2009年09月23日

自信をつけるのは練習あるのみ

シルバーウィークも最終日となりました。
その名の由来は、ゴールデンウィークに対してシルバーとなった
とばかり思っていたのですが、その意味もあるようですが
敬老の日(21日)が含まれる連休だから、ということでも
あるそうです。

敬老の日は、毎年恒例で愛媛に居るおばあちゃん(残された
唯一人の祖母)に電話して、取りとめもない会話をして、健在を
確認して、ああ良かったと安心する日でもあるのです。

おばあちゃんは、1918年生まれの91歳。何と大正7年生まれなの
です!
だいぶ足腰は弱ったようですが、肝心の頭は全然しっかりして
おり、僕が忘れているようなこともしっかり覚えているので
すごいなあと思うと同時に、もっともっと長生きしてくれそうで
嬉しくもあるのです。
今回も電話したら、変わらずしっかり普通に会話のやり取りが
できる事がとても嬉しく、また91歳にして、その頭の健康を
保っていることに、尊敬の念を抱きました。

しかし、5連休もありながら、僕の予定は初日のバド練習のみ。
まあ、どこに行っても混んでるので、地元で汗を流して美味しい
ビールを飲んで、フニャンとしてる方が僕には楽しいです!

さてバドの話、の前に、マサやんの生涯シリーズです。
大学受験編です。

そうして、最後の試合も終わり、部活も引退。毎日毎日体育館で
汗を流してきた僕にとって、部活の無い生活というのは、考え
られないほど、味気ないものでした。
本当は、毎日羽根を打ちたい!バドをやって汗を流したい!と
いう気持ちが強かったのですが、やはりそこは高校3年生であり
受験勉強をしなければならない、ということで、生活の一変を
余儀なくされてしまったのです。

しかし当時の僕は、最初は専門学校進学を志望していました。
英語が好きで得意だったので、英語をしっかり学んで、話せる
ようになる為に「通訳ガイド養成所」という学校に行きたいと
主張していたのです。

僕の当時の主張は
「人間に必要なのは実力である。専門学校で実践的知識と実力を
叩き込んで、英語をマスターして、英語を使う仕事がしたい」
でした。

しかしこれは、実は受験勉強をしたくない、という逃げの気持ち
から来ていた、自分に対する「嘘」でした。
本当は大学に行きたい、でもその為には、受験勉強という厳しい
苦行をやり遂げなければならない。
その嘘を認めるのがかっこよくないと思った僕は、一見前向きな
もっともらしい理屈をこねあげて、自分の怠惰を隠蔽しようと
していたのです。
こういうことは、世の中によくあるのではないでしょうか。

ただ、僕の通っていた高校は偏差値的に中の下位で、進学校とは
おくびにも出せないフツーの公立校だったので、まさか自分が
現役で大学に合格するなどとは、夢の夢にも思っていなかった
のでした。
また勉強(受験勉強ですね)が好きではなかった僕は、とても
とても、毎日机に何時間も向かって、壁に「日々是決戦!」とか
「必勝!」とか「●●大学合格」などの張り紙をして、深夜まで
カリカリ頑張る自分の姿は、全く想像すらできなかったのです。

一方、心のどこかで「大学に行けたらいいな〜」という思いだけ
はありました。多感な高校生は全然素直じゃないのです。

その気持ちに大きく変化を与えてくれたのは、当時の担任の先生
白鳥先生でした。

「正岡、お前は六大学に行ける実力があるぞ」

ろ、六大学? まさか東大ではないでしょうが、早慶立明法に
僕が現役で行けるのだろうかと、にわかには信じられない気持ち
でしたが、僕の学力を良く知る担任の先生が太鼓判を押して
くれたのだから、あながち夢幻でもないのだと素直に信じました。

確かに僕は当時は、英語は得意中の得意としていて、校内の模擬
テストでは1位となったこともあり、この科目には磐石の自信を
持っていましたし、読書好きだった僕は、昔から日本語の読解力
漢字には、やはり少なからぬ自負の念がありました。

しかし、どこまでいっても中の下くらいの高校からは、早慶上智
というのがイメージできず、僕はてっきり立明法にならば届くと
意味で先生は言っていたのだと、自己診断していました。

でももし先生が行けるというのであれば、頑張ろう、頑張って
みよう、と気持ちを決めた僕は、まっしぐらに突き進むことに
決めました。
つまり、忌み嫌っていた筈の猛勉強を開始したのです。

かといって、一体どうやって勉強したら良いのか、その方法は
とんと見当がつきません。
僕は予備校に行かなかったので、効率的・効果的な勉強方法が
分からず、勉強開始当初は試行錯誤の連続でした。

私学の受験科目は3つです。僕が選んだのは、英語、国語と
日本史でした。
英語と国語は何とかなるだろうという予想のもとに、日本史を
バッチリ完璧に頑張ればよいのでは、という考えでした。

日本史の勉強は、学校の教科書で定評のある山川出版社の本のみ
で取り組んでいました。
かなり分厚い教科書でしたが、僕はこれを本文から写真から
ページの下に書いてある小さい字の脚注に到るまで、教科書一冊
全て暗記しようと決断しました。相当な記憶量です。

その勢いで勉強をしていて、ある日ふと、このペースで勉強して
いくと、どうなるのかなと考え、普通に頑張ったペースで続ける
として、受験日から数えて残された日数で計算すると、その
ペースでは全然間に合わないことに気づいたのです!

当時は頭の柔軟な高校生でしたが、いくら若い頭といっても
一回勉強しただけで覚えられる筈はなく、少なくとも2回は
復習しないと記憶を強固にはできません。

頑張っていた筈の勉強ペースで、全然間に合わないと判明して
愕然とした僕でしたが、それならば間に合うペースに変えれば
いいんだ!と、若さに任せて頑張るペースをさらに厳しくする
ことにしたのです。

この段階で、僕は受験勉強は日本史一本に絞ろう、という作戦
を立てました。
英語は得意でしたし、国語はもう勉強しようがない、というか
勉強しても短期間で上達する科目でもないと思ったので、時間
の限られた現役生として、一科目に的を絞って勝負の形に出た
のです。
僕は、受験勉強は日本史しかしませんでした。
それしか方法がないと思っていました。

具体的な方法としては、学校から帰ったらまず寝ます。
午後3時くらいから、晩ご飯の午後7時過ぎくらいまでとにかく
寝るのです。
でご飯を食べてから、夜の2〜3時まで5〜6時間でしょうか
毎日怒涛の記憶タイムなのです。
そのスタイルは、結局受験の時まで続けました。
なので毎日の学校では、眠たくてダルくて、いつも疲れていた
ような記憶があります。

予備校には行かなかったのですが、担任の白鳥先生(国語・漢文)
は、僕が苦手だった漢文の補習を、一時期授業時間の前、つまり
早朝に、先生の近所に住んでいた僕を車で拾って、他2〜3人の
生徒と共に、特別講習を実施してくれました。
やはり白鳥先生も、担任として自分のクラスの生徒から現役合格
を出したかったのでしょう。

大学に目標を変えた僕でしたが、学びたい科目に変更はなく
英語を勉強できる学科を目指していました。
となると英文科、と短絡的に考えますが、僕としては英語の文学
を学ぶのではなく、実際に英会話ができる実践的な勉強が
したかったので、外国語学部を念頭に置いておりました。

ところが、外国語学部というのは意外に少なく、ざっと調べた
範囲では、上智、獨協、南山、神奈川、拓殖、くらいしか当時
無かったように思います。(実際はもっとあるのでしょうが)
上智は超難関、獨協も難関かつ埼玉、南山は名古屋、と考えると
僕の学力的には神奈川大が最も適切な選択肢なのではないかと
考えるようになりました。

この神奈川大学というのは、名前だけ聞くと国公立のような
感じですが、れっきとした私立大学です。
この大学には、給費生制度があり、一般の受験にさきがけて
12月くらいに試験を行い、これに合格すると4年間学費が免除
される!という素晴らしい企画!?に、僕は飛びつきました。

@希望の学部である
A受かれば学費がかからない
Bもし給費生に落ちても、一般枠で受かれば、早く受験勉強から
 解放される

という3つの魅力的なメリットに向かって、僕の必死の勉強は
毎日毎日深夜〜朝方まで及びました。

僕は、当時の自分を褒めてやりたいのですが、あの時の僕は
眠さとだるさと疲れに負けそうな弱気の自分に鞭打って
自分に「お前は現役で合格したくないのか!」「絶対したい!」
「ならもっと頑張れ!」
と、一日くらい「今日はいいや」と寝てしまいそうなところを
あくまでも自分に厳しく、勉強のペースを保つために、一回たり
とも妥協しなかったのです。
学力不足で、勉強期間の短い現役生にとっては、そうでもしな
ければ、とても合格にはおぼつかないと思い込んでいたからなの
でした。

睡魔に負けそうになって、体を一旦布団に横たえて、夢うつつの
状態から気合を入れなおし、取り組み前の力士のように頬を
平手でパチパチ叩き、深夜に顔を洗ってお茶を飲み、また机に
向かう僕は、一途な修行僧のようでした。今思い出しても、よく
頑張ったなあ・・・

そうしていよいよ受験です。神奈川大学の給費生試験は12月
中旬に実施されました。
極度の緊張に包まれながら、東横線「白楽」駅を降りた僕は
キャンパスへ向かう受験生、つまりライバル達のその数の多さに
簡単に萎縮してしまいました・・・

試験は確か、でっかい体育館で行われたと思います。
僕のその時の記憶は
「ああ、合格したら、ここでバドやるんだな〜。天井高いなあ」
だったと思います!?

12月で寒い時期でしたので、体育館も底冷えがしていましたが
観客席に、巨大なヒーターが赤々と点いて、温風を吹き出して
いたと思うのですが、何分会場が広すぎて暖気は全て体育館の
天井付近にこもっていたものと思われ、震えながら試験問題を
解いていました。

僕の手ごたえは、あり!しかも、かなり!
元来、楽観的な僕は「ああ、これで受かった。一足お先に受験
から解放だ〜!」
と、試験に受かったものと思い込んで、その日以降勉強を
ストップしてしまいました。
まさか給費生には受かっていないでしょうが、一般合格はまあ
大丈夫だろうとたかをくくっていた僕は、年明け早々の町田の
ミックスダブルス大会にのんきに出場したりしていました。

そして合格発表。自信満々の僕に届いた通知は・・・不合格。
あの時の真っ暗な気持ちと、これはヤバい、どうしよう、という
焦燥の念は、未だに忘れる事ができません。

・・・と、まだまだこの受験ドキュメンタリーは続くのですが
そろそろバドの話に参ります。

<自信をつけるのは練習あるのみ>

先日、テレビで「ONの時代 スーパーヒーロー50年目の告白」を
見ました。
言わずとしれた昭和プロ野球のスーパースター、長嶋茂雄
王貞治の過去の映像を交えたロングインタビューです。

長嶋さん、王さんの、輝かしい戦績、活躍は語りつくされた伝説
ですが、その栄光の裏にあった、苦悩、葛藤、プレッシャーを
二人が巨人に揃ってから50年を経た今、初めて現役当時の心境を
正直にTVの前で語ってくれるという興味津々の番組なのです。

私が非常に感銘を受けたのは、以下の点です。

1)天才と思われていた長嶋茂雄は、実は類まれなる努力家で
  あったこと
2)その努力は、決して他人には見せず、自分の良い部分だけを
  ファンの方々に見せようとしたこと
3)世界のホームラン王だった王貞治が、不振に陥った時、打席
  に立つのが怖い、と語ったこと

1)は、長嶋さんといえば、天才。ここぞというチャンスに強く
いい場面で必ず打ってくれた、動物的カンの持ち主で、悪球でも
難なく打ち返してしまう、という持って生まれた才能で野球を
している印象が強かったのですが、それを長嶋さん自身も
そして当時のコーチである荒川氏も、真っ向から否定しているの
です。
長嶋茂雄こそ努力の塊だと。
印象的だったのは、インタビュアーが長嶋さんに「長嶋さんから
見て、長嶋茂雄という選手はどう思われますか?」という
ヒネった質問に対して、長嶋さんの答えがふるってました。

「長嶋茂雄は・・・あまりいい選手じゃないですね」

多分に謙遜が入っておりますが、本人の伝えたかった意味は

「私は決して天才なんかじゃない。あまりいい選手でもなかった
私が、普通以上の成績を残せたのは、人の2倍3倍練習したから
なのです」

だと思います。
合宿先での練習では、毎晩夜10時から深夜2時まで素振りを
欠かさなかったそうです!毎日です。

しかもその練習している姿を見せたくない、という理由で
素振り、トスバッティングは、旅館の部屋で行っていたそうです

王さんは、一般のイメージでは「努力の人」と、天才型の長島
さんに対して語られることが多かったですが、入団当初はそう
でもなく、よく麻雀したり門限破ったり、おいたをしていた
みたいです。

しかし、荒川コーチについて一本足打法を完成させて、成績が
飛躍的に向上してからは、自らの意識も変わり、3試合に1本の
ホームランをノルマとして、年間40本塁打の目標に向かって
ファンの期待を裏切らないように頑張っていたがゆえに、その
不調の際には、悩み、苦しみ、プレッシャーに押しつぶされそう
になり、前述の「打席に立つのが怖い」状態にまで追い込まれた
こともあったそうです。

しかし、そこで自らを奮い立たせ、自分に鞭打ち、努力と工夫を
重ねて、ファンと自分の期待以上の成績を残していったことに
僕は感動の涙を抑えられませんでした。

全然、バドの話じゃないですね(^^;
僕が言いたかったのは、天才的な活躍をしている人、とても並の
人間にはできそうにないプレーをしている人こそ、それこそ並
以上の苦悩を味わい、それをはねのける為の並以上の尋常でない
努力を人知れず重ねているのだ、ということです。

バドの世界でも、天才的なプレー、とても真似できないような
フットワーク、スマッシュ、レシーブ、ラリーを軽々とこなす
人はいますが、そんな人達こそ、水面下で苦しい顔をしながら
考えられないような努力を、人知れず頑張って続けているのです
スイスイーっと水面を滑る水鳥も、水面下では一生懸命休みなく
足をかいているのです。

王長嶋は特別すぎる存在で、私達はそこまでの期待も求められて
おりませんが(^^;人より長じようとするならば、人よりも
2倍3倍努力する必要があるということだと思います。

もっと身近な例でいくと、高校から始めた部活で、初心者から
始めて、何ヶ月か経過すると実力に差がついてきますが、同じ
部活で同じ環境、同じ先生、先輩から教わっているのにも
かかわらず、差がついてくるのは、それはより伸びている方は
必ず家でプラスアルファの練習をしているはずなのです。

強くなりたい!という気持ちがあるならば、強くなる為には
どうしたら良いのかを逆算して、体力が続かないならば走るとか
スマッシュを速くしたいなら、力をつけるとか、凡ミスを減らす
には、パターン練習でつなぎに徹するとか、そうなるように
そうなる方向にいくように、そういう努力をする、という論理的
な努力が必要だと思います。

僕の好きな言葉に「因果応報」があります。
ある結果(果)は、ある原因(因)に応じて(応)生ずる(報)
つまり、ものすごく意訳すると

「努力は報われる」

なのです。

スーパースターでさえ、自信をなくした時こそ猛練習に励んで
いました。
いわんや、凡人をや、です。
上手くなりたい、強くなりたい、と思ったら、人に負けないだけ
の努力を、人しれず頑張って、涼しい顔で試合に臨みましょう。

これ、自分に向かって言ってます・・・
***************************

このページに、僕のお勧めの本が2冊貼り付けてありますが
その下に、何やら怪しげな写真があることにお気づきですか?

これは「陳麻婆豆腐」といい、本場中国四川省にて、金閣賞を
受賞したほどの逸品なのです。
これを発見したのは、実は見市(^^)
僕が、麻婆豆腐を好きだと言ったら、ネットのどこかで発見して
これを購入し、ひと箱プレゼントしてくれたのです。

食してみると、これがヒジョ〜〜〜〜に辛い!
思わず咳き込んでしまって、そのうちに全身の毛穴から発汗して
しまうほど、ものすご〜〜く辛いのですが、味もものすご〜〜く
美味いのです!!!

僕は、今までに食べた麻婆豆腐では、百合丘のカッパ大王のが
一番だと思っていましたが、それに勝るとも劣らないほどの
旨みがタレに凝縮されており、舌は辛さの刺激でヒリヒリしな
がらも、絶妙の味付けで完全にクセになってしまう美味しさ
なのです。
ちなみにそのカッパ大王は、僕の同級生が店主です。
百合丘訪問の際は、是非お立ち寄りを!

http://kappadaiou.jp/

「陳麻婆豆腐」のあまりの美味さに、出身校の掲示板に記事を
書いたら、僕の同期の青木くんが食べて以下のコメントを残して
くれました。

「中華料理大好きで、麻婆豆腐も大好きな青木にとって
「陳麻婆豆腐」は本当に最高に美味しかったです。
去年、中国に何度かの出張(広州・深セン・南京・北京・香港)で
本場中国料理を食べましたが、この「陳麻婆豆腐」最高です。
皆さん、本当に美味しいですよ。
もの凄く辛いだけかと思っていたら、確かに辛いけど後味の残ら
ない辛さ。奥深い味わい。
お世辞抜きで病みつきになりますよ。中1の息子も大絶賛です。
もう、我が家では「丸美屋」は食べれません」

と最大級の賛辞を送ってくれました。
紹介者としては、溜飲の下がる思いです。

うちでは見市にもらった分はもう食べつくしてしまいましたが
またそろそろ購入しようかと思っております。

発見者の見市に聞いたところ、彼は先日7箱買ったとのこと!
そりゃ買いすぎや・・・
しかし、信じられないくらいに美味しいのは事実ですので
読者の皆さんは、だまされたと思って是非是非食べてみて下さい
3〜4人前が4袋入っており、お買い得感満点です。
添付の山椒粉末が、これがまた美味いんだなあ〜

全日本シニアもあと2ヶ月と迫ってきました。
日々練習に励んではおりますが、何とかこの試合で結果を残して
出身高の方々や、ブログ読者の方々の期待に応えたいと思って
おります。
さあ、人知れず努力しようっと!?

ではまた。
posted by まさやん at 19:24| 大阪 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月13日

伝説の名著2冊

珍しく、二日連続の投稿です・・・
というのは、ブログにちょっと広告を貼り付けましたので。
何の広告かと言いますと、僕の超お勧めの本2冊です。

以前(相当前)の記事で「伝説の名著」というタイトルで
「バドミントン基本レッスン」という本を紹介したことが
ありました。

何しろ相当前ですので、ここにその一文を再掲します。
***************************
ところで、表題の「伝説の名著」の話。
そもそもバドミントンの教本自体絶対数が少ないのですが
少ないが故に、内容については一般的にならざるを得ず、既存の
本では決して悪い事を書いてはいないのですが、具体的な打ち方
や理論については言及されておらず、バド初心者から脱して
少しは打てるようになっている中級者(中級者が殆どでしょう)
にとっては、物足りなさを感じてしまっておりました。

そこでこの伝説の名著が世に送り出されたのです!!!
ちょっと大げさかな・・・
この本は、今までのバド教本と明らかに一線を隔しております。
最近でこそ、回内・回外・内旋・外旋、リストスタンド、という
言葉が一般的になってきましたが、この本こそ、その理論を
日本で最初に詳細に解説し、そんな打ち方の理論があることを
バド界に知らしめた画期的な教本なのであります。

その名も「バドミントン基本レッスン」
ビニール装丁の本です。
確か表紙には、史上最強シングルスプレーヤー「趙剣華」が
フィーチャーされていたと思います。(思います、というのは
今はこの本手元にないのです・・・昔買ったのに、誰かに貸した
のかどこかへ行ってしまいました)

僕がバドミントンを始めた頃は、腕は一直線に伸ばしてより高い
位置でシャトルを捕らえ、手首のスナップを利かせて打つ
という理論が一般的でした。
しかし、そういう打ち方だと本当に強い球は打てないし
上級者はそんな打ち方はどうもしていないようなのです。

この本は、一流選手のショットの分解写真をふんだんに使用し
また図面でも分かり易く、回内他の理論を詳細に解説しており
ラケットヘッドのスピードが最大限になる打ち方が、あ〜そう
いう事だったのか!と「アハ」体験させてくれる、本当に
素晴らしい本です。
この本に出会っていなければ、バドの上達に甚だしい支障を
きたしていたものと思います。
と、得意の熱い語りでしたが、バドに打ち込む人は、絶対に購入
する事をお勧め致します。って、あまりその辺の本屋さんには
置いていないのですが・・・
***************************
まだ読んでいないバドプレーヤーの方々は、是非ご一読して
正しい打ち方について学んで頂きたいと思います。

そして、もう一冊は「読めばテニスがうまくなる」
原題名は「Winning ugly」訳すと「醜く勝つ」でしょうか。
この本の著者は、アンドレアガシや、最近ではアンディ
ロディックのコーチをして成果を上げている、ブラッド
ギルバートという、本人も自己最高ランキング4位という強い
プレーヤーです。

この本は、レンドル、コナーズ、マッケンロー、アガシのような
世界の超一流プレーヤーではなかった著者が、類まれなる観察力
と深い研究に裏打ちされたゲームプランにて、明らかに格上の
選手に対しても、互角の成績を残していった彼の戦略・戦術に
関する考え方が詳細に語られており、競技に携わるものにとって
非常に参考になる知識が得られる貴重な虎の巻だと思います。

僕はこの本を立ち読みで偶然見つけたのですが、その内容の深さ
に傾倒し、いつもなら立ち読みで終わらせてしまうところを
財布のひもを緩めてレジに持っていかせるだけの価値ある本で
ありました。

試合の前の心がけ、準備、様々なタイプのプレーヤーに勝つ為の
方法論、絶対に勝つための7つのポイント、トッププロから学ぶ
べきポイントなど、トーナメントで活躍した選手ならではの
珠玉の知恵がぎっしりと詰まった、これまた名著中の名著です!

この本は、勝つ為に頭を使って考えて、同時に心理面のコント
ロールについても詳細に語られており、競った時の心理、弱気に
なった際の対処の仕方、リードを広げるテクニック、試合の流れ
を取り戻す方法などにについて、彼の深い洞察から生まれた
即効性のある方法が惜しみなく公開されており、バドミントンに
おいても即効で役立つ知識が満載なのです。(ホメ過ぎか)

この本は全て興味深い内容ですが、とりわけ面白かったのは
最後にある「100万ドルをかけた準決勝」の項でした。
最後は実際の試合をドキュメンタリータッチで紹介しており
そのライブ感満点の内容は、読んでいてまるでその場に居るかの
ような興奮を覚えました。

この本の宣伝文を読むと、僕は買わざるを得なくなりました。
***************************
全米ベストセラーのテニス読本 ついに日本で発売!
専門誌「テニスクラシック」連載中より、読者からの単行本化の
要望が殺到。
世界のトッププロも愛読しているという、幻の名著の日本語版が
ついに完成した。

ジョン・マッケンローを引退させた男、そしてアンドレ・アガシ
をウィンブルドンで優勝させた男、それがこの本の著者ブラッド
ギルバートである。
特別な武器となるショットを持たずに、マッケンロー、ジミー
コナーズ、ピート・サンプラス、マイケルチャンなどの超一流
プレーヤーを破り、世界4位にランクされた男でもある。
戦略と戦術を駆使して、”卑怯者”とののしられても試合に勝つ
方法を見つけ出すギルバートのテニスの神髄が、ここにぎっしり
と詰まっている。
***************************

僕は読書が大好きで、色んな分野の本を濫読しますが、やはり
メインであるバドに関する本には、少なからぬ興味をひかれます
これからも「これは!」という本があれば、また紹介していき
ますね。

知識は力です。有益な知識を持っているということは、その知識
を持たない人より既に有利な状態にいると思います。
頭でっかちになっても何ですが、強くなるために少しでも良い
方法があれば、これからも学んでいきたいものです。

マサやんの生涯は・・・また今度。
次回は、部活引退後〜大学入学になりそう、かな?
もうだいぶ忘れかけていますが(^^;

ではまた。
ラベル:お勧め
posted by まさやん at 17:38| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月12日

フォア奥のフットワークについて

今年の大阪はあまり暑くなくて助かりました。
毎年この時期に、声も枯れよとばかりに絶叫するクマゼミも
今年は例年のパワーがなく、今年はセミ害による安眠妨害が
少なかったことは、何よりの副産物でした。

さて、楽しかった合宿も日本海での素潜りも終わると、僕の感覚
では、もう夏は終わりです。
合宿については一年前から、素潜りは年初から、いずれも異常に
楽しみにしまくっていたイベントだっただけに、終わってみると
しばし抜け殻のように呆然としてしまうものですね。

人生は短し。こういう楽しみなイベントは、定期的に予定して
いく必要があります。
合宿については、今回丸杉荘のおばはんには怒髪天を衝く思い
でしたので、あえて丸杉荘を外して宿泊場所のリサーチに入って
いるところです。

しかし合宿用の宿というのは、良い場所は常連さんが毎年キープ
しているようで、あっ、ここ良いな、と思った場所は大概既に
予約が埋まっているのです。来年の8月なのに!ですよ。

来年の目標は、参加人数30人、宿は貸し切り、バドコートは
4面。
OBとOGの合宿ですが、さながら現役学生のような規模・人数に
なりつつあります。
このイベントは、僕が60歳になっても継続していきたいと
思っております。
その頃は、温泉旅行化しているかも、ですね。

さて、久々にマサやんの生涯シリーズと参ります。

高校3年生で最後の県大会出場のチャンスを逸した僕らは
最後の最後、インハイ団体県予選に出場しました。
神奈川県の場合、8つのブロックに分かれて、それぞれで
トーナメントを行い、勝ちあがった8チームが決勝トーナメント
にて、インハイ団体出場の座を競う、というものでした。

県大会にすら出場できない僕らが、インハイに出場という目標は
逆立ちしても掲げられませんが、僕らの学校は、県ではどの程度
のレベルなのかを確かめる絶好の機会でした。

というのは、僕の高校が属していた地区は、神奈川県でもレベル
の高い地区だったので、県大会出場こそできませんでしたが
「もし」出場していて他地区の学校と当たったらどういう戦いが
できるんだろう、という「もし」が試せる最後の機会だったから
です。

1回戦2回戦は、多分楽勝だったと記憶していますが、ブロック
準決勝の相手は横浜立野という、神奈川では名の知れたバド強豪高
だったので、戦前からここには厳しいなあ、とメンバーは思って
おりました。

団体戦予選は2複1単でしたので、僕らのとった作戦は・・・
前回と同じダブルス2つ狙い。というか物理的・戦力的にこの
作戦しかとりようがなかったのです。

そして前回から劇的に伸びているはずもなく、試合展開としても
全く同じの、パートナーが球を作り、僕ががむしゃらに打つ作戦
で、第一ダブルスを勝利し、シングルスは予定通り!?落として
運命の第二ダブルスです。
しかし今回は女子の応援が無かったせいか!?青木・萩原ペアは
普段通りの実力を発揮して、な、何と番狂わせと言っても過言
ではない、この厳しいマッチを2-1で制したのです!

地区大会では6位にも入れない僕らが、県の8つに分かれた
ブロックで決勝に勝ち上がれるなんて・・・
これは、誤解を恐れずに言うと、いや客観的事実として、僕らは
その時確かに県のベスト16であったのです。

こうなるとブロック決勝も勝って、県のベスト8に!と、欲が
出るというものですが、決勝の相手は何と同じ地区の川崎北高校
でした。
残念ながら、地力に勝る彼らには力及ばずで、僕らはブロック
決勝で敗退ということになったのでした。

しかし、県大会出場を第一の目標に掲げ、一生懸命練習を重ね
届きそうで届かず、無念の涙を流した僕らにとっては、最後の
この結果は大いに胸を張れる嬉しい結果なのでした。

試合後、顧問の沢井監督に町田かどこかのファミレスでご馳走に
なり、3年生の同期4人で談笑した時は、強くは無かったけど
その時の環境でベストを尽くし、一生懸命練習に励んで部活を
終えた清清しい気持ちで、言葉にできない満足感と達成感が
ありました。

僕の戦績欄の最初に「神奈川県インハイ予選団体県ベスト16」
と、一見それほどでもなさそうな結果をあえて書いている理由は
この結果が、当時の僕らにとってそれほど価値が高く嬉しかった
という意味があるのです。

本当はまだ原稿は続いているのですが、僕の更新の遅い理由は
一回の文章が長過ぎることにあると気づき(とっくに分かってた)
適度な長さで一旦切ることに致します。
続きはまた遠くない次回へ・・・

ではバドの話。

<フォア奥のフットワークについて>

フットワークについて書くのは、実は初めてかもしれません。
というのも、このブログで書きたいのは、即効性のある目から
ウロコのネタであり、コツ・How to的な内容に方向が向いていた
からです。

フットワークは、バドに非常に重要なことながら、記事にする
にはちょっと地味な感じがして、今まで筆(指)が進まなかった
のでした。

かくいう僕もあまり華麗かつ俊敏に動ける方ではないので、書き
づらいところなのですが、文章で伝えられる範囲で、気負わずに
書いてみたいと思います。

* 動く方向に右足(右利きの場合)がある方が動きやすい
  フォア奥の場合、一番早く動けるのは下記のようなステップ
  思います。
  左足から始動して、左足を右足の後ろに持ってきて(足が
  一旦クロスする形)左足を着地させて、最後に大きく右足を
  開いて、その右足で踏ん張ったタイミングで打つ、という事
  です。
  ここで生じるであろう皆さんの疑問点は、フォア奥の場合
 「足替えをした方がいいんじゃないか?」ということだと予想
  しますが、僕の結論としては

  ☆フォア奥は、足替えはあまり必要ない

  と思います。
  理由は、時間が掛かることと、足替えをして体を入れても
  あまり体重を乗せにくい、ということからです。
  トッププレーヤーのプレーを見ても、フォア奥の取り方は
  ほぼ皆右足着地の半身のままで打っています。
  まあ、トップレベルのラリーでは、悠長に身体を入れられる
  ような返球がないからだと思いますが。
  足替えをするよりは、速くシャトルに触って、速いタッチで
  返球した方が効果的だと考えます。

* 追い込まれる、と思ったら、跳びついて触る
  相手のドリブンクリヤーが厳しい場合、その球への対処が
  遅くなれば、当然ヒットポイントはバックバウンダリー
  ラインに近づいて、追い込まれた形、端的に不利になります
  二次元的フットワークにこだわっていると、自分のリーチ内
  のシャトルしか触れず、絶妙の高さのドリブンクリヤーには
  必然的に追い込まれる形が成立してしまいます。
 (普通のハイクリヤーならば、時間があるので対応可能)
  それを打開するのが「ジャンプ」です。
  跳びついて打点を高くすることで、追い込まれるはずの球を
  軌道の途中で遮断するのです。
  この動きは、判断が難しい(跳びついて届くのか、跳びつく
  方が効果的なのか、床から足が離れるので不安)のですが
  うまく途中でカットできた場合、相手の想定外の速度で
  リターンできるので、すっと落とす何気ないドロップ
  ショットが、かなり厳しい球になったりするのです。
  ドリブンクリヤーを多用してくる相手には、積極的に跳び
  ついて、想定外の返球で相手の思惑を逆手に取りましょう。
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ブログ読者の岸本さん@愛媛から、全日本シニア出場者の名簿が
発表されていますと情報を頂きました。岸本さんありがとう
ございました。
日本バドミントン協会のページを見てみると、ありました!

http://www.badminton.or.jp/

更新履歴の9月6日のところです。
種目別参加者の表もあり、僕が出場する40代シングルスを見て
みると、何と104人もいました!
果たして何回勝てるのでしょうか?
いや、まずは眼前の一戦、つまり初戦に全力を投じるのみですね。
バドのブログを書く者として、実戦での成果をあげなければ!
という思いと、自分は自分、実力以上のものは出せないと達観
する自分が居ます。
僕の一番の目標は、試合で実力を出し切ることです。
実力を出し切りさえすれば、結果はもう受け入れざるを得ません
その、出し切る予定の実力は、勝ち上がるにはまだまだ足りない
と強く認識していますので、技術はともかく体力では後悔しない
だけの厳しいトレーニングをしていきたいと思っています。

元チームメイトの栗原くんも参加しているのを確認しました。
他にも、小室、永井他何人かの知り合いが参加しています。
こりゃあ、勝とうが負けようが飲み会は必須ですね!
反省会でなく祝勝会となるよう、日々頑張っていきたいと思い
ます。

大阪は既に初秋の様相ですが、マサやん家には未だに蚊の野郎が
毎夜毎晩僕を攻撃してきます・・・
僕の血が美味いのか、僕のフェロモンがメスの蚊を引き寄せる
のか知りませんが、蚊は僕しか狙わないようなのです。
蚊に刺されると、どれだけ深い眠りについていようが、無意識に
患部を掻くことに始まり、その刺激でさらに痒くなり、とうとう
激しく掻きむしるに到って目が覚めて、発狂しそうになりながら
かゆみ止めを塗りにむっくりベッドから抜け出すのです。
電子蚊取り線香は就寝前からつけていますが、窓を開けて換気
しながら寝ているので(無論網戸は閉めていますが)空気が
流れて、その効果を全然発揮しないのです。

そしてかゆみ止めを塗って、イライラの重い頭で再度ベッドに
横たわり、電子蚊取り線香の効果が出るように、窓を閉め切って
眠るのですが、一度覚めた目ではすぐには寝付けず、また閉め
きってしまうと部屋はそれなりに暑くなり、結局健全な睡眠を
得られないまま、朝を迎えて死ぬほど眠くて頭が重い状態が
ここのところ続いております・・・

その疲れも、ブログ更新を滞らせている一因かも!?
蚊帳でも吊ろうか、と真剣に考えているマサやんでした(^^)
ではまた。
posted by まさやん at 13:48| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする