2009年09月23日

自信をつけるのは練習あるのみ

シルバーウィークも最終日となりました。
その名の由来は、ゴールデンウィークに対してシルバーとなった
とばかり思っていたのですが、その意味もあるようですが
敬老の日(21日)が含まれる連休だから、ということでも
あるそうです。

敬老の日は、毎年恒例で愛媛に居るおばあちゃん(残された
唯一人の祖母)に電話して、取りとめもない会話をして、健在を
確認して、ああ良かったと安心する日でもあるのです。

おばあちゃんは、1918年生まれの91歳。何と大正7年生まれなの
です!
だいぶ足腰は弱ったようですが、肝心の頭は全然しっかりして
おり、僕が忘れているようなこともしっかり覚えているので
すごいなあと思うと同時に、もっともっと長生きしてくれそうで
嬉しくもあるのです。
今回も電話したら、変わらずしっかり普通に会話のやり取りが
できる事がとても嬉しく、また91歳にして、その頭の健康を
保っていることに、尊敬の念を抱きました。

しかし、5連休もありながら、僕の予定は初日のバド練習のみ。
まあ、どこに行っても混んでるので、地元で汗を流して美味しい
ビールを飲んで、フニャンとしてる方が僕には楽しいです!

さてバドの話、の前に、マサやんの生涯シリーズです。
大学受験編です。

そうして、最後の試合も終わり、部活も引退。毎日毎日体育館で
汗を流してきた僕にとって、部活の無い生活というのは、考え
られないほど、味気ないものでした。
本当は、毎日羽根を打ちたい!バドをやって汗を流したい!と
いう気持ちが強かったのですが、やはりそこは高校3年生であり
受験勉強をしなければならない、ということで、生活の一変を
余儀なくされてしまったのです。

しかし当時の僕は、最初は専門学校進学を志望していました。
英語が好きで得意だったので、英語をしっかり学んで、話せる
ようになる為に「通訳ガイド養成所」という学校に行きたいと
主張していたのです。

僕の当時の主張は
「人間に必要なのは実力である。専門学校で実践的知識と実力を
叩き込んで、英語をマスターして、英語を使う仕事がしたい」
でした。

しかしこれは、実は受験勉強をしたくない、という逃げの気持ち
から来ていた、自分に対する「嘘」でした。
本当は大学に行きたい、でもその為には、受験勉強という厳しい
苦行をやり遂げなければならない。
その嘘を認めるのがかっこよくないと思った僕は、一見前向きな
もっともらしい理屈をこねあげて、自分の怠惰を隠蔽しようと
していたのです。
こういうことは、世の中によくあるのではないでしょうか。

ただ、僕の通っていた高校は偏差値的に中の下位で、進学校とは
おくびにも出せないフツーの公立校だったので、まさか自分が
現役で大学に合格するなどとは、夢の夢にも思っていなかった
のでした。
また勉強(受験勉強ですね)が好きではなかった僕は、とても
とても、毎日机に何時間も向かって、壁に「日々是決戦!」とか
「必勝!」とか「●●大学合格」などの張り紙をして、深夜まで
カリカリ頑張る自分の姿は、全く想像すらできなかったのです。

一方、心のどこかで「大学に行けたらいいな〜」という思いだけ
はありました。多感な高校生は全然素直じゃないのです。

その気持ちに大きく変化を与えてくれたのは、当時の担任の先生
白鳥先生でした。

「正岡、お前は六大学に行ける実力があるぞ」

ろ、六大学? まさか東大ではないでしょうが、早慶立明法に
僕が現役で行けるのだろうかと、にわかには信じられない気持ち
でしたが、僕の学力を良く知る担任の先生が太鼓判を押して
くれたのだから、あながち夢幻でもないのだと素直に信じました。

確かに僕は当時は、英語は得意中の得意としていて、校内の模擬
テストでは1位となったこともあり、この科目には磐石の自信を
持っていましたし、読書好きだった僕は、昔から日本語の読解力
漢字には、やはり少なからぬ自負の念がありました。

しかし、どこまでいっても中の下くらいの高校からは、早慶上智
というのがイメージできず、僕はてっきり立明法にならば届くと
意味で先生は言っていたのだと、自己診断していました。

でももし先生が行けるというのであれば、頑張ろう、頑張って
みよう、と気持ちを決めた僕は、まっしぐらに突き進むことに
決めました。
つまり、忌み嫌っていた筈の猛勉強を開始したのです。

かといって、一体どうやって勉強したら良いのか、その方法は
とんと見当がつきません。
僕は予備校に行かなかったので、効率的・効果的な勉強方法が
分からず、勉強開始当初は試行錯誤の連続でした。

私学の受験科目は3つです。僕が選んだのは、英語、国語と
日本史でした。
英語と国語は何とかなるだろうという予想のもとに、日本史を
バッチリ完璧に頑張ればよいのでは、という考えでした。

日本史の勉強は、学校の教科書で定評のある山川出版社の本のみ
で取り組んでいました。
かなり分厚い教科書でしたが、僕はこれを本文から写真から
ページの下に書いてある小さい字の脚注に到るまで、教科書一冊
全て暗記しようと決断しました。相当な記憶量です。

その勢いで勉強をしていて、ある日ふと、このペースで勉強して
いくと、どうなるのかなと考え、普通に頑張ったペースで続ける
として、受験日から数えて残された日数で計算すると、その
ペースでは全然間に合わないことに気づいたのです!

当時は頭の柔軟な高校生でしたが、いくら若い頭といっても
一回勉強しただけで覚えられる筈はなく、少なくとも2回は
復習しないと記憶を強固にはできません。

頑張っていた筈の勉強ペースで、全然間に合わないと判明して
愕然とした僕でしたが、それならば間に合うペースに変えれば
いいんだ!と、若さに任せて頑張るペースをさらに厳しくする
ことにしたのです。

この段階で、僕は受験勉強は日本史一本に絞ろう、という作戦
を立てました。
英語は得意でしたし、国語はもう勉強しようがない、というか
勉強しても短期間で上達する科目でもないと思ったので、時間
の限られた現役生として、一科目に的を絞って勝負の形に出た
のです。
僕は、受験勉強は日本史しかしませんでした。
それしか方法がないと思っていました。

具体的な方法としては、学校から帰ったらまず寝ます。
午後3時くらいから、晩ご飯の午後7時過ぎくらいまでとにかく
寝るのです。
でご飯を食べてから、夜の2〜3時まで5〜6時間でしょうか
毎日怒涛の記憶タイムなのです。
そのスタイルは、結局受験の時まで続けました。
なので毎日の学校では、眠たくてダルくて、いつも疲れていた
ような記憶があります。

予備校には行かなかったのですが、担任の白鳥先生(国語・漢文)
は、僕が苦手だった漢文の補習を、一時期授業時間の前、つまり
早朝に、先生の近所に住んでいた僕を車で拾って、他2〜3人の
生徒と共に、特別講習を実施してくれました。
やはり白鳥先生も、担任として自分のクラスの生徒から現役合格
を出したかったのでしょう。

大学に目標を変えた僕でしたが、学びたい科目に変更はなく
英語を勉強できる学科を目指していました。
となると英文科、と短絡的に考えますが、僕としては英語の文学
を学ぶのではなく、実際に英会話ができる実践的な勉強が
したかったので、外国語学部を念頭に置いておりました。

ところが、外国語学部というのは意外に少なく、ざっと調べた
範囲では、上智、獨協、南山、神奈川、拓殖、くらいしか当時
無かったように思います。(実際はもっとあるのでしょうが)
上智は超難関、獨協も難関かつ埼玉、南山は名古屋、と考えると
僕の学力的には神奈川大が最も適切な選択肢なのではないかと
考えるようになりました。

この神奈川大学というのは、名前だけ聞くと国公立のような
感じですが、れっきとした私立大学です。
この大学には、給費生制度があり、一般の受験にさきがけて
12月くらいに試験を行い、これに合格すると4年間学費が免除
される!という素晴らしい企画!?に、僕は飛びつきました。

@希望の学部である
A受かれば学費がかからない
Bもし給費生に落ちても、一般枠で受かれば、早く受験勉強から
 解放される

という3つの魅力的なメリットに向かって、僕の必死の勉強は
毎日毎日深夜〜朝方まで及びました。

僕は、当時の自分を褒めてやりたいのですが、あの時の僕は
眠さとだるさと疲れに負けそうな弱気の自分に鞭打って
自分に「お前は現役で合格したくないのか!」「絶対したい!」
「ならもっと頑張れ!」
と、一日くらい「今日はいいや」と寝てしまいそうなところを
あくまでも自分に厳しく、勉強のペースを保つために、一回たり
とも妥協しなかったのです。
学力不足で、勉強期間の短い現役生にとっては、そうでもしな
ければ、とても合格にはおぼつかないと思い込んでいたからなの
でした。

睡魔に負けそうになって、体を一旦布団に横たえて、夢うつつの
状態から気合を入れなおし、取り組み前の力士のように頬を
平手でパチパチ叩き、深夜に顔を洗ってお茶を飲み、また机に
向かう僕は、一途な修行僧のようでした。今思い出しても、よく
頑張ったなあ・・・

そうしていよいよ受験です。神奈川大学の給費生試験は12月
中旬に実施されました。
極度の緊張に包まれながら、東横線「白楽」駅を降りた僕は
キャンパスへ向かう受験生、つまりライバル達のその数の多さに
簡単に萎縮してしまいました・・・

試験は確か、でっかい体育館で行われたと思います。
僕のその時の記憶は
「ああ、合格したら、ここでバドやるんだな〜。天井高いなあ」
だったと思います!?

