2009年05月29日

ロングハイサービスの打ち方について

今日は5月29日。
更新は恒例のごとく滞りながらも、気がつけば5月は5回目の
更新です。これは僕にとっては「多い」方です!?

最近仕事で担当が増えたので、今までに増して平日に余裕が無く
なってしまったので、1ヶ月に5回更新というのは1週間に1回
以上ということで、まあまあのペースではないかなあと、いつも
の通り自分に甘い診断をしている次第です。

ところで5月29日というのは、僕にとって特別な日なのです。
実をいうと・・・僕の44回目の誕生日なのです!!!
オメデトー!

この世にたまたま生を受け、齢を重ねること44年。
大したこともしてきませんでしたが、大過なく大問題も起さずに
本日を迎えられたことは、やはりおめでたいことだと思います。

44は中途半端な数ではありますが、一つの区切りには違いあり
ませんので、ここでちょっとマサやんの生涯を簡単に振り返って
みることにします。

1965(昭和40)年5月29日。
兵庫県武庫之荘の病院で生を授かりました。3,800gくらいの
まあまあデカい赤ちゃんだったようです。
産まれた場所だけ兵庫県の病院なので、人に出身を聞かれた時に
いつもちょっと返答に窮するのです。
でも兄が逡巡なく「出身は大阪府高槻市」と幼少時代の拠点を
出身地に選定しているので、最近は僕もそれに従っています。

父親(ブログ頻出)は愛媛県久万町(現在は久万高原町)、母親
は松山市吉藤町のいずれもドのつく田舎出身で、結婚して大阪に
転居し、茨木市総持寺→高槻市大和町と幼少時代を過ごしました。

赤ちゃんの頃は、非常に残念ながら「不細工」な子供で、髪の毛
は薄く、鼻ぺちゃで、かつ目も小さく、しかし顔はビッグサイズ
で、産まれた直後は「猿のようだ」と言われていたらしいです。

子供の頃から食欲は旺盛で、不細工な子供も順調にすくすくと
育っていきました。
下の写真は僕が1歳後半くらいの頃かな。兄が僕の頭をしっかり
支えていますね(^^)
きっと頭が大きかったので、こうして支えていないとバランスを
失い、ごろんと横に倒れていたのかと思われます。
顔の形はおむすびのように三角です。今見ても、同じ人間とは
思えませんねえ・・・
DSCN1877.JPG
父親はサラリーマンで団地暮らしで、決して裕福な家庭では
無かったと思いますが、親父は子供の頃はよく遊んでくれたと
何となく記憶していますし、兄とも仲良く、そして今は亡き母は
真面目で責任感の強い性格だったので、腕白でやんちゃで
落ち着きのない僕のような子供でも、怒りに任せて虐待すること
などなく一生懸命叱咤激励しつつ育ててくれて、振り返れば
幸せな家庭だったと思います。

親父は一緒に遊びはしますが、基本的に放任主義で、仕事をして
家に帰ってお酒飲んで、育児には何ら関わっていなかったと思い
ます。
やはり僕をしっかり育てたのは、真面目を絵に描いたような
母親でした。

母親自身の兄弟は、5人兄弟の2番目で、姉、弟3人という構成
だったので、小さい頃から弟3人の面倒を見なければならず
そこから真面目で責任感の強い性格が強固に形成されたようです。
お姉さんは結構適当な感じだったらしいです!?
(おばさん、ゴメンなさい・・・)

なので、その性格のままの教育が僕に施され、自然に僕の根幹の
部分には、真面目でそして責任感と道徳観の強い性格がしっかりと
醸成されていったのでした。

真面目なだけに、母親には四六時中叱られたり注意されたり
いつも口うるさく怒られていたので、子供の頃は「うるさいなあ」
と苦々しく思っていたのですが、今思うと、そうやって叱られて
まっとうな方向に絶えず軌道修正をしてもらっていたおかげで
まともな人間に育ち、社会との交わりも他人との交流においても
まあ、粗相の無い程度にはこなせる社会性を培ってこれたのでは
ないかと思います。

そしてその根底にある「自分は大丈夫。この性格はOKなんだ」
という揺ぎない自信が、現在の言動に与えている好影響は日常の
生活において、いかほど多大か計り知れません。

仕事をしていると、大小のトラブルは日常茶飯事ですが、根っこ
の部分に確固とした自信がある為、必要以上に落ち込むことが
ないのです。
つまり、何かあっても「これはきちんと対応をした上でのトラブル
なので致し方ないことである」という達観、自分は的を射た
常識的対応を取れるのだ!という自信を持てる為、良い意味で
自分を責め過ぎることがないのです。

逆に悪く言うと「自信過剰」と言えなくもないですが、自信
なんていうものは、所詮目に見えるものでもないですし、また
無いよりも有る方が、おどおどすることもなく堂々と他人に
接することができて、活き活きと人生を送れるので、その意味で
非常に得をしていると思うのです。

それは必ず、真面目で厳しかった母親の教育から来ているものと
確信します。
当時は敬遠したいほど煙たかった厳しさが、生涯を通して自信と
活力を与えてくれていることに、感謝してもしきれない思いです。
51歳の若さで亡くなった母親に、今一度感謝の念を記したいと
思います。

お母さん、厳しく真面目に育ててくれてありがとう!

と話が逸れました。

小さい頃の僕は、寝る時頭を右側に傾けて寝るのが好きだった
ようで、平らな面に横たわっていても、顔は右側を向けて寝て
ばかりいたので、真面目な母親は「頭の形が変わるのでは!」と
心配して、右側に向く傾向のある僕の頭を、その都度真っ直ぐ
上向きに修正していたそうなのですが、真っ直ぐ上向きの居心地
が悪かった当時の僕は、いくら母親に修正されようとも、いつも
最終的には右側を向いて寝ていたそうです。
その点では、母親の教育は効果がなかったようです!?

おかげさまで僕の右後頭部は、著しくいびつに平らになっており
その影響で髪の寝ぐせがひどく、朝起床時はもれなく右後頭部
に毎回パックリと分け目が生じ、分け目の上部は髪が立ち
、分け目の下部は犬の毛並みのようにペタッと寝てしまうため
後頭部に笠のような芸術的な張り出しを生じてしまって、まるで

「エリンギ」

のような「笠」を形作ってしまいます・・・
その証拠写真です(^^; いっぱい胞子を飛散させそうです。
僕の髪は剛毛なので、毎朝これを修復するのは実に至難の業です。
エリンギその1.jpg
またまた話が逸れました。

僕は小さい頃から、人を笑わす事が何よりも大好きで、子供
ながらに弁の立つ、そして勉強はまあまあ優秀!?で、しかし
遊びや運動の方がはるかに大好きな子供でした。
子供の頃は、クラスでも非常に目立つ存在で、授業中も大きな声
で冗談を言って、クラスメートはおろか先生すらも涙を流しながら
笑わすくらいの、なかなかのエンターテイナーだったのでした。

そんな僕にも転機が訪れます。
父親の仕事の関係で、慣れ親しんだ大阪から、神奈川県川崎市に
転勤(つまり転校ですね)することになってしまったのです。

ただ当時はまだ小学校低学年でしたので、友達と別れる寂しさ
よりは

「東京に行ける!」

という好奇心が完勝し、友達にも「東京に行くねん」と鼻高々と
誇らしげに吹聴していたことを告白します。

他の大阪の人もそうだと思いますが、花の都「東京」に憧れる
気持ちは多かれ少なかれ、皆持っているのではないでしょうか?

しかしふたを開けてみると、そこは関東でこそあれ、東京では
なく神奈川県であり、しかも最寄駅(小田急線新百合ヶ丘)を
降りてみると、細い道の脇には田んぼがひろがり、当時梅雨時の
雨模様だった事もあり、アマガエル達が競い合って大合唱をして
いて、大都会に転勤のはずだった洋々たる明るい希望はのっけから
ぶち壊されて、梅雨空のように暗澹たる気持ちに落ち込んだ事が
昨日のように思い出されます。

そして極度の緊張に見舞われながらの、転校生としての挨拶。
優しい市川先生に導かれ、教壇の中央に立って、先生に「名前を
言いなさい」と促されたのですが、緊張で聞き逃した僕は、確認
の為、先生に

「名前やろ?」

と何の気なしに聞き返したのですが、その短いフレーズにも確実
に表現された大阪弁は、聞きなれない関東の小学生にはこの上も
なく滑稽な方言であり、僕がその言葉を発するや否や、教室中は
どっと笑いの渦に巻き込まれたのです!

その時を境に、明るくおしゃべりで笑い好きのお調子者の大阪の
小学生は影を潜め、おとなしい転校生に姿を変えたのでした。

続く・・・

ああ、このまま生涯を振り返っていったら、またまた相当長い
投稿になってしまって、バドの記事に行き当たらなくなって
しまうので、今日はこの辺でお開きにしときます。
過去を振り返るのもなかなか楽しいものですね。
次回を楽しみにしていて下さい。

今日から公式!?には44歳となるわけです。
公式、という意味は、気持ちと身体的には永遠の29歳と勝手に
思っておりますし、実際、若干の白髪にのみ目をつぶれば、身体
能力的には、29歳の時の自分と比べて何ら遜色ないと思って
いるからです。

何が遜色ないのか?
まず、やはり体力でしょうか。
最近も継続してシングルスを頑張っているので、ちょっと位の
長いラリー程度では、大して疲れないし、疲れても回復は早いの
です。
また、パワーの点でも、筋トレは定期的に継続しているので
スマッシュの速度は、あまり衰えていないと思います。
巷でよく言う、筋肉痛が遅くやってくる、と言う事も、まだ実感
として認識できません。ちゃんと翌日イタくなります。

結局、若くても練習をあまりしていなければ、即ちしっかり練習
を積んでいる44歳には敵わないのであります(^^)v

ともあれ、バドミントンでも何でもそうですが、やはり日々の
小さな、しかし確実で地道な努力の継続が、実力の向上には
欠かせない重要な要素となります。
まあ、このブログにアクセスされているような皆さんは、全て
バドの上達を心から願う方々と確信しておりますので、言われ
なくても、上達する為の努力を惜しまない方々だとは思っており
ますが。

ではそろそろバドの話。

<ロングハイサービスの打ち方について>

岸本さん(きしやん)からコメントを頂いておりながら、忙しさ
にかまけて、回答が遅れましたこと真にお詫び申し上げます。

ロングハイサービスは、シングルスにおける最初のかつ大事な
ショットにも関わらず、意外と苦手にしている方は多いのでは
ないでしょうか?

その理由は、フォアハンドでの跳ね上げ自体が、腕の使い方が
ちょっと難しいからです。

バックハンドでの跳ね上げは、結構自然に振り上げるだけで
シャトルは高く上がってくれますが、フォアハンドでのロブ動作
は、なかなかに関節の動きを制御するのが難しく、安定した
コントロールは、実を言うと僕もそんなに自信の無いところ
なのです・・・

しかし、僕も27年バドをやってきて、さすがにロングハイ
サービスは、1万回を超える位打ってきた筈で、ここでその要諦
を語れる程度のスキルは持ち合わせていると信じます。

まず一番大事なポイントは

1)前かがみにならない

ということですね。

初心の方がロングハイサービスに窮する一番の理由は

何としても、ラケットをシャトルに当てようとして、確実に当て
にいかんが為に、背中を丸めてシャトルに向かってラケット面を
当てようとすることなのです。

ロングサーブで、シャトルを強く弾く為には、体は起した状態で
むしろ胸を反らせるくらいの姿勢が大事なのです。

そして次の肝要な注意点は

2)シャトルを顔の前くらいにセットして、右前方に放り投げる

ということです。

シャトルに勢いをつける為には、シャトルを強く弾かなければ
なりませんが、強く弾く為にはシャトルが静止した状態よりは
動いているシャトルの勢いを活かすことの方が得策です。

そこで、シャトルを高い位置、つまり顔の位置からポイと放り
投げるようにして、シャトルが落下する力を利用するのです。

止まったシャトルを打つよりは、落ちてくるシャトルを弾く方が
強い球が打てるでしょう?
そうやって放り投げる為にも、最初の構えの時に、シャトルを顔
の高さに構えて、まず高さを確保することがポイントなのです。

3)リストスタンドして、後方へ引いたひじを先行させて
  ラケットヘッドを遅らせて、腰の回転も使いながら、腰の
  回転に引っ張られるようにして、一気に左肩後方へ瞬間的に
  振り抜く。その際腕には力を入れないで、極力「ムチ」の
  ようなイメージでヘッドを走らせる。

この一連の動作が、シャトルを勢いよく強く弾く要諦なのですが
やはり言葉での説明には、自ずと限界がありますね・・・

なので、実は連続写真で解説を加えようと思ったのですが、家で
嫁に撮影してもらった写真はもれなくNGでした(^^;
そしてやはり家の中で強くシャトルを打つのは問題なので、力を
抑えてスイングするのですが、そうするとどうしてもフォームが
不自然になり僕が伝えたいことが正確には伝えられないのです。

と言う事で、写真については明日の練習にて撮影することにして
みます。今回はとりあえず文章だけでご勘弁下さい。
でも文章だけでは、なかなか伝わらないだろうなあ・・・
しばしお待ち下さるようお願いします。
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昨日は、定例の練習の後、仲の良いメンバーと共に香里園の
居酒屋「土筆んぼう」で楽しく激しく飲みました。

「土筆んぼう」を間違っても「どふでんぼう」などと読まないで
下さいね(^^;
「つくしんぼう」が正解です。

メンバーはいつもの見市、マメちゃん、勝田くんでした。

僕は本日は有休を取得していたので、なんら深酒に問題なく
しかも場所が地元香里園で、這ってでも帰宅可能だったため
何杯焼酎ロックをお代わりしたか覚えていられなかった位です。

あいも変わらず同じような話題(バドの話、昔話、海に行く話)
なのですが、あいも変わらず面白いというのは、不思議なもの
ですね。

気がついたら、僕は自宅のソファーの上で今朝目覚めました。
知らない間に帰宅し、シャワーを浴び、歯も磨いて、どすんと
ソファに、酔って重たい体を沈め、秒殺で深い昏睡状態に
落ちたのでありました。

大切なアニバーサリーである僕の誕生日の朝は、ソファーで
迎えるはめになりました・・・

ということで、44歳なりたての投稿を終わります。
「マサやんの生涯を振り返って」は、自分でもなかなか面白い
ので、また次回に続きを書きたいと思います。

では皆さん、年齢は一切気にせず、永遠の29歳でこれからも
バド、特にシングルスを頑張っていきましょう!
昼からビール2缶、焼酎お湯割り4杯飲んで、今日もまたソファ
に沈没する可能性95%のマサやんでした。

ではまた!


posted by まさやん at 20:59| 大阪 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする