ついに一ヶ月更新しないまま、師走へと突入しそうでした。
10月27日を最後に、僕のブログは動きを止めてしまって
おりました。
というのも、色々と忙しかったのであります。
10月30日〜11月5日は、ハワイ旅行に行っていました。
その翌週は、会社の慰安旅行(琵琶湖畔)でした。
そして先週は水曜日から千葉は幕張に出張して、そのまま福島
に移動、全日本シニア(以下シニア)に参戦してきて、本当に
バタバタして、全然更新する時間も気力もありませんでした。
本当はハワイのことから詳細につづりたいのですが、そうして
しまうと、シニアのことについて書くのが越年してしまいそう
ですので(^^;それはまた後日ということで、今回はシニア
について、あますところなくレポートしたいと思います
シニアは、11月21日〜23日に行われておりましたが、僕の参加
する40歳シングルスは11月22日でした。
僕は随分と前から、この試合に照準を合わせて、普段の練習
(週2回)に加えて、厳し目のトレーニングを自らに課して
おりました。
つまりは、この大会に期すること巨大だったのです。
自分自身の期待も大きかったのですが、先輩や後輩、そして
友人からも嬉しいエールを頂いており、その大きな期待に応える
ためにも、是が非でも良い戦績を残したいと強く思っており
ました。
実家で金曜に一泊して、親父とのかりそめの一夜を過ごし
親父のずさんな生ゴミ処理のおかげで、そこらじゅうを飛び
回るショウジョウバエにイライラさせられながら、親父特製の
「健康に良い」朝食を頂き(しかし親父は賞味期限には無頓着
なので一抹の危険は拭い切れない)福島への準備を整えて
おりました。
ショウジョウバエは相当大量に発生しており、台所を発生源と
して、居間はもちろんのこと、実家の僕の部屋にさえも、悠々
と我が物顔で飛行しまくっているのです。
「お父さん!このショウジョウバエ何とかしてや!」
と語気強く親父に処理を迫っても、親父は僕のクレームなどは
どこ吹く風で
「何にも悪さしないから」
と、意に介しないコメントで息子をけむに巻くのでした。
僕は吐き捨てるように
「飛んでること自体が既に悪さやん」
とつぶやくのみ。
実は、実家はショウジョウバエだけではなく、米に発生する
小さい蛾も飛び回っているのです。
これについても親父の受け取り方は
「何も悪さはしない」
なのですが、たまに帰るだけとは言え、実家がそんな虫たちの
ワンダーランド状態では、滞在中のストレスが溜まるので
僕は親父に、ハエ取り紙の設置を勧めました。
よく中華料理屋でぶら下がっている、茶色くて粘着力の強い
べとべとのテープです。これに止まったハエや蛾は、ゴキブリ
ホイホイと同じ理屈で、くっついて動けなくなりそのまま
ご臨終となるのです。
僕が進言した次の帰省時には、何と親父は僕の意見を採用して
居間の両サイドにハエ取り紙を設置していたのでした!
獲物が豊富な実家の居間では、ハエ取り紙の効果はてきめん
かつ絶大で、既に大量のショウジョウバエや小さな蛾たちが
粘着面にびっしり捕獲されており、僕は「おお、これで少しは
ストレスを軽減できるかな」と思ったのは甘くはかなく、捕獲
を上回るペースで、新たな招かれざる生命達が、留まるところ
を知らないハイペースで増殖を続けるので、飛んでいる虫たち
の量自体には何も影響がないのでした。
脱線しました。シニアの話でした(^^;
僕は実家からバスで新百合ヶ丘駅に行き、軽めの昼食で、好物
の箱根そばの「冷やしたぬきうどん」をペロっと平らげ
新百合ヶ丘〜新宿〜大宮〜福島、というルートで、戦場に辿り
つきました。
東北新幹線「やまびこ」には初めて乗車しました。
何かワクワクする一人旅でしたので、落ち着く為にビールと
ウーロンハイを注入しました。落ち着かずに酔いました!?
到着時刻は16時20分。途中、地震の影響で少し遅れての到着
でした。
福島駅には、嬉しいことに、以前同じクラブでやっていた栗原
くん(現宮城県民)が、車でピックアップに来てくれていたの
です。
というのも、実はその夜は、他でもないその栗原くんと、同じ
部屋に泊まることになっていたのです。
ホテルの予約作業で出遅れた僕は、11月21日の宿を血眼で探し
ましたが、シニアの予約とそれに加えて同時期に「福島競馬」
なる二つのビッグイベントが重なって、福島は近年例を見ない
(って勝手に決めつけたら失礼か)特需に沸いており、その日
のホテルは、どこに電話しても「満室です」の返事しかもらえ
なかったのでした。
しかし根気良く探していたら、会場近くに「ユースホステル
ATOMA」なる宿を発見!
とにかく、寝れればいいやと思っていたので、すかさずそこを
予約しました。
念のため、栗原くんに「もうホテル全然空いてないで」と連絡
して「良かったら、僕の泊まるとこは二人でもいけるらしい」
と言ったら「お願いします」との返事をもらい、その瞬間に
僕と栗原くんの熱い夜が約束されたのでした!?
時間も早かったので、まずは会場に行って、知り合いと合流
試合の観戦、ということになりました。
行ったのは「あづま総合体育館」僕の翌日の戦場です。
そこで懐かしいメンバーとの再会を果たし、福島駅前で盛大に
飲み会をやろうということになりました。
福島駅西口のリッチモンドホテルの1Fに「千年の宴」という
チェーン店の居酒屋があり、そこで神奈川チームが飲み会を
するということなので、僕と栗原くんもそれに合流させてもらう
ことになったのです。
リッチモンドホテルは、その名の通り非常に高級感溢れる綺麗
なホテルで、フロントはおしゃれで格調高く、ビジネスホテル
と呼ぶのは失礼にあたるくらいの立派なホテルでした。
しかし当日そこに出入りする宿泊客は、全員もれなくどこから
見てもバドやってる人ばかりでした。
綺麗なフロントに、似つかわしくないジャージにバッグを
背負った人ばかりなのです。
そういう僕も居たのですが・・・
飲み会は20人くらいの大人数だったし、知らない人も多く
僕と栗原くんは、共通の知人である小室くんと主にしゃべって
おりました。
小室くんは、僕の大事な親友で、非常に心の温かいイイ奴なの
です。今回、彼は家族(嫁、息子3人)と車で来ておりました。
また、大阪から幡野さん(50代シングルス昨年2位)も来ており
声を掛けたら、何のためらいもなく僕らの集団に加わりました。
幡野さんは旅先の開放感からでしょう、普段に増して活き活きと
ハジけておられました。
僕は翌日に大事な試合が控えていたので、お酒は控えめに!と
自制心を働かせようと思ったのですが、ふたを開けてみれば
いつもと同じペースに近い感じで頂いてしまいました。
その間栗原くんは、運転手だということで、お酒は一滴も飲まず
荒れゆく飲み会を無表情で凌いでおりました。
いや、無表情はいつものことかな(^^)
宴会は終わり栗原くんの運転で宿に移動するのですが、栗原くん
に申し訳ないということで、宿で飲むお酒代と少量のつまみ代
くらいでしたが、僕が払わせて頂きました。
そして肝心の宿ですが、僕らが泊まったATOMAは星空を売りに
しているユースホステルで、高性能な天体望遠鏡をいくつか
保有しており、また天体観測コーナーのようなものがあり
かなり大きな倍率の望遠鏡がそこには設置されておりました。
僕と栗原くんも興味を示して、宿の人の説明通り、脚立に上り
ビューファインダーに目をあてがうと、画面の中央に雲の
ような、かすんだ物体を認識しました。
宿の人の説明によると、それが「アンドロメダ星雲」だったの
です!
名前こそ聞いたことはありますが、まさか福島の夜に始めて
アンドロメダ星雲が見られるとは予想もしておりませんでした。
でも僕と栗原くんの感想は、画面の中央部が曇っていただけの
ように見える、でした。ロマン感受性不足でした・・・
栗原くんと一緒に風呂に入り、風呂上りのビールをチューハイを
味わい、僕はチューハイでなく焼酎ストレートをチビチビ
やって、さらなる「ハイ」状態に移行してしまいました。
明けて翌日。福島の朝は快晴でした。
ただ、気温はやはりかなり低かったようで、地面にはびっしり
霜が降りていました。
栗原くんの車のフロントガラスも霜がついて、ウォッシャー液で
除去しようとしてもなかなか取れなかったので、僕が持って
いた麦茶の残りをかけて、氷を溶かしました(^^)
そしてまずは福島駅に向かい、栗原くんの同級生(佐々木くん)
を拾い、会場に向かいました。
この佐々木くん、明るく快活ではきはきとしており、おそらくは
営業職に違いないと思いました。初対面の受け答えぶりに
僕と同類のにおいを感じたからです。
また彼は非常に笑い上戸で、僕の繰り出す下ネタを基本とした
低劣なジョークに、予想以上の敏感な反応をしてくれたので
僕のトークは波に乗っていたように思います。
いつも通りという噂もありますが。
栗原くんの車で体育館に到着しましたが、体育館前の大きな
駐車場は入場制限がされており、少し離れた場所に回るよう
指示されました。
福島は土地が余っているのか、普通の駐車場も十分広いなあと
思っていたのですが、迂回指示を受けた方面には、看板に
「大駐車場」
との記載があり、僕らは少なからず驚きました!
「あそこで十二分にでかい駐車場なのに、あれよりまだでかい
大駐車場ってどんなんやねん?」
「たぶん、東京ドーム20個分くらいとちゃうか?」
朝っぱらから、僕の軽口は冴え渡っていました(^^)
僕の試合は12時からで間があったのですが、やはり大事な
試合ということで、朝から何となくそわそわしていました。
そして本番!
僕の対戦相手はお隣の兵庫県の選手で、あまり背の高くない
左利きの選手でした。
震える手(本当にブルブル震えてました)でサーブを打ちながら
徐々に落ち着きを取り戻し、動きもまあまあで、相手のミスにも
助けられて、大事な初戦を白星で発進することができました。
嬉しい、というよりも、ホッとした気持ちでした。
試合後その方とお話ししたら、何と僕のことを「ブログ書いて
いらっしゃいますよね」とご存知だったのです!
ブログを知る人に、恥ずかしいプレーはできないので、まずは
勝てて本当に良かったです。
「何かアドバイスを」と求められたのですが、突然のことで
浮ついていて「もう少しスマッシュを打った方が良かったです」
くらいしか言えませんでした。武中さん、失礼致しました。
また対戦することもあろうかと思います。またよろしくお願い
します!
そして二回戦。相手は福岡の方で佐藤さんです。
福岡から福島まで来られるくらいですので、バドメインに相違
ありません。
対戦してみると、やはりその外見の印象以上に、良く動き
体力もありそうという感じの細身の方でした。
いつもの感じで試合に突入しましたが、異常に飛ぶシャトルの
コントロールに苦労して、なかなかラリーを思うようにできず
一方、相手はシャトルが飛ぶ場合の戦法として、スマッシュ
主体に切り替えてきている感じがしました。
佐藤さんの印象は、オーソドックスな感じで、よく動きよく拾う
よく練習をされてきているな、という選手でした。
一方僕は、いつもと同じ調子で、ちょっとキカせた球をネット
前から速いタッチで押し込んだり、追い込まれてもしっかり
奥に弾き返したり、また相手の球にもよく身体は反応できて
いたのですが、どうしても飛び気味の球を制御しきれないのです
つまりは、いつもは入っているはずの球が、ことごとくバック
アウトになってしまうのです。
その展開に、僕は感覚を失いつつありました。
アウトにしてはいけないなら、加減するしかありません。
ちょうど、少し前に、長野の石井先輩から、飛ぶシャトルの時の
対処方法について遠隔指導を仰がれており、僕の回答としては
その分加減するしかない、上から下のショットを多用して相手
にミスしてもらう、というアドバイスを送ったばかりでした。
そうしておきながら、いざ自分が同じ状況になると、どうにも
制御しきれないのです・・・
ストレスを溜めながら、第一ゲームは14-21で落としてしまい
ました。
気を取り直して第二ゲーム。
実は、僕としては、第二ゲームもあまり気持ちもプレーも
変化はなく、普通にやっていたのですが、多分相手の佐藤さんが
勝利を焦ったと思われ、ミスをたくさん出して頂き、それでも
接戦でしたが、21-19で取り返しました。
そして勝負のファイナルゲーム。
コート後ろで応援してくれていた親友の小室くんは「もっと
どんどんスマッシュを打った方がいい」と、僕が一回戦の武中
さんにしたようなアドバイスをくれました。
僕は確かにそうだと思い、最後はどんどん打っていく方針で
コートに入りました。
しかし、打てば決まることもありますが、やはり打つだけでは
簡単には決まらず、ネット前に返された球を僕はいつもの調子
で、ちょいと効かせて速いロブを打つのですが、それが全然
コントロールできないのです。
後ろに出ると思って低めにしたら打たれて終わる。
このパターンに、僕のストレスは溜まりまくりました。
同じパターンで5〜6回も決められたでしょうか。相手の佐藤
さんにしたら、さぞかし楽ちんだったに違いありません。
そしてイライラしながらも攻めるのですが、やはりその精神
状態では、身体の動きも普段とは違うのでしょう。ありえない
ミスも連発させてしまい、それでも応援してくれている人の
為に、諦めずに最後まで頑張ったのですが、終始3〜4点の
リードを許し、最終的に17-21で敗北。僕のシニアが終わって
しまいました・・・無念です。
シャトルが飛ぶのは、僕も相手も同じ条件ですので、それに
ついては一切の言い訳はしませんが、交換するたびにあまりに
飛びの違うシャトルに、相手の佐藤さんも首を傾げて苦笑い
されるほどでした。
また、途中でシャトルの種類がゴーセンからRSLに変わり
そこでまた飛び方が全く異なるという事態は、ちと選手には
酷な状況ではないかと思います。
まあ、負けは負けで、どこまでいっても実力なのですが、折角
この大会に向けて頑張ってきた選手の立場から言うならば
せめてシャトルの飛びは均一なものにして欲しいということと
途中でシャトルの種類は変えないで欲しい、ということです。
それも含めて試合なのですが、あまりにひどかったのでここで
愚痴らせて頂きます。
実力を出し切って負けたならば諦めもつきますが、ちょっとこの
敗戦は、明らかにいつものプレーと違ってしまいました。
僕の目標であった「実力を出し切る」というのは、やはり公式
の試合の場では、なかなか難しかったということですね。
まあ、しかしそれも実力。一回勝ててまだ良かったと思うしか
ありません。
前述の佐々木くんなどは、あと1点で勝ちという場面で、足を
負傷してそのまま棄権負けという無念極まりない結末でした。
彼は努めて明るく振舞っていましたが、兵庫からわざわざ来て
勝ちを目前にしての怪我では、尋常でないストレスだったこと
でしょう。
彼は栗原くんの車で駅まで送ってもらっていましたが、足は
痛々しくひきずっておりました。早く良くなってもらいたい
ものです。
ちなみに、一夜を共にした栗原くんは、佐々木くんと組んだ35歳
ダブルスではファイナルでしたが一回戦負け。
シングルスは、初戦を何とかものにしましたが、二回戦目の
岩手の強いおじさん(と言っても僕より年下)に力負けして
いました。
彼いわく「こんな僕でも宮城県では35歳シングルス2位です」
と勇ましいアピールでしたが、よく聞くと宮城県の35歳単は
参加者2人だったそうです。2位かつベベタです。
自分の試合は負けましたが、その後友人の小室くんの混合ダブル
を応援し、同級生の土田のシングルスを応援してから、後ろ髪
引かれる思いで会場を後にしました。
勝とうが負けようが、その日は福島宿泊の予定でした。
高校の先輩である石井先輩と、僕らのためにわざわざ応援に
駆けつけてきてくれた後輩(H川とH野)と、大宴会へと突入
です!H川、H野、どうもありがとう。
実はこの飲み会も、非常に楽しみにしていました。
土地勘のない僕らでしたので、僕は宿泊したホテル(ホテル
リッチ福島)の支配人風の方にお勧めの飲み屋を聞いたところ
「おんでこ」という居酒屋が良いとのことでしたので、その
支配人のセンスを信じて、僕らはそこで一杯(いっぱい!)
やることにしました。
支配人風の方いわく、おんでこは老夫婦が二人でやっている
ようなところとのことで、店に入ると、お店はがら〜んとして
いて、客は僕らだけのような不安な状況でした。
僕らはお腹が空いていたので、とりあえずの生とともに、数々
のメニューを食欲に任せて注文しまくりました。
僕は「こんなに一気に注文したら、老夫婦二人では対応できる
はずがない。おそらく料理が出てくるのは相当時間が掛かる
はずだ」
と予想しましたが、その予想は嬉しい方に外れ、むしろ早い
くらいの時間でどんどん料理が運ばれてくるのでした。
「ここは老夫婦二人と言いながら、奥の厨房にはやり手の
料理人達が10人くらいスタンバっているんじゃないか」と
適当な冗談を飛ばしながら、楽しい飲み会は宴たけなわと
なっていくのでした。
その居酒屋は、純和風でありながら、置いているお酒には
カクテル類が不自然に豊富なのです。
もの珍しがった石井先輩は、ジントニック、スクリュードライバ
モスコミュールと立て続けに、カクテル攻撃を繰り返しました
こんな老夫婦が、カクテルなど知っているのはおかしい。
きっと、カクテルパートナーの缶を開けて、グラスに注いで
いるだけだ、とまたまたクダラない予想をして、静かにして
いたら、奥で缶を開ける「カシュッ」という音が聞こえる筈だ
と冗談を飛ばしていたら、今度はワインを頼もう、という流れ
になり、H野が白ワインを頼んだら、ハーフボトルで出てきま
した。
H野はグラスで飲みたかったようで、おばちゃんに「グラスは
ないんですか?」と質問したら、確かこのような返事だったと
思います。
「一杯もんはないでよ」
「?」
おばちゃんはグラスのことを「一杯もん」と称していたので
僕らはしばし「ああ、福島はある意味外国なんだな」と言葉の
ギャップに楽しい気分になりました。
そして楽しく飲んでいる時に、僕の携帯にメールがありました
岸本さんです。僕のブログ読者なのです!
岸本さんは、愛媛県は今治の方で、ブログを楽しみにしていて
下さり、メールもたまにやりとりするようになり、岸本さんも
シニア参戦されるとのことでしたので、福島で会いましょう!
ということになっていたのです。
その時には、僕は既に酩酊状態でしたので、一緒に撮った写真
もピンボケかつだらしない顔でしたが、僕がブログをやって
いなけれ、会える筈のない方とお会いできて、僕は少なからず
感動しておりました。
岸本さん、ご足労頂きましてありがとうございました。
今度は僕が必ず今治に行きますので、よろしくお願いします!
そして酒も相当進み、全員もれなく巨酔い状態になり、まずは
お店を出ようということになりました。
本来その「おんでこ」は、朝の4時まで営業しているらしいの
ですが、その日はなぜか12時で終わり。
ありがたいことに、石井先輩が先輩の威厳を見せて、そこの会計
は全部払ってくれました! 石井先輩、ありがとうございました
そして当然の二次会は、近くのカラオケBOXシダックスです。
遠征先で帰る必要のない状況ですので、さらに飲みは進み
歌も何曲歌ったか覚えていないほど、僕ら4人は福島の夜に
絶叫を繰り返していたのでした。
お店を出たのは4時過ぎ(^^;さすがに、体はガタガタに
なりました。
今回、試合に向けて、社会人としてできる範囲で頑張って
努力してきたつもりでしたが、まだまだそれでは足りないと
いうことが分かりました。
シニアに出場する人は、やはり全員バドメインで頑張っている
方々ばかりです。(僕も十分そうだと思いますが)
来年も必ず参加して、今年以上の戦績と、今年以上の飲酒を
福岡の街で実現させたいと思います!
ではようやくバドの話。
<飛ぶシャトルの場合は上から下のショット主体で>
これは今回の反省点です。
普段の練習では、飛ぶシャトルの場合は、羽根を一本おき等に
折ることができますが、公式戦だとそうはいきません。
シャトルをあるがままでプレーしなければならないのです。
飛ぶシャトルは、飛ばないシャトルよりも、処理が困難だと
僕は思います。
普通に打てば、いつもはギリギリ入っているショットがアウトに
なり、加減しようとすると浅くなり、相手に打たれるスマッシュ
は、いつもより伸びてきてレシーブミスしやすいのです。
となりますとそこでの最善の選択肢は、ミスしにくいショット
を打とう、ということになります。
それが「上から下のショット」つまりカット、スマッシュ系の
攻撃だということです。
僕の本来の持ち味は、ラリーでつないで相手を崩して体力を
奪い、さらにつないで疲れさせた上で攻撃する、なのですが
今回はそこに到るまでに、僕がミスしたり相手に決められて
しまい、最後まで自分のラリー展開になりませんでした。
やはり人間に重要なのは「臨機応変」な対応だと思います。
僕の今回の失敗は、いつもとは違う状況(シャトルが飛ぶ)
にも関わらず、いつもと同じ攻め方を続けてしまったことだと
思いました。まだまだ甘いなあ・・・
なので、次回同じような状況になった時には、もっともっと
極端に普段の自分を捨て去り、状況に応じたプレーに対応する
ようにして、今回の無念を二度と感じないようにしたいと切に
思いました。
皆さんも、飛ぶシャトルの時は、どんどん打って攻めていく方
が得策だと思いますよ!
久々なので、もう少し。
<サイドのヘアピンはギリギリを狙うな>
これ、僕がよくやるミスなんです・・・
バドミントンは四隅を狙え、とは基本的なセオリーですが
サイドのヘアピンに関しては、ただ入れれば良いと思うのです
ヘアピンについては、四隅を狙うというよりは、相手を前に
引き寄せる、相手に上げさせる、ことが主眼であり、ライン
すれすれの端っこを狙うメリットは、殆どないと思うのです。
メリットどころか、折角ネットの高いところでヘアピンを打ち
ながら、それで端を狙い過ぎてしまい、サイドアウトになって
しまうという状況は、僕のラリーで頻発であります・・・
なのでヘアピンに関しては、サイドぎりぎりを狙うのは
止めた方が良いと思います。高い位置で取っていればいるだけ
ショックも大きいので。
さらにさらにもう一丁!
<勝負では、自分自身になりきろう>
これもシニアの反省です。
随分昔ですが、何かの団体戦で、僕がシングルスに登場して
第一ゲームを難なく先取しながら、第二、第三ゲームと逆転で
落としてしまい、無念の負けとなったことがありました。
団体戦なので、メンバーが僕を応援し試合中色々と声を掛けて
くれるのは当たり前のことなのですが、僕はそのアドバイスを
いちいち頭に入れて実行しようとしてはうまくいかず、ミスを
したりして、第二ゲームから著しく変調をきたしてしまったの
です。
シングルスの場合は、完全に個人の世界です。
相手と戦っている時は、完全に孤独で頼れるのは自分自身のみ
でしかありません。
僕はそこで、味方のアドバイスを活かそう活かそうとし過ぎて
自分自身を見失ってしまったのです。
見ている方は岡目八目じゃないですが、ラリー展開は当事者
以上に良く見えているのかもしれません。
なのでアドバイス自体も、確かな正論を伝えてくれているの
かもしれません。
しかし一番まずいと思うのは、他人の意見を受け入れた時点で
自分のプレーができなくなるのです。
これはちょっとひとりよがりの意見かもしれません。
でも僕は、いざ試合となったら、もうそこは自分自身に徹して
プレーした方が、過程も結果も納得いくものになるのではと
思ってしまうのです。
今回のシニアでも、応援している人を意識しすぎてしまったの
ではないかと思うのです。
普段、練習の時にやっているようなプレーは、誰かの意見を
無条件で(ここが問題かも)受け入れた段階で、消え去る運命
だったのかもしれません。
頑固になって聞く耳持たないのでは問題ですが、アスリート
たるもの、愚直に自分を信じて自分のプレーに徹するという
姿勢は必要なのではないでしょうか?
これは、ちょっと精神論ですね。でも僕はやはり勝っても負け
ても、自分のプレーがしたいのです。
まあ、この意見は賛否両論だと思いますので、皆さんも決して
鵜呑みにはしないで下さいね!
***************************
今日は、新ホームグラウンドとなった四條畷サンアリーナにて
練習をしました。
メンバーのM市は仕事多忙で来られず、北村くんは肘を痛めて
プレーできずで、僕は前田くんとシングルスを4ゲーム対戦しま
した。
前田くんは20代。スマッシュは異常に速く、よく動く若者ですが
あまり考えてプレーしない為、シングルスでは僕の餌食になる
のです(^^)
前田くんは、僕にも見市にもシングルスは勝てないことから
僕らに勝つまで「ビール断ち」をして精進しているそうなの
です。
今のままでは、彼のビール断ち解禁は、あと数年はなさそう
です(^^)
噂では、ビールは断っていても、発泡酒は飲んでいるらしい。
んなわきゃないか。
ビールは飲み終え、現在ウーロンハイ2杯目に突入したマサ
やんでした。
ではまた。