12月で寒い時期でしたので、体育館も底冷えがしていましたが
観客席に、巨大なヒーターが赤々と点いて、温風を吹き出して
いたと思うのですが、何分会場が広すぎて暖気は全て体育館の
天井付近にこもっていたものと思われ、震えながら試験問題を
解いていました。

僕の手ごたえは、あり!しかも、かなり!
元来、楽観的な僕は「ああ、これで受かった。一足お先に受験
から解放だ〜!」
と、試験に受かったものと思い込んで、その日以降勉強を
ストップしてしまいました。
まさか給費生には受かっていないでしょうが、一般合格はまあ
大丈夫だろうとたかをくくっていた僕は、年明け早々の町田の
ミックスダブルス大会にのんきに出場したりしていました。

そして合格発表。自信満々の僕に届いた通知は・・・不合格。
あの時の真っ暗な気持ちと、これはヤバい、どうしよう、という
焦燥の念は、未だに忘れる事ができません。

・・・と、まだまだこの受験ドキュメンタリーは続くのですが
そろそろバドの話に参ります。

<自信をつけるのは練習あるのみ>

先日、テレビで「ONの時代 スーパーヒーロー50年目の告白」を
見ました。
言わずとしれた昭和プロ野球のスーパースター、長嶋茂雄
王貞治の過去の映像を交えたロングインタビューです。

長嶋さん、王さんの、輝かしい戦績、活躍は語りつくされた伝説
ですが、その栄光の裏にあった、苦悩、葛藤、プレッシャーを
二人が巨人に揃ってから50年を経た今、初めて現役当時の心境を
正直にTVの前で語ってくれるという興味津々の番組なのです。

私が非常に感銘を受けたのは、以下の点です。

1)天才と思われていた長嶋茂雄は、実は類まれなる努力家で
  あったこと
2)その努力は、決して他人には見せず、自分の良い部分だけを
  ファンの方々に見せようとしたこと
3)世界のホームラン王だった王貞治が、不振に陥った時、打席
  に立つのが怖い、と語ったこと

1)は、長嶋さんといえば、天才。ここぞというチャンスに強く
いい場面で必ず打ってくれた、動物的カンの持ち主で、悪球でも
難なく打ち返してしまう、という持って生まれた才能で野球を
している印象が強かったのですが、それを長嶋さん自身も
そして当時のコーチである荒川氏も、真っ向から否定しているの
です。
長嶋茂雄こそ努力の塊だと。
印象的だったのは、インタビュアーが長嶋さんに「長嶋さんから
見て、長嶋茂雄という選手はどう思われますか?」という
ヒネった質問に対して、長嶋さんの答えがふるってました。

「長嶋茂雄は・・・あまりいい選手じゃないですね」

多分に謙遜が入っておりますが、本人の伝えたかった意味は

「私は決して天才なんかじゃない。あまりいい選手でもなかった
私が、普通以上の成績を残せたのは、人の2倍3倍練習したから
なのです」

だと思います。
合宿先での練習では、毎晩夜10時から深夜2時まで素振りを
欠かさなかったそうです!毎日です。

しかもその練習している姿を見せたくない、という理由で
素振り、トスバッティングは、旅館の部屋で行っていたそうです

王さんは、一般のイメージでは「努力の人」と、天才型の長島
さんに対して語られることが多かったですが、入団当初はそう
でもなく、よく麻雀したり門限破ったり、おいたをしていた
みたいです。

しかし、荒川コーチについて一本足打法を完成させて、成績が
飛躍的に向上してからは、自らの意識も変わり、3試合に1本の
ホームランをノルマとして、年間40本塁打の目標に向かって
ファンの期待を裏切らないように頑張っていたがゆえに、その
不調の際には、悩み、苦しみ、プレッシャーに押しつぶされそう
になり、前述の「打席に立つのが怖い」状態にまで追い込まれた
こともあったそうです。

しかし、そこで自らを奮い立たせ、自分に鞭打ち、努力と工夫を
重ねて、ファンと自分の期待以上の成績を残していったことに
僕は感動の涙を抑えられませんでした。

全然、バドの話じゃないですね(^^;
僕が言いたかったのは、天才的な活躍をしている人、とても並の
人間にはできそうにないプレーをしている人こそ、それこそ並
以上の苦悩を味わい、それをはねのける為の並以上の尋常でない
努力を人知れず重ねているのだ、ということです。

バドの世界でも、天才的なプレー、とても真似できないような
フットワーク、スマッシュ、レシーブ、ラリーを軽々とこなす
人はいますが、そんな人達こそ、水面下で苦しい顔をしながら
考えられないような努力を、人知れず頑張って続けているのです
スイスイーっと水面を滑る水鳥も、水面下では一生懸命休みなく
足をかいているのです。

王長嶋は特別すぎる存在で、私達はそこまでの期待も求められて
おりませんが(^^;人より長じようとするならば、人よりも
2倍3倍努力する必要があるということだと思います。

もっと身近な例でいくと、高校から始めた部活で、初心者から
始めて、何ヶ月か経過すると実力に差がついてきますが、同じ
部活で同じ環境、同じ先生、先輩から教わっているのにも
かかわらず、差がついてくるのは、それはより伸びている方は
必ず家でプラスアルファの練習をしているはずなのです。

強くなりたい!という気持ちがあるならば、強くなる為には
どうしたら良いのかを逆算して、体力が続かないならば走るとか
スマッシュを速くしたいなら、力をつけるとか、凡ミスを減らす
には、パターン練習でつなぎに徹するとか、そうなるように
そうなる方向にいくように、そういう努力をする、という論理的
な努力が必要だと思います。

僕の好きな言葉に「因果応報」があります。
ある結果(果)は、ある原因(因)に応じて(応)生ずる(報)
つまり、ものすごく意訳すると

「努力は報われる」

なのです。

スーパースターでさえ、自信をなくした時こそ猛練習に励んで
いました。
いわんや、凡人をや、です。
上手くなりたい、強くなりたい、と思ったら、人に負けないだけ
の努力を、人しれず頑張って、涼しい顔で試合に臨みましょう。

これ、自分に向かって言ってます・・・
***************************

このページに、僕のお勧めの本が2冊貼り付けてありますが
その下に、何やら怪しげな写真があることにお気づきですか?

これは「陳麻婆豆腐」といい、本場中国四川省にて、金閣賞を
受賞したほどの逸品なのです。
これを発見したのは、実は見市(^^)
僕が、麻婆豆腐を好きだと言ったら、ネットのどこかで発見して
これを購入し、ひと箱プレゼントしてくれたのです。

食してみると、これがヒジョ〜〜〜〜に辛い!
思わず咳き込んでしまって、そのうちに全身の毛穴から発汗して
しまうほど、ものすご〜〜く辛いのですが、味もものすご〜〜く
美味いのです!!!

僕は、今までに食べた麻婆豆腐では、百合丘のカッパ大王のが
一番だと思っていましたが、それに勝るとも劣らないほどの
旨みがタレに凝縮されており、舌は辛さの刺激でヒリヒリしな
がらも、絶妙の味付けで完全にクセになってしまう美味しさ
なのです。
ちなみにそのカッパ大王は、僕の同級生が店主です。
百合丘訪問の際は、是非お立ち寄りを!

http://kappadaiou.jp/

「陳麻婆豆腐」のあまりの美味さに、出身校の掲示板に記事を
書いたら、僕の同期の青木くんが食べて以下のコメントを残して
くれました。

「中華料理大好きで、麻婆豆腐も大好きな青木にとって
「陳麻婆豆腐」は本当に最高に美味しかったです。
去年、中国に何度かの出張(広州・深セン・南京・北京・香港)で
本場中国料理を食べましたが、この「陳麻婆豆腐」最高です。
皆さん、本当に美味しいですよ。
もの凄く辛いだけかと思っていたら、確かに辛いけど後味の残ら
ない辛さ。奥深い味わい。
お世辞抜きで病みつきになりますよ。中1の息子も大絶賛です。
もう、我が家では「丸美屋」は食べれません」

と最大級の賛辞を送ってくれました。
紹介者としては、溜飲の下がる思いです。

うちでは見市にもらった分はもう食べつくしてしまいましたが
またそろそろ購入しようかと思っております。

発見者の見市に聞いたところ、彼は先日7箱買ったとのこと!
そりゃ買いすぎや・・・
しかし、信じられないくらいに美味しいのは事実ですので
読者の皆さんは、だまされたと思って是非是非食べてみて下さい
3〜4人前が4袋入っており、お買い得感満点です。
添付の山椒粉末が、これがまた美味いんだなあ〜

全日本シニアもあと2ヶ月と迫ってきました。
日々練習に励んではおりますが、何とかこの試合で結果を残して
出身高の方々や、ブログ読者の方々の期待に応えたいと思って
おります。
さあ、人知れず努力しようっと!?

ではまた。
posted by まさやん at 19:24| 大阪 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする