちの持ち方としては

「勝つぞ!ひょっとしたらいけるかもしれない!」

と、自らを奮い立たせる考え方が大事なのだと思います。

どのように考えるかは、完全にその人の自由です。
思いが行動・結果に与える影響は大きいのですから、それならば
前向きかつ強気な考え方を増やしていった方が、例え実力通りに
勝てなかったとしても「どうせ勝てないだろう」と思いながら
プレーするよりは、はるかに良いプレーができると思いますし
勝てる可能性も上がるというものです。

皆さんも、バドに関してはどんどん自信過剰になりましょう!
その方が勝てる確率が上がっていくと思いますよ。

***************************

昨日は一応勝利の美酒ということで、帰宅してからビール2缶を
空けました。
そして晩ご飯食べて、リビングにちょっと横になったら、知らぬ
間に熟睡してしまいました。
出張の時と同じですね(^^;
目が覚めたのは2時過ぎで、そこからベッドに移動したのですが
もう全然寝られなくなってしまいました。

諦めて、起きてブログを更新することにしました(^^)
珍しく早い更新です!?

レスポンスが遅くなりましたが、どなたかからコメントを頂いて
おりました。
本音を言うと、ペンネームくらいは書いて頂きたかったのですが
気になる方も居られると思いますので、以下記します。

僕がなぜ、K澤くんとペア解消したのかという理由ですが
これは、僕の完全なわがままでした。

つまり

1)同い年であり友人でありバド上級者のM市と組みたかった。
2)10歳も年下の部でプレーするのはキツかった。

のが理由です。

K澤くんは練習熱心であり、昔から比べたら非常に上達して
ダブルスの安定度では、今では僕より上だと思うくらいなの
ですが、僕の大きな目標は全日本シニアでの上位進出なので
そうなると35歳の部でチャレンジするよりも、本来の年齢の部
で頑張る方が、より上位に行く可能性が高いと思ったからです。

何といっても45歳は紛れもない事実ですので、その年代で勝ち
上がることがまずは基本だと思うのです。

上級者のM市としては、45歳の部をよしとしているようでも
ないみたいでしたが、まず45で出て結果を出した後に、若い部
にランクアップしていこう、ということで同意が取れました。

M市は仕事の関係で、そもそも全日本シニア出場ができなかった
のですが、今年は何とか行けそうだとのことで、晴れてM市M岡
ペアが復活した次第です。

いきなりペア解消を申し入れてK澤くんにはすまない気持ちが
強かったのですが、前回も書いた通り新パートナーで優勝して
くれて、僕は本当に嬉しかったとともにホッとしたのでした。

ちなみに、今回40歳ではM野くん、55歳ではダントツにH野
さん、そして60歳ではO本さん(四條畷オープンでの助っ人)
が見事優勝されました。おめでとうございます!

M野くん、H野さん、O本さん、K澤くん、そして僕と、木曜日に
成田山(東北コミセン)でプレーしているメンバーが揃って
優勝という素晴らしい結果になりました。
(って僕は最近全く行けてませんが・・・)
皆さんも年代別で優勝したかったら!?木曜18時に東北コミ
センに来て下さい。
社会人のチャンプ達がお相手になりますよ!

さあ、さすがにそろそろ眠たくなってきましたzzz
今から寝たら、お昼になっちゃうなあ・・・
サンデーモーニングで、張本さんの「渇!」でも見てから、また
リビングで寝る事にします。

ではまた!
posted by まさやん at 08:13| 大阪 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月11日

祝!優勝

朗報です。
って僕のことではありません。
昨年度パートナーのK澤くんが、今年度大阪社会人35歳ダブルス
で、見事優勝したそうです!
おめでとうございます!やったねK澤くん。
彼の新パートナーはN田さんと言って、35歳シングルスでも
頑張っているのですが、ちなみにN田さんの握力は弱いです!?

正直、僕が自分のわがままでパートナー解消をK澤くんに申し
入れたので、彼に悪いなあという気持ちだったのですが、今回の
彼の見事な優勝で、ペア解消したことが吉と出て良かったと思い
ました。
僕だったら優勝していなかったかもしれませんからね(^^)

彼のますますの活躍を期待するとともに、僕も頑張ろうという
気持ちになりました。

35歳ダブルスで優勝するような人を振ってまでやるからには
僕も是が非でも結果を残したいと思います。

と言いながら、最近は仕事が激務で平日の練習はおろか、得意の
なわとびや素振り、ダッシュなど、全然やれる状態にありません
因果応報というように、最近は体力がかなり落ちてきています。

しかし彼の優勝で大いに刺激を受けました。
この刺激を、刺激だけで終わらせないようにしなければならない
ですね(^^;

練習とともに、ブログ更新も頑張ろう!マサやん・・・
ということで、今回の投稿はK澤くんの嬉しい優勝ということで
「号外」でした(^^)

前回記事の10分の1くらいですが、今日はこれまで。
明日、早起きしてマスターズ見ないといけないもので!?

ではまた!
posted by まさやん at 00:03| 大阪 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月04日

カウンターを恐れず押し込もう

大変長らくお待たせしました。
更新をサボりにサボってはや半月。
しかも前回、前々回の更新は申し訳程度の長さでしたので
実質は2月5日から更新していないのと同じでした(^^;

更新をサボっていた間もイベント自体はそこそこたくさんあった
のですが、イベントがあること自体が、同時に時間がなくなる
ことも意味していますので、ブログの更新ができなかったという
言い訳にさせて下さい!?

さて2月の頭までさかのぼることにしましょう(^^;
(これは長いぞ〜)
長すぎて分かりにくいと思われますので、ネタごとに表題を
与えていくことにします。


<石井先輩来阪>

まず、2月5〜6日は親愛なる石井先輩の大阪遠征でした。
その時分ものすごく睡眠不足の僕(って自分のせい)でしたが
楽しいイベントにおいては、自然に元気が出てしまうものです!
石井先輩が来られる17時20分近くになると、自然にソワソワして
くる僕なのでした。

石井先輩は予定より少し早く、17時頃に僕のマンションに到着
されました。
ソワソワしていた割には、まだ何も準備していなかった僕は
ソワソワ+ばたばたして、慌ててバドの準備を始めました。

今回は石井先輩が来られるということで、下記のゲストをお招き
しておりました。

家寿多さん→石井先輩の大学先輩。兵庫スーパーバード所属。
      昨年の全日本シニア45歳シングルスベスト16。

幡野さん→石井先輩のリベンジ対象(^^)全日本シニア50歳
     シングルス2位。近畿シニア50歳シングルス優勝。
     地井武男に酷似。

真野くん→全国社会人クラブ40歳シングルス2位。全日本シニア
     40歳ダブルスベスト16。文章作成が苦手!?

寺尾さん→全国社会人クラブ30歳ダブルスベスト8。以前登場
    した「ちょい悪オヤジ」

三坂さん→大阪社会人40歳ダブルス2位。2/26に近畿社会人40歳複
    で僕と組んでくれます。

いつもは閑古鳥が鳴くほど寂しい畷シャトルズの練習なのですが
ゲストが集まると非常に盛り上がります。
そしてミズノの小塚さんもお越し頂き、それはそれは活況を呈した
練習になりました。

僕はまずは石井先輩との事前打ち合わせ通り、家寿多さんと基礎
打ちしてから、恒例の半面シングルス(11点1ゲーム、サーブ権
あり)を実施しました。
前回の記事で書いた通り、家寿多さんはショートサーブの時に
かな〜り前傾姿勢になられます。
僕は冗談で石井先輩に

「家寿多さんの猫背を矯正するために、僕は半面シングルスで
あえてラウンド奥を狙って打ってのけぞらせますよ」

と話していました。
しかし猫背はショートサーブの時だけで、家寿多さんと打って
みると、なんだか身体が左に傾いているように見えるのです。

「いかん。これは矯正ポイントが増えた」

とまたクダラない事を考えながら対戦していました。
結果はラブゲームで僕の完勝!半面だと僕はほとんど動く必要が
ないのでした。
心配していた脇痛も、その段階ではあまり痛みを感じません。

続いてダブルス。超久しぶりに練習参加した北村くんと組んで
家寿多さん真野くんと対戦しました。
北村くんは著しい練習不足にもかかわらず、時折速いクロス
ドライブと粘るレシーブを繰り出して、僕らがファイナルで
勝ちました。

さらに続いて、近畿社会人40歳ダブルスで組む三坂さんと組んで
寺尾さん真野くんと対戦しました。
三坂さんは身体は大きくありませんが、よく動いてよく拾います
連打を食らっても、レシーブが非常に落ち着いているので
しのぎ切るケースの方が多かったように思いました。
結果は、1ゲーム目こそ僅差で落としたものの、2、3ゲームと
完勝でした。

凹む寺尾さん真野くんペアに僕は

「まあ、泣きの一回を受けてやらんでもないけど〜?」

と、勝利者にのみ与えられた特権で、上から目線の再戦を要求
して差し上げたところ、望むところ!と再度挑んできました。

一試合目の感じからして「もう負けへんな」と思っていた僕らは
1ゲーム目を軽く取り、2ゲーム目も軽く、と目論んでいたので
したが、そのあたりから僕の脇痛がどんどん痛みを増してきたの
です(ToT)
そこから、痛くて全然スマッシュが打てなくなってしまい
スマッシュに加えて、高い位置のバックハンドも痛くて振れなく
なってしまいました・・・

三坂さんが後ろで頑張って連打してくれたのですが、若干決定力
が足りなくて、寺尾さん真野くんに十分にレシーブで返されて
おりました。
そして僕はというと、手先でカットスマッシュしか打てません。
軽〜く切り替えされて、それを取りにいっても奥まで返せず
打たれて終わり。
逆に、ファイナルは大差で完敗となってしまったのでした。

スマッシュが打てない僕は、単なるへタレでした・・・

悔しいけど仕方ないなあと思っていたら、人工股関節男 見市が
僕と組んで、同じペア相手に対戦を申し出たのでした。

既報の通り、見市は公式にはまだバドをやってはいけないと
医者から言われております。
しかしながら、本人は居ても立ってもいられないのでしょう。
動きに相当制限がありながらも、半面シングルスしたりして
いるのでした。

見市は前は相変わらず取れない(取れる球もあえて取らない)の
ですが、その他の球に対しては相当な回復ぶりを見せており
特に身体近辺のショット、つまりドライブやレシーブについては
以前通りの切れあるショットを打つのでした。

とはいえ僕が全然スマッシュを打てないので、僕らの得意の
パターン(僕が後ろで打って、見市が前で押さえる)が全く機能
せず、そんな状況でも見市は前衛でかなり相手に圧力を与える
プッシュをしていましたが、やはり片割れに故障があると
どうしようもありません・・・
健闘むなしく1−2で負けてしまったのでした。

その時点で僕の脇痛はピークでした。そこでやめときゃいいのに
最後に色気を出して、子連れで来てくれていたミズノの小塚さんに
シングルスを申し入れたのです。

しかし小塚さんは、今ひとつ粘りが少なく凡ミスを連発。
僕はスマッシュこそ打てないものの、その他のショットは何とか
普通に近いショットを打てたので、1ゲーム目を完勝。そして
2ゲーム目も僕の優位のまま時間切れとなりました。

ちなみに、4度目の挑戦で幡野さんにシングルスを挑んだ石井先輩
は、1ゲーム目は競ったそうなのですが負け。
2ゲーム目は、大差での完敗と相成ってしまったのでした・・・
残念ながら、まだちょっと差は大きいようです。
ただ、差が大きいのを認識しながらも、挑戦を続ける石井先輩は
バドプレーヤーとして素晴らしいハートの持ち主だと思います。
勝てないからやらない、のではなく、勝てないからこそ挑戦する
この姿勢は、僕も見習わないといけないと思いました。

練習後は、いよいよメインの飲み会です!
利害関係の無い高校の部活の先輩と飲むのは、僕は本当に心から
楽しくてリラックスできて、とても貴重なひと時なのです。

今回は特別ゲストとして、家寿多さんも飲み会に参加頂ける事に
なり、石井先輩の車で僕のマンション入り口目の前の「はこべ」
に3人は向かいました。

すっかり顔になった僕は、この店のおやっさんに「毎度!」と
声を掛けられ、僕も笑顔で「こんばんわ!早速、生3丁!」と
店中によく通る「エエ声」でオーダーを入れました。
って、そんなに広くないお店ですが(^^;

マンションに車を停めにいった石井先輩は、お店到着までには
もう少し時間が掛かるかと思っていましたが、何と駐車場から
走ってきた!ということで、ビール3杯が注がれる前には
しっかり着席されたのでした。きっと1秒も無駄にしたく
なかったのですね!これまた素晴らしい(^^)

家寿多さんと飲ませて頂くのは始めてでしたが、以前もお会い
していましたし、石井先輩の先輩ということで全然始めてという
感じもせず、非常にリラックスさせてもらっていました。

家寿多さんは、なんか本当にお酒が好き!っていう雰囲気を
持っておられて、いつも穏やかな微笑みをたたえて、というより
少しニヤニヤしていて(^^)実においしそうにグラスを傾ける
のでした。

家寿多さんは最初「1時間だけ」とのことでしたが、飲んだら
最初の決心はグラグラに揺らいで、ほどなく「終電まで」という
嬉しい予定変更と相成りました。

となると家寿多さんは、腰を据えて焼酎のお湯割りに移行されて
実に飲み屋に似合うオヤジの雰囲気へと変貌してきました。

石井先輩は当初から僕の家に泊まる予定でしたが、僕も酔った
勢いで家寿多さんに

「家寿多さん!せっかくだから泊まっていって下さいよ。石井先輩
も泊まられますし。終電で帰っても明日帰っても大差ないですよ
今から帰るとしんどいですし・・・」

と猛然と家寿多さんを宿泊へいざない始めたのでした。

僕の熱心な誘いに、だいぶ酔っている家寿多さんはかなり心を
揺さぶられたようで、ちょっと泊まりもありかな的な迷いを見せ
始めたようでしたので、僕はもう一息!ということで、その時の
時間は22時半くらいだったのにもかかわらず

「家寿多さん、残念ながら香里園はもう終電終わってますよ」

と、むちゃくちゃな冗談で家寿多さんの帰宅を諦めさせようと
試みましたが、さすがにいきなり僕の家に泊まるのは憚られた
のか、後ろ髪引かれる思いで「はこべ」を発つことを決心された
ようでした。

な、な、なんと、そこでのお会計は全て家寿多さんが払って
くれたのでした!
家寿多さん、本当にありがとうございましたm(_ _)m

石井先輩曰く「先輩が後輩におごるのが、うちの大学の良き伝統
なんだ」とのことで、僕は直接の後輩でもありませんが、後輩の
後輩は、みな後輩(^^)ということで、僕も良き伝統の恩恵に
遠慮なく預かることになりました。
(ちなみにお二人の出身大学は武蔵工業大学です)

家寿多さんは

「で、駅はどう行ったらいいの?」

と心配されていたので、僕は酔いながら駅方向を指差し

「あちらに歩いていけば線路に突き当たります。そして左に
曲がって・・・」

と、若干ろれつの回らない口調で説明していたら、はこべの
おばちゃんが

「私が駅まで送ってあげる」

と、車で香里園駅まで家寿多さんを送っていってくれるとのこと
でした。

それならば安心と、石井先輩と僕は家寿多さんが帰られてからも
もう少しお店で飲んで、日付が変わる頃にお開きにしました。
今度は石井先輩にごちそうになり、僕の家で飲み直すことに
しました。

その時点で相当出来上がっていたのですが、せっかくの先輩の
遠征ということで、そこからさらに焼酎のお湯割りを、飽くこと
なくお代わりを続けて、気がついたら時計は3時を回ろうとして
いました。

途中途中で、僕は何度も白目をひんむいて、意識が飛んでいたの
ですが、それでも気合で覚醒を繰り返し「あれ、なに話していた
んだっけ?」と話題を思い出しながら、ひたすらグラスを口に
運んでおりました。

石井先輩はお酒が強いので問題なかったと思いますが、僕は尋常
でなく酔っていたので、話した話題の殆どを忘れてしまって
おりました。
しっかり覚えているのは、今年も高校の合宿を盛り上げましょう
今年は2つ下の代を呼びましょう!ということだったと記憶して
います。

話した内容はあまり覚えていなくとも、やはり部活の先輩との
飲みは本当に楽しいものです。
石井先輩は、滋賀から長野にまたまた転勤となりますが、また
長野からも大阪遠征してくれるそうですので、次回を楽しみに
しておきます。

はこべの写真はないのですが、練習時の写真を添付します。
DSCN2874.JPG

<守口市個人戦出場>

そしてその翌週2月11日は、守口市のダブルス個人戦です。
チョイわるオヤジ系風貌の寺尾さんにお誘い頂き、僕は1部の
試合に出させて頂きました。

不安だった脇痛も、恐る恐る打ってみたら何とかいけそうな様子
寺尾さんと組ませて頂くのは、試合では始めてでしたのでとても
楽しみでした。

最初の試合はそれこそしょっぱなで、僕らは、大学卒業したての
若者と対戦することになりました。
寺尾さんは対戦相手をよく知っており

「ショットは速いですが、ミスが多いので多分いけます」

とのことでした。

一進一退で競り合いながら、寺尾さんの老獪な配球で相手のミス
を誘い、最後に抜け出して1ゲームを先取しました。

実力的にはイーブンでしたが、ミスの差で僕らの方が少し優位
かなと思いながらプレーしていました。

その流れで2ゲーム目も競りながら、少し相手リードでゲーム
ポイントを握られました。
しかし僕らが追いついて逆にマッチポイントを握り返したの
ですが、あと1本が決めきれず、再逆転で2ゲームを奪い返され
勝負はファイナルへもつれ込みました。

しかし、ファイナルに入ると。勢いに勝る相手が押し気味で
試合を進めて、やはり競りながらも17−21で初戦を落として
しまったのでした・・・

この試合では僕がミスを多発させてしまいました。
寺尾さん、すみませんでしたm(_ _)m

この試合は、ブロックに分かれて、その中の1位が決勝に進む
形式でしたが、僕らに勝った若手ペアが他の2試合も完勝で
ブロック1位となったのでありました。

僕らも残る2試合は勝った(2試合のうち1試合は相手棄権)の
でしたが、無念のブロック2位に留まってしまいました。
優勝を目指していたのですが、まあ実力でした。
ただ、同世代の寺尾さんと組ませて頂いたことは、とても楽し
かったです。
また機会があれば、お誘い頂ければと思います。
次はもう少し頑張りますね(^^;
試合後、寺尾さんと記念撮影しました。
敗戦のショックなど微塵も引きずっていないかのような穏やかな
微笑みですね!
これを通称「作り笑顔」と言います!?
DSCN2881.JPG

<3級審判員講習会>

2月20日(日)は、3級公認審判員資格検定会に行きました。
これを受講した理由は、2級バドコーチの資格を取得したいから
です。
ちなみに僕はそろばんと英検は2級を持っています!?
両方とも実力はとうに錆付いていますが(^^;

バドミントンのコーチには1級から4級まであります。
正確に言うと

4級 = 指導員
3級 = 上級指導員
2級 = コーチ
1級 = 上級コーチ
となっています。

1級はトップクラスの選手を教える特別な存在ですので、一般的
なコーチの資格としては、2級が最上位となるようです。
その2級を取得するために必要な条件が

 一種大会(全日本総合、全日本社会人、全日本シニアなど)
 で、ベスト32以上の実績を持つもの。または一種大会で
 ベスト32以上の実績を持つものを直接指導したもの

とあるのですが、大前提が

3級公認審判員有資格者

なのです。

昨年の全日本シニアで、幸いにもようやくベスト32の壁を
破る事ができましたので、3級審判員の資格さえ取得すれば
必要条件だけは一応満たすことができます。

2級コーチになるには、もちろん講習会や試験がありますが
まずは必要条件を満たさないことには始まりません。

ということで、僕はお休みにも関わらず若干早起きして、会場で
ある樟蔭東高校に向かったのでした。

樟蔭東高校というと、バドミントンの強豪高です。
大阪総合の一般でも実業団の中でも勝ち上がっていますし
インターハイでも上位に名を連ねています。

しかし名前は知っていても、どこにあるのか全然知りません。
ネットで調べたら、近鉄奈良線の「八戸ノ里」が最寄り駅でした

香里園から行くと遠回り感たっぷりではありましたが、当日は
電車を乗り継いで現地に向かいました。

具体的には、香里園→京橋→鶴橋→八戸ノ里です。
大阪の方でないとイメージが湧かないと思いますが、これは
車で行けばまっすぐ南に行けばよいところを、電車の場合は
西に移動して、少し南に行って、そこからまた東に戻る、という
残念な経路なのでした・・・

八戸ノ里に到着して改札を出た僕は、左の方向に過敏に反応して
しまいました。
僕が愛してやまない「吉野家」様が、嬉しい事に駅構内で営業
していたからでした。(^^)

僕は吉野家の牛丼が、三度のメシより好きです!?
いや、三度のなか卯の牛丼、三十度の松屋の牛丼より好きです。

吸い寄せられるように店内に入り

「並と卵と味噌汁」

と決まり文句でオーダーして、まるで飲み物のようにかきこんで
5分くらいでペロッと平らげてしまいました。

ちなみに僕は、食べ物をあまり噛んで食べません。
そのため、いつもとても食べるのが早く、会社の人と一緒に
昼食に行くと、100%に近い確率で僕が最初に食べ終わります
吉野家の牛丼などは、僕にとってはとてもおいしい流動食の
ようなイメージです!?

満足度最高(安上がりな最高ですね・・・)になり、快活になった
僕は、調子に乗って一人で働いていた店員さんに親しげに質問を
投げ掛けました。

「あの〜、樟蔭東高校に行くのは、どの道が最短ですか?」

実は事前に地図を見ていたので、特に聞かなくても問題なく
行けたと思うのですが、美味しい牛丼は僕を必要以上に社交的に
していました。

「あ〜、ショウトンですか」

ここで僕は、樟蔭東高校が地元では「ショウトン」と言われて
いるという知識を得る事になりました。

聞かずとも道は知っていたので、話三分の一くらいでいい加減に
聞いて(スミマセン・・・)その「ショウトン」に向かったの
ですが、これが意外に遠い(^^;
定められていた集合時間に遅れそうになったので、最後の方は
小走りになって、少し汗ばむくらいになってしまいました。

講習会は、きっと人数は少ないんだろうなあ、多分10人くらい
じゃないかと予想していたのですが、大きく外れて30人は
超える盛況ぶりでした。
ちょっと驚いたのは、トッププレーヤーである村松さん(ゴーセン)
も講習を受けられていたことです。
また近畿大学の巽選手もきていました。
巽さんは僕の斜め前に座ったので、話しかけてみたら

「僕もゴ-センに入ることになったんですけど、チームで何人かは
3級の資格を持つ必要が出てきたんです」

とのことでした。

僕は30年バドミントンを続けてきましたが、考えてみたら
今までちゃんとルールを学んだことはありませんでした。
目的は違いましたが、自分が真剣に取り組んでいる競技について
きちんと学ぶ機会を持てたことは、非常に有意義でありました。
みなさんも、別に講習は受けないまでも、一度はルールブックに
目を通してみることを強力にお勧めします!

午前中一杯講義を受けて、最後に筆記試験でした。
6割正解で合格なのですが、ルールブックを見ながら回答して
よいので、よほどのことがない限りまず合格します。
当日受講した方は全員合格していました。
ちなみに僕は全問正解でしたが、僕が採点を担当した巽さんは
7割くらいの正答率でした(^^;

そして午後からは実技試験です。
といっても大したことをするわけではなく、樟蔭東高校の生徒の
練習試合を実際に審判するだけの話です。
その審判ぶりを試験官が見て合否を判定します。

3級審判員は、基本的に線審のみです。線審というとそれほど
難しいイメージもありませんが、それはそれなりにマナーが
存在します。
試験官の方からは下記のご指導を賜りました。

1)アウトのジェスチャーは、肩の高さで両腕を水平に大きく
  拡げ、指先までピシッと伸ばす事。
2)その際の発声は体育館中に響き渡るくらい大きな通る声を
  出す事。
3)ジャッジをする際は、主審とアイコンタクトすること。

3)については主審側にも求められることで、主審はいかに
明らかにインだったとしても、自分の判断で「イン」とか
「アウト」とかやらずに、それをジャッジしている線審の判断を
見て、そしてその線審とアイコンタクトしてから、そこで初めて
ジャッジをせよ、ということでした。
実技試験では持ち回りで主審もやりましたが、その際は試験官
のご指導に従い、どう見ても明らかにアウトの球に対しても
一応線審のジャッジを見て、その線審とアイコンタクトしてから
ジャッジを進めていた僕は、真面目な生徒でした!?

樟蔭東で懐かしい再会がありました。元中央ホームの藤原くんが
そこでコーチをしていたのでした。
そのことはどこかで聞いて知っていたはずでしたが、その時は
綺麗さっぱり忘れていました。
藤原くんは、線審席に座る僕に近づいてきて

「正岡さん、大きな声でお願いしますよ!アウトのジェスチャー
を野球のアウトみたいにしたらダメですよ」

と、軽いジョークで和ませてくれました。
ちなみに藤原くんは、元日本リーガーのヒジョーに強い選手です。

試験の結果は・・・何のことはない、全員合格でした。
僕らは登録料等で¥7,000(高い!)払って、これで晴れて3級
審判員の資格を得る事ができたのでした。

噂によると、全日本シニアに出場するために、3級審判員の資格
を得る事、という条件が付加されるかもしれないとのことです。
これについては趣旨を理解できなくもないですが、まず¥7,000
の費用が高すぎるのでせめて¥2,000程度に下げるべきという
ことと、その制度の実行は2〜3年後にすべきだと思います。
というのは、審判員の講習会があまり頻繁にやっておりません
ので。


<近畿社会人個人戦出場>

2月26、27日は、近畿社会人個人戦でした。場所は京都の宇治市
です。
宇治と言えばお茶や10円玉の平等院鳳凰堂で有名ですね。
しかし、実際は城陽市との境に近い、太陽が丘運動公園という
広大なスポーツセンターで実施されたのでした。

初日がダブルス。既報の通り僕は箕面クラブの三坂さんと組ませて
頂いて、40歳の部に参加することになっていました。
当日会場で組み合わせを見たのですが、僕らは第一シード下
でした・・・
最近は、もうシード下にしか居ないような気すらします(^^;

一回戦は相手棄権で勝ち上がり、第一シードと対戦することに
なりました。

兵庫の選手だったのですが、僕は名前も顔も知らなかったので
脈絡のない自信で「まあ、大丈夫やろう」と高をくくっていたの
でした。

対戦相手を見ると風貌は見事なまでに「はげ頭」
また身体も細くひょろっとしていて、僕と三坂さんは相手の実力
も知らないのに

「これはもらった」
「あんなおじさんとやるのは何か申し訳ないなあ」

と、勝手極まりない哀れみすら感じていたのでした。

実際に対戦してみると思ったよりは強く感じましたが、これは
まあ大丈夫だろうと、最初の印象は崩れておりませんでしたが
はげの方の前衛のでプッシュが意外に厳しく、点数としては
接戦のまま推移しました。

僕らはというと、大した緊張もしていないはずなのに、なぜか
試合運び自体が浮ついた感じで、僕も三坂さんも普段のプレーが
できておりませんでした。

そんな感じで第一ゲームを落としてしまい、これはイカンと第二
ゲームは気合を入れなおして取り返し、勝負はファイナルへ。

しかし、中盤から相手の攻めに切れが出始めて、ちょっと点差が
開いてしまい、そのまま終わってしまいました(ToT)
実質、屈辱の一回戦負けでした。

対戦前は確かに心には余裕がありましたが、対戦中は気を抜く
ことなくしっかりやっていたつもりですので、残念ながらこれは
実力負けでした。
相変わらず僕のミスも多く、頑張って練習してきてくれた三坂さん
には申し訳ない気持ちでした。
結局、僕らに勝った第一シードペアがそのまま優勝しました。
これがせめてもの救いでした・・・

僕と三坂さんはいつできるか分からないリベンジを誓い、まだ
お日様がさんさんと降り注ぐ明るいうちから、早々に会場を後に
したのでした。
ちなみに帰りは岡本さんに乗せて頂きました。ありがとうござい
ました。

翌日はシングルスです。ダブルスでは悔しい結果に終わりました
ので、専門!?のシングルスでは優勝を狙っておりました。
また、近畿シニアで2位ならば、優勝しなければいけないと
思っておりました。

しかしまたもや僕のポジションは第二シード下なのでした。
何か悪い事したかなあ?

一回戦は京都舞鶴のおじさんでした。
みるからに年配のおじさん(って同年代のはずですが)という
ルックスで、僕は昨日に続いて油断しかかりましたが、対戦して
みなければわからない、ということで、普通に頑張りました。

すると申し訳ないくらいに、そのおじさんは体力がありません。
僕が普通にラリーしているだけで、100m全力疾走直後のような
恍惚の表情と息遣いをしておられました。

ここで勝利は確信したので、ずるい僕はこのおじさんを密かに
ウォームアップ要員に任命することにしたのです(^^;
つまりは、決められる球でもつないでラリーを長くして、自分の
体をほぐすことに利用させて頂いたのでした。すみません・・・

しかし僕のその極秘作戦も失敗に終わりました。
緩めにつないでもラリーが続かないのです。
結局、大差の2−0で完勝して、第二シードとの対戦です。

第二シードは兵庫の武中さんでした。
実は武中さんとは一昨年の全日本シニア40歳シングルスの一回戦
で対戦しており、その時は2−0で勝たせて頂いておりました。
そのイメージがまだ残っていましたので、精神的には余裕が
ありましたが、対戦してみると僕の凡ミスがひどいのです。
落ち着こうとしている反面、なぜか気持ちが浮ついていて
その状況でミスが続くと、どうにも気持ちも体もコントロールが
できなくなって、第一ゲームは大差で落としてしまったのです!

実にイヤな負け方でした。これはまずいと本当に思いました。
イライラもつのっておりました。
しかし、その試合をコートサイドで応援してくれていたATMの
合田さんは

「普通につないでいけば全然大丈夫ですよ」

と優しく微笑みながらアドバイスをくれました。
合田さんは、昨年の全日本シニアの時も応援してくれていました
本当に心強い味方です。いつもありがとうございます。

そのアドバイスを胸に、僕はとにかく慌てないでしっかり四隅に
球を散らしてつないでいこうと思いました。
そうすると、今度は逆に武中さんが先に辛抱しきれずにミスを
出してくれるようになったのです。
特にフォア奥(武中さんはサウスポーなので右奥)からのカット
をよくネットにかけてくれて、第二ゲームは12〜3点くらいで
取り返しました。

すると完全に落ち着きを取り戻した僕は、どんどんミスも減って
ファイナルは危なげない大差で逆転勝ちを収めることができたの
でした。

これは合田さんのアドバイスが大きかったと思います。
合田さんの優しいアドバイスは、とても信頼できると思いました。
今後ともよろしくお願いします(って読んでくれているか分かり
ませんが)

続く準決勝は、近畿シニアでも準決勝で対戦した兵庫の坂本さん
でした。
坂本さんは伊丹BCに所属されており、真野くんの知り合いでした。
にこやかで社交的な方ですので、何か闘志が湧きにくいのでした

前回勝っておりましたが、ファイナルでの勝利でしたので
絶対的な自信があったわけではありません。
しかし対戦してイヤなのは坂本さんの方だろうと思って、淡々と
頑張ろうと思いました。

以前同様、坂本さんはアグレッシブにスマッシュを僕のフォア側
へ叩き込んできました。
それがエースショットだと坂本さんも認識されているようで
僕はその半分くらいは取れませんでした(^^;

その勢いのまま、前回の対戦同様第一ゲーム目は13-18くらいと
大量リードを奪われ、ラリーポイントだと逆転は厳しいので
「これはまたファイナル勝負かな」とちょっと気持ちは終わって
いたのですが、一応一生懸命に頑張り続けました。

頑張ったご褒美でしょうか、な、何とそこから怒涛の大逆転!
坂本さんのスコアは18点でピタッと止まり、21-18で第一ゲームは
僕が先取したのです。これにはさぞ坂本さんも落胆したことで
しょう。

第二ゲームに入っても坂本さんの攻撃は厳しかったです。しかし
厳しく振られながらも頑張って粘っていたところ、段々坂本さん
の表情に疲れが浮かんできました。
それと同時に、動きがちょっとずつ遅くなってきたのです。
それを見て僕は段々自信を増してきました。

作戦としては、結局二回戦目と同じなのですが、ラリーを長く
する、これに加えて、少しずつ返球を速くする、ということを
心がけました。

すると坂本さんは、上気した顔で徐々にノータッチが増えてきて
最後は半分くらいの大差で、近畿シニアに続いての完勝となった
のでした。

試合後坂本さんと話しました。二人の共通認識は、やはり第一
ゲームを逆転したことが大きかったということでした。
僕も諦めていましたし、坂本さんもいけると思っていました。
第二ゲーム中盤以降は、坂本さんの体力に赤信号が点灯していた
ので、僕は余裕を持てたことを伝えました。
坂本さんいわく
「決まった!と思った球を拾ってくるので疲れました」
とのお褒めのコメントを頂けました。
僕は
「坂本さんは体力があれば実力はイーブンだと思います」
と本音をお伝えして、坂本さんになわとびを勧めておきました。
実は最近僕が全然できていないのに(^^;
坂本さんはにこやかかつ穏やかな好人物で、また一緒にバドやり
たい気持ちになりました。
坂本さん、今後ともよろしくお願いします。

決勝は、昨年優勝して第一シードの真野くんとの対戦でした。
真野くんとは昨年の大阪社会人の決勝でも対戦しております。
何回も書いてきましたが、今まで何十回と対戦してきましたが
おそらく負けたことは1回くらいだったと思います。

ということで、僕は優勝を強烈に意識しましたが、公式戦であり
真野くんも頑張ってくるので、気を引き締めて戦いました。

真野くんは最近シングルスを頑張っているということで、以前の
ような凡ミスが少し減ったという印象がありました。
しかし、実力に勝る(^^)僕の方が終始少しリードを保ち
第一ゲームを数点差で先取しました。

ここでだいぶ気持ちは落ち着きましたが、第二ゲームに入ると
真野くんの頑張りは際立ちました。
僕のクリヤー攻撃にも粘り強くついてくるし、僕の渾身の
スマッシュも頑張ってレシーブしてくるのです。
また僕のミスも若干目立ち、一進一退のまま16-18とリードを
許してしまいました・・・

しかしここからは対戦成績圧倒的優位の僕が、またまたそこから
一点も許さず5連続得点で逆転勝利。
嬉しい近畿社会人初優勝となったのでした!ヨ〜シ。

真野くんと試合後話しましたが、やはり第二ゲームの逆転負けを
悔やんでおりました。
僕は勝ったから言える特権にて

「一本の厳しさを教えてあげたっちゅう訳ですわ」

と気安い仲だからこその冗談でしたが、あの状況では真野くんは
相当悔しかったと思われます。ゴメンね。
真野くんには

*連続クリヤーを続けるのはいいが、そこから先手で攻撃がない
 ので、僕はクリヤーを待って楽に対処できた。クリヤー合戦の
 最中に、カットやスマッシュを交えていくべきである。
*ネット前からのショットにもう少しフェイントがほしい。

という本音のアドバイスを送り、最後に「いい試合でした」と
固い握手を交わしましたが、真野くんの握力は心なしか弱かった
かなあ・・・

僕は来年から45歳の部に移行するので、真野くんは僕に最後まで
勝てなかったことを相当悔やんでおりました。
まあ、また真野くんが45歳になったら対戦できるよ!(^^)
今後ともよろしく。また畷シャトルズの練習にも来て下さい。


<池田オープンシニア>

三坂さんから誘われていたこの試合。3月6日に池田市は五月山
体育館にて行われました。
香里園からはかなりfar awayなのですが、近畿社会人に続いて
三坂さんと組めるのはとても楽しみでした。

この試合には、大学の先輩の山田さん(さくらBC)、大学同級生の
前川、そのパートナーの野呂さん、SOBの森さん、スピニングラケッツの
木村さん、そしてもうおなじみの!?坂本さんなど、知り合いが
多く参加していたので、とても楽しい雰囲気でした。

なんだかんだと三坂さんとは公式戦未勝利ですので、二人とも
「まずは1勝!」と意気込んでいました。

形式はブロックごとに分かれて、勝ち上がりがトーナメントに
進むやり方でした。
ブロック内では、全く問題も危なげもない勝利で、三坂さんとの
公式戦初勝利の感激はとても薄い感じになってしまいました!?

3ブロックでしたので、決勝トーナメントは3チームの争いです
くじ運に強い僕がシードを引いて、これで自動的に準優勝確定
です(^^)

反対側の山で、野呂さん前川対森さん坂本さんが対戦しましたが
森さん坂本さんの大差での完勝でした。

決勝は気合が入る戦いでした。
僕は三坂さんに

「優勝したらブログの戦績欄に載せます」

と話しており、僕としても優勝したかったし三坂さんもブログの
戦績欄に載りたかったようでした(^^)

第一ゲームを僅差で落とし、第二ゲームを三坂さんの泥臭い粘り
で奪い返し、勝負はファイナルへもつれこみました。

しかし森さんの「三坂さんに上げ」攻撃!?(レシーブなので攻撃
というのも変ですが)によって、僕が前衛でなすすべなく棒立ち
の形になってしまい、三坂さんも頑張って打ち続けてくれたの
ですが、三さんのレシーブは固く最後まで打ち崩すことができ
ませんでした。
たまに僕に上がってきた球もなかなか決めきれず、4〜5点の差
で森さん坂本さんの軍門に下ってしまったのでした・・・
悔しい敗戦でしたが、これはもう完全に実力負けでした。

試合後悔しさから立ち直りきっていない僕に、坂本さんが笑顔で
近づいてきて

「やっとリベンジできました」

と嬉しそうに言ったので、悔しさから極度の大人げない状態に
あった僕は

「まあ、ダブルスだからいいっすわ」

といかにもシングルスならば負けないんだ!と負け犬の遠吠えを
ほざいたのですが、すぐに気を取り直して

「いや、でもまあ完敗でした。またお願いします」

といつもの!?礼儀正しいマサやんに戻ったのでした。
しかし久々に悔しい敗戦でした・・・

試合後は三坂さんに駅まで送ってもらって、僕は悔しさから駅の
コンビニで缶ビールを一缶購入し、電車が来つつあったにも
かかわらず、ホームで一気飲みを敢行したのでした。
悔しくなくても飲んでた可能性・・・100%でした(^^)

三坂さん、敗戦は残念でしたが楽しい大会にお誘い頂いてどうも
ありがとうございました。
またお気軽にお声がけ下さい。次回は優勝したいですね!
試合後の写真を添付します。
一応準優勝ということで、喜んでおります!?
DSCN2900.JPG

<スマートフォン購入>

皆さんはスマートフォン持っていますか?
最近は電車でもよく見かけるようになったこの先進のアイテム。
僕は少なからぬ興味を持っていました。

会社の部下が持っているのでちょっと拝借して使わせてもらった
ところ、その凄さに度肝を抜かれました。
出張で淡路島を車で走っていたのですが、そこでスマートフォン
のナビを試したところ、GPS信号を受信できないにも関わらず
瞬時に自車の位置を表示して、きちんと!?画面上で移動して
いるのです。
そう、これはもう既に携帯電話の領域を超えており、つまりは
スマートフォンを持ち歩くこと=パソコンを持ち歩くことと同じ
なのです。

パソコンのサイトに簡単にアクセスできるし、タッチパネルの
簡単な操作で拡大・縮小・スライドも自由自在。
you tubeでバドの試合も見れれば、海外のFMも聴けるし、感動
したのは、海外の新聞も読めてしまう(いや、正確に言うと
見られるのであって、意味はちょっと・・・)のです。

このあまりの便利さには完全に脱帽しました。
今までの携帯があまりに無力に感じるほどです。

日本は携帯電話の分野で世界的に遅れています。
会社の部下に教わったのですが、普通の携帯電話は、嘲笑の意味
を含んで、今では

「ガラケー」

と呼ばれているそうです。

これはガラパゴス携帯の略で、進化に取り残されたガラパゴス島
にちなんで名付けられたものです。
それも随分な言い方だと最初は思ったのですが、実際にスマート
フォンを使ってみると「確かに」と同意せざるを得ません。
つまり、それくらい大きな大きな差があるのでした。

僕は確信します。将来的には、世の中の携帯は全てスマート
フォンに淘汰されるでしょう。
もう少し料金が安くなればとは思いますが、ガラケーとの差が
ものすごく大きいからです。

ちなみに僕が持っているのは「GALAXY S」です。
これは韓国サムソン製で、部下が持っているのと同じ機種です。
「家電批評」という雑誌に拠ると、この機種が最高の評価なので
ありました。
韓国は携帯では遥かに日本より進んでおります。
タッチパネルの反応速度も敏感で、かなり満足しております!

ということで、皆さんも是非購入をお勧めします。
無料アプリの「skype」をインストールしたら、マサやんと無料
で会話ができますよ(^^)
ってしたくないかもしれませんが・・・

では、ようやくバドの話。

<カウンターを恐れず押し込もう>

シングルスでもダブルスでも、ネット前に微妙に浮いてきた球の
処理にはいつも悩んでしまいます。
プッシュしようか、安全につなぐか、それとも落とそうか・・・

ミスをしない、という観点からすると、無理はしないできっちり
ロブを上げるなり、ラケットを立ててネットに落とすというのが
第一に浮かんでくる選択肢です。

しかし考えようによって、少しであったとしても浮いてきた球は
こちらにとってはチャンスボールであることには変わりません。

じゃあそこでどうするかというと、多少無理気味でもそこで
押し込む(プッシュする)のです。

このプレーは、ある恐怖との戦いとなります。
それは

「カウンターを食らってしまうのではないだろうか?」

ということです。

そう思ってしまうと、せっかく突けるチャンスがありながらも
自重して安全策をとってとりあえずつなぐということになって
しまいます。

それが非常に悪いわけでもないのですが(とにかくミスはしない
ので)そればかりでは、なかなか相手にプレッシャーを与える
ことができません。

多少無理気味でも速く押し込むことによって、相手に余裕を与え
ないのが大きいのです。

僕の技術顧問の見市いわく

「強く振って強い球を出すのと、速く返球して相手に余裕を与え
ないのと二つの考え方がある」

今回のテーマはまさに後者です。
強い球が効果的であることは間違いないのですが、それを打つ
為にシャトルを呼び込んでしまっては、その時間を利用して相手
にも体勢を整えられてしまいます。

それよりは、多少リスキーではあるものの、少しでも速い返球を
することによって相手の時間を奪う、という考え方は相当効果的
だと思います。

強く打とうとすると、どうしても大振りになりがちです。
でもそうやって大きく振るのは、相手にも対応されやすいという
ことにつながってしまいます。

少しでも速くタッチして、相手に余裕を与えない。
無理気味のプッシュは、ネットを越えて沈まないかもしれません
しかし、相手の意表を突くという意味では、十二分に価値の高い
ストロークだと思います。

ぜひ皆さんも、これはプッシュしにくいな、と思う球を、多少
無理気味にでも押し込んでみて下さい。
相手が対応する時間を奪って、甘い球が返ってくるかもしれない
ですよ!

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ああ、ようやく久しぶりに更新できました。胸のつかえがとれた
ような感じです。
しかしこんなに書き溜めているようではダメですねえ(^^;
ちこりんさんからのコメントにもレスポンスできておりません
でした。ちこりんさん、ごめんなさいm(_ _)m
もう少し頑張って更新を早くしたいですが、どうしても忙しさが
最近ハンパねえ状態なのでした・・・
今後もあまり期待しないでアクセスして下さい!?

僕の祖母は愛媛県松山市に健在で、こないだの3月31日が誕生日
でした。
祖母は大正7年生まれで、なんと93歳!!!
しかし頭はしっかり明晰で、僕が前回の電話で話したことなど
実によく覚えているのでした。スゴいです。

僕は祖母孝行ということで、不定期ではありながら比較的頻繁に
電話をします。
一旦電話をすると、祖母はせきを切ったように喋りまくって
大概45分〜1時間くらいは普通に話すのです。
まあ、やはり寂しいのでしょうね。

今回電話した時も、同じくらいの時間を想定していましたが
会話の途中で

「もうそろそろ、ばあちゃんの好きなテレビが始まるから」

と、予想外の10分程度でおめでとうコールは終わってしまったの
でした。

僕は、孫との会話よりテレビ番組を優先されたことに、若干
ガクッときましたが、まあおばあちゃんが楽しみにしている番組
ならば、是非楽しんでほしいと思いました。

おばあちゃんの好きな番組は・・・な、な、何と今をときめく
アイドルグループ「嵐」の番組なのでした。

さすがの孫も嵐には勝てませんでした(^^;
しかし93にもなるおばあちゃんが、若者にも人気の嵐を知って
いるだけでなく、好きだということがとても微笑ましく、祖母の
気持ちの若さが嬉しくもあるマサやんなのでした。

おばあちゃん、最近は足腰も弱ってきたそうですが、いつまでも
元気に嵐の番組で盛り上がって下さいね。
また松山に行きますので。
って、このブログなど見ているはずもないのですが、独り言と
して語らせておいて下さい。

次回はもう少し早めに更新します。
これではブログでも何でもありません!?

ではまた。
posted by まさやん at 00:35| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする